Chapter8 生死の案内人 (完)
───…
外の方から雀の囀りが聞こえる。カーテンの隙間から差し込む日差しが眩しくて目を覚ます。
何時の間にか眠ってしまっていたらしい。まだ寝足りないと布団の中でもぞもぞと身動ぎ、深い呼気を吐き出す。
「一条響哉、そろそろ起きなさい。遅刻するわよ」
凛とした声が聞こえる。布団の上から肩を揺する振動に再び薄らと目蓋を持ち上げて上を見上げた。
少女の顔が随分と至近距離にあり、ぼんやりとした思考が彼女を認識するのに時間がかかる。
「うわあッ!」
アリサの顔を視界に入れた途端、悲鳴を上げて飛び起きた。横に居た少女は冷ややかな眼差しで此方を見遣る。
「おはよう。いい夢は見れたのかしら?」
呆気混じりの口調が紡がれる中、響哉は辺りを見回した。
「ジルは?」
「ジルとベルなら台所よ。朝食作りに励んでいるわ」
立ち上がったアリサは彼の居場所を簡易に伝えて、一足先に茶の間へ向かおうと踵を返した。
「ああ、それと……」
ふと思い出したように歩みを止めて彼女が振り返る。
「昨夜はお楽しみだったようね。先ずはさっさと服を着なさい」
「えっ……?」
揶揄う素振りで笑みを深めたアリサは、それだけ告げるとさっさと台所へ姿を消した。
彼女に指摘されて漸く、自分が裸で寝ていた事に気付くのであった。
「おはようさん」
スーツに着替えて台所に赴けば、響哉に気付いたジルベルトが振り向いた。視線が交わると無意識に、昨夜の出来事が頭に甦る。
自ずと顔が熱くなる気配を感じて視線を横に逸らせば、ガスコンロの上にフライパンが見えた。
朝食を作っているというのは本当のようだ。
「おはよう。……その」
何て声をかけていいのかわからなかった。
急に照れ臭くなり、ジルベルトに視線が合わせられない。
昨夜の事に触れるべきなのか、敢えて口にしない方がいいのか、迷った。
「今、朝食を持ってくから向こうで待っててくれ」
「あ、うん」
驚く程に彼は普段通りだった。まるで昨夜の事がなかったかのようで、ほんの少しだけ寂しさを感じた。
「──響哉」
不意に名前を呼ばれた。振り返ろうとすれば、突然顎を固定されて唇が塞がれる。
触れるだけの軽い口付けに瞠目していると、小さく音を立てて唇が離れた。
「昨日は無理をさせたんじゃないかと思ったんだが、身体は大丈夫か?」
「う、ん…。平気」
「それならよかった」
響哉の返事に笑顔を浮かべた後、目前の青年は真剣さを帯びた表情で真っ直ぐに此方を射抜く。
「響哉。俺は死者で死神だ。自分の罪を償い終えたらあの世に戻らなくちゃならない」
「……わかってる」
「それまでの間、また暫くここに置いてくれるか?」
「はは、もちろんだよ」
想いが通じ合ったところでずっと一緒に居られる訳じゃない事くらい、理解していた。
あとどれくらい、側に居られるかはわからない。けれども、別れるその瞬間まで今度は共に居るつもりだ。
綺香の名残か、それとも自分の想いなのか、未だに判断に困るけれど、目の前の彼がとても愛おしく感じた。
「おっと」
無意識に手を伸ばし、背中に腕を回して正面からジルベルトを抱き締めた。
目を丸くさせた彼は驚きながらも瞬時に受け止めてくれる。戸惑っていた表情も軈ては嬉しそうに綻ぶ。
「どうした? 昨日の事でも思い出したか?」
「ちょっとね……」
照れ臭そうに笑って、甘えるように肩口に顔を埋めた。後頭部に手を添えられてゆるりと頭を撫でられる。
心地好い感触は改めて生きている実感を得られた。名残惜しそうに身を離し、お互いに笑い合う。
暖簾を潜り抜けて茶の間に向かえば、アリサはちゃっかりと座布団に座ってテレビを眺めていた。画面には朝のニュースが流れている。
女性キャスターが報道しているのは、謎の大量殺人に関してだった。映った現場は正に、昨日の惨劇の場所だ。
人が見た事もない化け物に襲われる目撃情報が相次いだ事を述べている。
悪霊に殺された人は皆、連鎖するように悪霊化して死体すら残らなかった。乾いた血痕だけが証拠として残り、悲惨であった事を物語っている。
全ては彼女、シンシアがこの世に存在する魂を喰らおうとしたが故の悲しい事件だ。
妹であるアリサが心配で、顔を覗き込もうとするが、それよりも早く彼女の方が此方を向いた。
「もう確りと報道されているわ。流石に早いわね」
「アリサ、君は……」
「何も言わないで。責任の重さはわかっているつもりよ。私の砂時計もこの通り、重くなっているのだから」
掌に現した赤い砂時計は、砂の量が多く残っている。魂の罪が増えた証だ。
この罪を、彼女は気が遠くなる程の時間をかけて償っていかなくてはならない。
重くなりがちな空気にどう切り出そうか悩んでいたところに、台所からジルベルトがひょっこりと現れる。
「待たせたな…っと、なんだこの暗い雰囲気は」
「ムードメーカーが来たからもう安心ね。一つ、笑いのネタでも寄越しなさい」
「俺は芸人じゃないぞ!?」
「ふふっ」
二人のやり取りについ、小さく笑ってしまった。それを見た二人が何故か固まっていた。
顔を見合わせた後、二人共口許を緩めてつられるように笑った。それからジルベルトは持ってきた皿を座卓の上に置いていく。
「あら、意外とまともね」
「最近少しずつ練習してるんだ。やり方さえわかれば何とかなる」
「花嫁修業かしら?」
「花婿かもしれないぜ?」
「なんか、無性に腹が立ってきたわ」
「なんでだよ!?」
マーガリンが乗った食パン、ベーコンと目玉焼き、サラダに牛乳等が並ぶ。
いただきます、と軽く手を合わせて箸を手に取った。
二人のやり取りを眺めつつ、サラダに箸先を向けた。二人が賑やかなお陰で、一人の朝食があまり寂しく感じなかった。
これから兄弟が亡くなった事を学校や保育園、あらゆるところに伝えなくてはならない。葬式は、金銭面に不安があった。
手続きなど、やらなくてはいけない事の多さに食事があまり進まない。
ふと、テレビの時刻を眺めると、時刻は御前八時を迎えようとしていた。
「っと、もうそろそろ行かないと……!」
思ったよりゆっくりしている時間はなさそうだ。作ってくれた朝食を急いで平らげて席を立つ。
ジルベルトにご馳走様と告げて台所へ食器を片付けに向かい、慌てて鞄を拾い上げる。
「折角だから、会社まで送っていこうかしら」
「えっ、ついて来るの?」
「またあの分かれ道で悪霊を見ないか心配だしなぁ?」
過保護か。と、突っ込む余裕もなくて仕方なく了承した。
ばたばたと玄関へ向かい、革靴を履いて一番に外へ出る。差し込む光を眩しそうに掌で遮りながら空を仰ぎ見ると、雲一つない晴天が広がっていた。
予想以上に、平和だ。あの地獄のような光景が嘘のようで、何とも言い切れない複雑な気持ちになりつつ前を向く。
でもあれは、夢じゃない。その証拠に、響哉の足下からは微かに黒い霧が湧き出ていた。もう唯の人間じゃないと、改めて実感する。
後ろからアリサとジルベルトが続いて外へ出てくる。玄関の扉を閉めたなら、鞄から取り出した鍵で施錠した。
「さて、それじゃあ行きますか」
階段を下りた先で、ジルベルト達と並んで歩み出す。
一人じゃない通勤は、落ち着かないような、けれど安心できるような気持ちだった。
「響哉」
家から少し離れたところで、横からジルベルトが呼ぶ。
「なに?」と一言返せば、ジルベルトは少し考える素振りを見せてから人懐こく微笑む。
「改めて聞くが、キミは生きたいか、死にたいか、どっちだ?」
その問い掛けは、最初に尋ねられたものと同じだった。驚いたように数回瞬くと、響哉は口許に指先を添えて考え込む。
「そう、だな……」
それから少しの間を空けて顔を上げた。
「──"生きたい"かな」
微笑んでそう告げた。迷いの晴れた面持ちを見て、ジルベルトも安堵の表情を浮かべる。
あの時は正直、死にたいと願っていた。
両親を亡くし、伯父の暴力に震え、幼い兄弟の面倒で心身共に疲弊し、何もかもが嫌になって逃げ出したかった。
でも、生活を支えてくれる死神のお陰で何とか前を向けるようになった。
今思えば、これは挫けそうになった生者に対する、死者の応援だったんだと思う。
彼等は生死を案内する。響哉は生の方へ案内された。返答次第では本当に死に向かったかもしれない。
まだやれる。まだ生きていける。この身が悪に染まっていても、普通の人間として生きていく。
そうして人生を完走した時に、きっと家族に温かく迎えられるだろうと信じて。
死にたいと願い、止まっていた時が動き出した。漸くスタートラインに立ったのだ。
新しい一日を素直に喜べたのは、一体何年振りだろうか。
生死の案内人の側を、ひらひらと蝶が舞う。
太陽の日差しに照らされて輝きを増した蒼い蝶は、自由に飛び回る。その内の二匹が響哉の肩に留まった──。
Fine...
本編はこれで完結となります。
次は本編で語れなかった補足や番外編を別でまとめられればと思っています。
完走を第一目標にしていた為、拙い点は多かったと思います。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
また、なろう版は全年齢、pixiv版はR-18仕様となっているので、一部の内容が異なっております。




