Chapter9 波長
玄関の扉が開いた物音に、茶の間にいたジルベルトが反応する。
響哉はまだ仕事中の筈だ。鍵も閉めてある。客人が合い鍵を持っている筈がない。
頭に疑問符を浮かべながら立ち上がり、一人玄関の方へ向かった。
「……響哉?」
女性に肩を貸して疲弊しているのか今にも倒れそうな響哉の姿に驚いた。
ジルベルトの声に反応して響哉が顔を上げた。
「ごめん…、出勤の途中で、具合…悪くなって……」
「倒れた彼をここまで運んだんです。感謝してくださいね? ジルベルト」
「げ、」
隣の女性を視界に入れた途端、ジルベルトがあからさまに嫌そうな顔をした。
「へぇ? それが師匠に対する反応ですかぁ。流石のリリスちゃんもこれには傷つきます」
態とらしく泣き真似をした後、えいっと告げて彼女は響哉の身体を前方へ押した。前に傾いた身体をジルベルトが咄嗟に支えようと抱き留める。
彼の背中に腕を回して、肩口から奥にいる彼女へ視線を向けた。
「響哉の事には感謝するが、何でここにいるんだよ。暫く日本以外を見てくるって言ってなかったか?」
「そのつもりだったんですけどー、緊急事態の為、此処に戻ってきてしまいました」
「緊急事態……?」
尋ねると、ゆっくりと双眸が細められた。
「最近、何故かこの地域だけ悪霊の数が急激に増えています。ジルベルト、心当たりは?」
冷ややかな眼差しがジルベルトを射抜いた。なんだその話しか、と呟いてジルベルトは頭を搔いた。
「それに関しちゃ俺らも調査中だ。悪霊がいなさ過ぎて、誰かが増やそうとしてるんじゃないか?」
「恐らくは、そうなんでしょうね。問題はそれを誰がやっているのか、です」
鞭の先をぴんと伸ばして、リリスは満面の笑顔を浮かべる。
「という訳で、私もここらを暫く調査致します。あなた達が泊まっている家に私も加わりますね!」
「……は?」
「正確には響哉さんの許可が必要になりますが、今更一人増えるくらい構わないでしょう? 私、これでも彼の恩人ですし」
「いやいやいや」
何勝手に話しを進めているんだと言いたげな眼差しを送った。居候状態の身故に強くは言えないものの、彼女が加わる事には是非とも反対したい。
睨み付ける勢いでリリスに目を向けていれば、彼女は一度響哉の様子を覗き込んでからジルベルトの方へ視線を戻した。
「それよりも、早く響哉さんを寝かせてあげてください。立ってるのも辛いでしょうから」
「っと、そうだった。アリサ! シンシア! 悪いがすぐに布団を敷いてくれ!」
茶の間の方へ向かって叫ぶ。奥から顔を出した双子が顔を見合わせてから素直に肯いた。
アリサ達が敷いてくれた布団まで運ばれていき、慎重に寝かせられた。
枕に頭を乗せた事により、やっと楽になった気がする。
リリスからはストレスによる発作だと言われた。自分がストレスを上手く発散出来ずに溜め込んでいる自覚はあったが、まさかこんな症状まで引き起こすとは予想もしていなかった。
風邪気味だろうと出社し、無遅刻無欠席でいた記録もついに今日で終わってしまう。具合が悪いのなら仕方ないとはいえ、それでも会社に対する罪悪感のようなものが胸中に湧き出てくるのだ。この時点で自分は相当、生活よりも仕事が優先になっているのだろう。
自分が欠席した事でどれだけの人に迷惑をかけたのか、想像するだけでも胃痛になりそうだ。
「響哉、水持ってきたぞ」
冷蔵庫に入れてあったペットボトルの水が横から差し出された。
「ありがとう」
「置いとくか?」
「いや、今少し飲みたい」
横になってまだ其れ程時間も経ってないが故に、傍らに置こうか尋ねる声にゆるりと首を左右に振った。
褥に手を突いて上体を軽く起こし、利き手でペットボトルを受け取って蓋を捻る。
掌から伝わるひんやりとした感触が心地いい。ペットボトルの縁に口付けて一口喉を潤した。
「おや、起きてていいんです?」
ひょっこりと茶の間の方からリリスがやってきた。続く形で後ろにアリサとシンシアの姿も見える。
「うん。もう平気。大分良くなったから」
「それはよかった。少しお話しがしたかったので」
彼女は寝室に足を踏み入れるとジルベルトの横に腰掛けた。
「……話しって?」
「ええ。私もこの家に暫し滞在したいのです。可愛い愛弟子と再会も出来た事ですし」
愛弟子と告げて横にいるジルベルトの頭を撫でる所作に彼はそっと頭を引いてその手から逃れた。
「いやー、帰ってくれた方が助かるんだけどなー」
感情の籠もってない返しにはにっこりと深まる笑みをジルベルトへ向ける。
師弟にしてはあまり仲が良さそうには見えなかった。
「それは…、別に構いませんが、弟と妹が嫌がった時は出てってもらうかもしれないです」
「それで結構です。決まりですね」
「ぐぬぬ…」
横から不満そうな声が漏れ出ている。物言いたげに見つめられたが、響哉の判断には何も言えない様子だった。
「滞在するなら、幾つか質問に答えてもらってもいいですか?」
「ええ、答えられる範囲であれば、いくらでも」
「波長が合わないと悪霊が見えないって、どういう事?」
あの時は詳しく聞く暇が無かったので、今尋ねてみる。
通りかかった主婦を助けようと思ったあの時、霧の中を容易く通り抜けた光景は未だ鮮明だ。自分達は襲われたのに、違いは一体何なのか。
「基本的に、健康的で元気な人は魂の波長が高いので悪霊は見えません。殆どの人が霊を見ないのはこの為です。逆に心が弱っていたり、後ろ向きになったりして波長が低くなっている人は、悪霊や霊が見え易いのです。ここまではいいですね?」
彼女の問い掛けに控え目に肯いた。
「元々悪霊は波長が低く、死者以外だと自分と波長の近いものしか見えません。なので波長が合わぬ限り、悪霊に襲われる心配はありません。見えないものに襲いかかったりは出来ないでしょう?」
「それじゃあ、僕は……」
「響哉さんの場合は、低い波長にご自身の霊感体質が重なったお陰で、死者を引き寄せ易いです。ええ、とても。現にここには四人も死者が集まっている」
指したのはジルベルト、アリサ、シンシア、そしてリリスの四人だった。
正直呼んだ覚えはないが、こうして集まっている事こそが何よりの証拠のようだ。
「そして今、我々が重視しているのは、そんな悪霊の数を増やす不届き者が潜んでいる事です。その調査の為にも、ここに残りたいのです」
「悪霊の数を、増やす…?」
増やして何になるのか。誰かが得をするんだろうか。
響哉の疑問にジルベルトが横から入ってきた。
「今はな、悪霊の数自体が減り続けているんだ。勿論それは悪い事じゃあない。寧ろいい方さ。だが、問題なのは死神の数が増え続けている事だ」
「死神の贖罪はポイント制なの。悪霊を狩るのは危険である分、ポイントは高いのよ。だから、獲物を巡って死神同士の争いになる訳」
「つまり、死神が多過ぎて悪霊の数が足りないから、誰かが増やそうと…?」
「そう目論む何者かがいる、という話しです。倒す悪がいないから、自分達で悪を生み出そうとする。とんでもない発想です」
そんな人物が、この近くにいる。
まさかそんなとは思ったが、響哉自身、日に日に霧の目撃数が増えている気がする。
「最悪、響哉さんまで影響を受けて悪霊化してしまうかもしれません。そうなる前に、犯人を突き止めるか。若しくは響哉さんの波長を高めて霊を見えなくするか…なのですが、後者は恐らく難しいですね。聞いた話しだと生活を大幅に変えないと治りそうにないですし」
小さな溜息を吐いて頬に手を添えている。すると部屋の入り口近くの壁に背中を預けていたアリサが口を開いた。
「前者は前者で面倒よ。だってまだ犯人の姿すらわかっていないんだもの。必ず後手になるわ」
「ええ、ですが……いつか必ず響哉さんの前に姿を現すと考えています。そこを叩きましょう」
話し合った結果、此処を拠点として行動するらしい。
家族三人しかいなかったのに、随分と賑やかになった。けれど、死者とはいえ年頃の男女が一つ屋根の下というのは如何なものなのか。




