第九話 結果
愛華ちゃんが口にした言葉はまるで、私達の心を一度解体して、それを隅々まで確認したかのような……あまりにも鋭い意見だった。
バイト先……特にチームとしての連携を必要とする場所の関係者ならば、誰もが気になる部分にして、北里くんの事をよく理解している人物だからこそ……たとえどんな結果に終わろうともしなければいけない質問だった。
だけど、井上さんと中村さんはしなかった。
いや、もしかしてあえて質問しなかったのか。
たとえ私と琴音が北里くんに苦手意識を持っていようと、働く中でそれを治していけばいいと思っていたんだろうか。
でも、愛華ちゃんの場合は違った。
彼女はこの食堂を、そしてその関係者の事を思うからこそ……今ここで、自分が悪役のような立場になろうとも、質問したんだ。
…………ていうか愛華ちゃん、そして舞華ちゃんは本当に小学生なんだろうか?
この食堂を守りたい気持ちがあるのは、分かるけど。
でもそれだけで、小学生の女の子はここまで、いろいろ考えるほどにまで変わるのだろうか?
まさか、本当に…………最近の小学生はこんな感じなんだろうか?
「ちょっと、愛華ちゃんッ」
「そいつぁさすがに」
「お願いだから二人は黙ってて」
どうにかたしなめようとする井上さんと中村さんへと、愛華ちゃんはピシャリと言う。
「二人の意見も分かるよ。でもね、隆文くんの顔にビビって辞めた人が実際に何人もいるんだから、この質問はしなきゃダメだよ。雇っては辞められるを繰り返して損をするのは、二人を始めとする従業員なんだから」
「「ッ!?」」
前例があった事実を聞かせられて、私と琴音は息をのむ。
前例があった事についてもそうだけど……よくよく考えれば、北里くんのようなコワモテな巨人と表現すべき存在がいるなら、そういう事も起こるじゃないかと、言われて初めて気づいたニブい自分に衝撃を受けたのだ。
「だからね、もう一度訊くよ? 二人は隆文くんをどう思っているのかな?」
そんな私達に……再び愛華ちゃんは問う。
対して私達は……すぐに答える事ができなかった。
少なくとも私にとって、北里くんは。
私と琴音のクラスメイトで、ナンパ野郎から助けてくれたりこの仕事を紹介してくれたりした恩人で…………それ以上の事が、頭に浮かばなかったから。
いや、それらだけでも告げる価値はあるかもしれないけれど。
でも愛華ちゃんが求めている答えはそうじゃなくて。今後も北里くんと関わっていくだけの覚悟を示せるような…………そんな答えだろう。
そして、もしここで、琴音と一緒に働けるようになった場合……私は、北里くんと何度も顔を見合わせて…………動揺とかせずにいられるんだろうか。動揺して、この食堂で働いている人達に迷惑をかけないと、言いきれるんだろうか。
今でも私は……北里くんの顔は怖いと思う。
クラスメイトに、そして恩人に対して、とてもひどい事を思っている自覚はあるけど……こればっかりは、何度も、それこそ愛華ちゃんが言っていた、この商店街を中心とする地域の一部の住民と同じ数だけ北里くんと関わらなきゃ、慣れる事はできないかもしれない。
「あ、答えが出るまで考えてていいよ。ただ、ウチの門限には間に合わせてほしいかな? お母さんに怒られたくないし」
これまでの事を思い返し、そして答えを探す中。
愛華ちゃんはニコニコ笑顔を崩さずにそう言ってきた。
ていうかそれ、何気にプレッシャーかけてない!?
いや、小学生なんだからそういうのを気にするのは当然かもしれないけれど……面接中にそんな事を言わないでほしいかな!?
一応、目だけを動かして腕時計を確認する。
ちなみに、従業員用スペースの壁には時計がかけられているけど、そのために顔を大きく動かすのは……相手からすれば迷惑かと思うので、腕時計の時間を確認。
もうすぐ午後の五時になりそうだった。
小学生の門限って何時くらいだっただろうか。
ほんの数年前、自分も守っていた……ような気がする常識だっていうのにすぐに頭に出てこない……いや、そんなのを思い出している場合じゃない。
愛華ちゃんがもしも門限に遅れたら、まずは私と琴音の親に遅くなるって伝えてから、愛華ちゃんを送り届けて一緒に謝ればいいだろうし。
今はまず、愛華ちゃんが納得する答えを出さないと。
でも、どうしたら愛華ちゃんを納得させられるんだろう。
これから先、北里くんと何度顔を合わせたとしても、絶対ヘマとかしないと信じられる……そんな意見があるんだろうか。
いや、それ以前に。
もしここで私が答えられたとしても、琴音は答えられるの?
琴音もまた北里くんの顔に慣れていない。
さらにいえば琴音は、今まで何度もナンパ野郎が言い寄ってきたせいで、内気な性格になってしまっている。
井上さんと中村さんがした質問はともかく。
愛華ちゃんがした、想定外の質問に……果たして答えられ――。
「ど、どう思ってるも何もッ」
――でも、それは余計な心配だったみたいだ。
「今でも、怖いです……優しい人なんだって、もう理解してるけど。まだ……でも私には、もう北里くんが紹介してくれた、ここしかないんですッ。私のこの見た目に左右されない人がいる、ここしかないんですッ。こんな見た目のせいで、今までいろんな人に言い寄られて…………そのせいで葵ちゃんに、何度も何度も、迷惑をかけてしまって……だから私は、葵ちゃんのためにも、ここで働かなきゃいけないんですッ! お願いしますッ! ここで働かせてくださいッ!」
まさか琴音が、こんなに必死になるなんて思わなくて。
私はただただ琴音を、顔を横に向けて、ジッと見ていた。
でも、すぐに……その声が震えてるのに気づいて。
それだけ琴音が、精神的に追い詰められていたからこそ、こうして力強く告げる事ができた、その事実をすぐに理解して…………情けなくなった。
私は、琴音の親友のハズなのに。
おば様と同じくらい、琴音を理解できていたハズなのに……琴音がまさか、そこまで追い詰められていたなんて、知らなかったから。
ていうか、私……迷惑とは思ってないのに。
琴音だって、好きで今のような容姿になったワケじゃないから……悪いのは琴音をそんな目で見る周りなんだから、そんな彼女を守ってあげなくちゃいけない、と思えたから、今があるのに。
でも、今の琴音に何を言ってもダメだ。
今はまだ、否定も肯定もせずただただ見守って……ちゃんと落ち着いてからそう言わなきゃ。どんな返答がくるにせよ。
そして今は、私自身の答えを出さなきゃいけない。
琴音と同じような答えではない、私自身で見つけた答えを。
同時に、私の脳裏にある場面が甦る。
ある理由で先生に怒られている男子数人に、自分がなぜ怒られていて、これからどう反省するのかを自分の口で言わせて、自覚させ、なおかつ反省を促す場面で、その男子の一人が『隣と同じです』なんて言った場面だった。
先生は激怒した。
私だって怒る場面だ。
なぜならその男子は他人の力を借りるというズルをしたからだ。
いま思い返しても、嫌な記憶だった。
そして今そんな事を思い出すのは……私の今の状況が、その時の状況と雰囲気が似ているからだろうか。
なんにせよ、私は……その男子とは違って考えなきゃいけない。
「…………私も、まだ北里くんの顔は見慣れていません」
まずは、事実を言う。
嘘をついても、あとで自分の首をしめるだけから。
「だけど琴音と同じく、私も北里くんが優しい事は知っています。それに北里くんは……いや、人は誰もが好きで、今の容姿になったワケじゃないじゃないですか。自分の容姿を好きになる人はもちろんいますが、一方でそうじゃない人もいて……その人は好きでその容姿になったワケじゃないじゃないですか。そしてそのせいでその人が変な誤解とかされたら…………そう思うと、私はとても我慢できません」
そして私は、本心を言った。
ずっと琴音という、見た目のせいでいろんな事件を経験した存在を見てきたからこそ抱いた…………心からの言葉を。
「もしかすると、自分がその立場にあったかもしれないのに……そんな想像をせず一方的に、そういう相手に変な誤解などをするなんて、そんなスジが通っていない事を、私はしたくありません。北里くんの容姿に慣れるのは……まだ先かもしれませんがそれでも、私は絶対に北里くんとも、普通に話せるようになりたいと思っています。というか、私と琴音の恩人でもある彼を、私はないがしろにしたくありません。いつか、なんらかの形でこの恩を……私は絶対に返したいと思っています」
これで、愛華ちゃんがどう思うかは分からない。
もしかすると、琴音は採用で私は不採用、なんて事もありえるかもしれない。
だけど私は、私のすべてを告げた。
これで不採用だとしても、後悔がないように。
もしも琴音だけが採用されたとしたら。
その時は、今まで通り……可能な限り琴音のそばにいるだけだ。
「…………そっか」
私の答えを聞くと、愛華ちゃんはまずそう返事をした。
ニコニコ笑顔を崩さずに、ただただ私達を見つめながら。
「それで、その……尾上さん? まずはごめんなさい」
かと思えば、そのまま頭を下げ……どういう事か分からず、私は唖然とした。
「そこまで追い詰められてたとは知りませんでした。それなのにさらに追い詰めるような事を言って」
愛華ちゃんは顔を上げ、真剣な眼差しで琴音を見た。
どうやら、琴音がどれだけ過酷な状況になるかは理解してくれたみたいだった。
「それから、後藤さん。あなたがどれだけ誠実な人かが、よく分かりました。私としては、二人が北里くんの顔を気にせずに、ちゃんと他の従業員との連携をとれるのか心配なんだけど…………そこまで言うなら、試験的に働いてみますか?」
「えっ!? は、はい!」
「は、働かせてくれるんですか!?」
琴音は反射的に了承した。
それだけ追い詰められていたのか……と考えると、またしても自分が情けないと思ってしまう。
その一方で、私は思わず愛華ちゃんに訊いていた。
試験的に採用なんて、まさかそんな慈悲をかけてくれるとは思わなかったから。
「ここで正式に不採用にするほど、私は鬼じゃないですよ」
また笑顔になりながら……というか、苦笑しながら愛華ちゃんは言う。
双子だからか、前に北里くんの顔の話題をごまかした舞華ちゃんと、同じような笑い方だった。
「それはそうと、今度はいつから来れるのか……それを訊きたいです」
※
日はもうほとんど沈んでいて。
空の色が紫から黒へと変わりつつある中。
私と琴音はすがすがしい気分で帰路についていた。
最悪な事に、途中で何人かの男に琴音がジロジロと見られ、そしてナンパ野郎が一人、琴音に声をかけてきたけれど……防犯ブザーを鳴らすぞと脅した上で睨んでやったらすぐに去ってくれた。
だからって、不快な気分はなくならないけど。
それ以上に、私達はとりあえず採用されて……嬉しかったから。
もしかするとこれから先、琴音がナンパされたりする危険が減るかもと思うと、そりゃもう親友として嬉しいから。
「これからも頑張ろうね、葵ちゃん!」
琴音はこれまでにないような笑顔だった。
私は笑顔で「そうだね、琴音。がんばろッ」と返した。
今まで気を張り詰めていたせいで、あまり笑顔になれなかったから顔がちょっと痛いけど……それは嬉しさのおかげであまり気にならない。
「北里くんに、また改めてお礼を言わなきゃ」
「そうだよね。それもこれも、駅前で運良く北里くんに会えたから――」
「ああ。とりあえず業者の人には話をつけたよ」
すると……噂をすればなんとやら。
というか、いま向かってる琴音の家の近くから北里くんの声が聞こえた。
ちょっと待って?
私も琴音も、北里くんに住所を教えてないのに、どうして琴音の家の近くで北里くんの声がするの!? 引っ越してくる友人のための用事、とか言ってた気がするけれど……もしかして、この辺なの!?
だとしたら、すごい偶然だと思うけど。
でもそれにしては、その友人に対する会話にしては……相手の声がしない。電話で話しているにしても、北里くんの声にはあまりに抑揚がない。
いったい、北里くんは誰に対して話しているんだろう?
なんだか不安を覚えて、私は一応……声のする方へとこっそり進む。
すると琴音は、私の腕を掴んで、不安な顔を静かにぶんぶん横に振ってたけど、私はそれを無視した。
琴音の家の近くなのは偶然だとしても。
北里くんがこの場にいる理由が、めぐりめぐって琴音に危険が及ぶような何かに関係してこないとは限らないからッ。
そして、どうにか琴音を引きずりながら歩き……私は琴音の家の近所の十字路にいる北里くんを視認した。
彼はマイフォンで電話をかけていた。
でも彼はいったい、どんな相手――彼が言うにはこの辺に引っ越してくるらしい人に電話をかけているのか。
「…………ガワはいいのか? もったいないな…………じゃあ、またな」
次の瞬間。
私と琴音は戦慄した。
その内容は、琴音の家の近くにいる事もあって……琴音の事じゃないか、としか考えられなくて。
どんな話をしてたのか、まったく分からないけど。
でも、北里くんがいったいどんな人で、それでふだん何をしているのかそもそも知らないから……私達は、直接それをその場で問えず。北里くんがその場から去るのを、ただただ見守る事しかできなかった。




