03
これは見た目だけではなく、かつ基礎能力の話でもない。
「父親は家族としてどれだけあれでも、結果と成果さえ差し出せば、与えるものはしっかり与えてくれるわ。だから私はなんの憂いもなく、いい部屋に暮らせている。アルバイトもせず、美味しいご飯を毎日外で食べられているの」
乾いた喉に、お酒を一口流し込む。
「同じ結果と成果を生み出しているはずなのに、奨学金という名の借金をしてなお、日々の生活にあえぐ苦学生がいるわ。そんな彼らを横目にしながら、私は生活は平凡だ、と言うほど無自覚じゃない。上にはいくらでも上はいるけれど、十分に私は、恵まれた環境を与えられている。まさに親様様ね」
「それはわたしも、大学に入ってから感じてるけど」
「私は自分のことを天才だなんて自惚れてない。でも社会に出てからの恵まれた環境。狭い席を自分の力で手に入れる。その自信くらいはあるわ。だから私の根っこは、全体主義じゃなくて個人主義。皆で小さなものを得ようと頑張るよりも、一人で動いたほうがよっぽど大きなものが手に入るわ。それが一番早いし楽だもの」
学年全体の平均点、その底上げに興味がないのと同じ。皆で足並み揃えて対策するよりも、自分の点数さえ上がればそれでいいのだ。
まどかはそんな私を見下げるような目では見ない。
「でも個人主義では、決して越えられない壁がある。それをなんとかするために、全体主義があるんじゃないの?」
代わりに次の問題を与えてくる。ふと浮かんだ疑問を、私がどう答えるのか気になるだけだろう。
平均点がある一定以上、達しなかった場合のペナルティ。いや、達した場合のご褒美か。教室にエアコンを設置する。そのために一丸となって頑張っている、と想定しよう。
「ええ、そうね。私も全体主義を蔑ろにしているつもりはないし、バカにしていいものだと思ってないわ。単純に、私が加わろうが加わるまいが、全体主義の力は変わらない。あのとき全体主義に身を費やしていれば、この壁を越えられたのに……なんて事態があるとは思ってないだけよ」
自分の力はたかが知れている。全体主義にいてもいなくても結果は変わらない。これが私の答えである。
「だってそうでしょ? 妹一人変えようと頑張ってあの様だもの。社会でなにかを変えるために活動するなんて、私には荷が重すぎるわ」
自らの無力さを嘲笑いながら肩をすくめた。
楓。私のたった一人の妹。大切な家族。母さんが亡くなったのをキッカケに、引きこもりになってしまった。
時間が経てば経つほど、学校へは戻りづらくなる。説得しようにも顔を俯けるだけで、なにも言葉は届かない。父さんから働きかけようにも無駄。楓が優秀すぎたゆえに、学校に通わなくても結果と成果を上げることに満足していた。楓が学校で心無い目にあったことを持ち出して、父親として理解者ぶる始末であった。
楓は私と比べ非凡だ。一度学校に戻りさえすればなんとかなる。そう信じてあれこれとやってきたが、最後まで楓を変えられなかった。
結局、父さんに無理やり楽な道を塞がれ、私の母校へと進学を果たしたのだ。最初は心配していたが、楓や父さんから連絡はない。ならばちゃんと通えているのだとホッとしながらも、自分の無力さに打ちひしがれた。
あれだけ昔は、なんでも私の真似をして、ベッタリだったはずなのに。同じ屋根の下にいるにも関わらず、いつしか逃げ回られるようになってしまった。
これで楓のためになにができた。その結果ならまだいいが、たんに疎まれただけで終わったのだから泣けてくる。
その涙を飲み込むように、グラスを傾け喉を鳴らし、
「だから自分の幸せだけを追い求めることを、私は大切にしているの」
耳触りの悪い言葉を吐き出すのだ。
「いいの? 弱者の味方のお仕事を目指している人が、そんなことを言って」
まどかはおかしそうにからかってくる。
「残念ながら、それはただの建前。依頼人の立場に立ち、法律に則った対応で問題解決を図る。それが私の目指すお仕事。慈善事業じゃないのよ」
「椛は自分の幸せのためなら、弱者はどうでもいい。そんな血の通っていない人間だったとは……ガッカリね」
わざとらしく大げさに、まどかは猫背になるまで肩を落とした。
私は頬杖をつきながら、まどかに向かってこう告げる。
「ちなみに私の幸せは、親友が幸せであることも含まれてるから」
「はぁ……椛はなんで女に生まれちゃったかな。ほんと、ガッカリ」
今後こそ本当に、まどかはガッカリと肩を落とすのだ。
赤の他人の不幸を前にしたとき、モラルに則った義務くらいは果たすだろう。だが親身になって寄り添いたい、助けてあげたいとまでは考えない。地球の裏側の千人、万人のために割く時間があるのなら、身近な一人のために時間を費やすほうが有意義だ。
こういった他人にドライなところは、よくも悪くも、あの人の血を引いているというところか。もしくは皆が建前の裏で抱いている、平均的な考えか。少なくとも少数派ということはないはずだ。
そして常々思う。
「社会からなにかを勝ち取りたい。認めさせたい。そんな人たちと比べて、私はやっぱり恵まれてるわ。義務と規則を全うするだけで報われる人生。今の時代、一体どれほどの人がたどり着けると思う? だから私にとって、正しい生き方に準ずるのは、幸せになるための一番楽な手段なのよ」
真面目に生きているのは、不真面目な産物を必要としていないだけ。咎められる危険をこそこそと犯かしてまで、手にしたいものがないのだ。
社会に出れば如実に男女の壁、不平等に相まみえるだろう。だが元より生まれた時点で、与えられたもの、環境によって、人生は壁や不平等だらけなのだ。上には上が沢山いる。向上心は大切だが、天へと続く階段が見当たらない内は、空を見上げ不平を述べても首が疲れるだけだ。
大事なのはいざ壁と不平等に直面したとき、自分の頭で考え、どう動くのか。ずるいずるいと言っている内は、一歩も前に進まない。手に入らぬものを羨み、妬んでも自分が辛いだけ。人生、妥協はどこかで必要なのだ。
なにより私は、人を羨み妬むほどの欲もない。衣食住に満足している。縁を紡いだ人たちと、楽しい時間を過ごせればそれで幸せなのだ。
喉から手が出るほどに望むものがあるとすれば、楓と仲のいい姉妹に戻りたい。それくらいだろうか。
「それに長い人生だもの。障害はいくらでも立ちはだかるわ。でも胸が張れないものがそこになければ、社会を味方につけて戦える。清廉潔白な人生っていうのは、それほどまでに強い武器なのよ」
世の中には線引きがある。それを越える真似をしなければ、社会が牙を剥くことはない。なにかあれば大手を振って支援要請を求められる。強力な武器でこそあるが、戦うのはあくまで自分。勝てるかどうか、後は己次第といったところか。
私はそれを信じて、正しいに準じてきた。
……だから。
それがあまりにも甘い考えであり、正しいだけではどうにもならないものがある。
本当に大切なときに限って、自らの無力さを思い知ることになる。




