04
大学生活二年目のゴールデンウィーク。
約一年ぶりに地元へと戻ってきていた。
快晴の東京から厚い曇りで覆われた札幌。
二時間前は外で汗を流していたはずなのに、今は肌寒さにぶるりと震えている。そして我が家に戻るとそれら二つ、同時に見舞われるなど思いもしなかった。
今回に帰省にいたって、父さんに連絡を入れた。返信はただ一言、『わかった』。
なら家族で旅行とか、ご飯とか、忙しいなりに時間に都合をつけて会おうとか、そういうのは一切ない。父さんがわかったのは、お手伝いさんに伝えておく、だ。
こうなることはわかっていたから、ガッカリはしていない。むしろ慣れない家族サービスはご遠慮願いたい。だってそうだろう? 勤め先の社長と私的な旅行と食事なんて、楽しくもなんともない。
自慢の娘役として、外に連れ出される業務はない。なら今回のゴールデンウィークは丸々自由というわけだ。
だから私は社長に会いたくて帰ってきたわけではない。
たった一人のようなものである、家族に会いたくて帰ってきたのだ。
正直、緊張している。
部屋にこもって以来、楓にとって口うるさいだけの姉でしかなかった。
特に身だしなみについては強い言葉を使って強要した。衣類についても強引に連れ出し見繕ってきた。
人間見た目じゃない。これがただの綺麗事だと実感しているからこそ、疎かにさせるわけにはいかなかった。
もし学校に通い始めたとき、見た目のよし悪しは周りの反応を変える。それだけで付けられる味方が変わってくる。敵を作らないとは言わないが、身なりを粗末にしているときの待遇よりはいいに決まっている。
そうやって私は手を焼いてきた。それで嫌われることになっても、楓が社会に戻るとき、それが必ず役に立つと信じてきたから。その先で多くの味方を付けて、私という杖なしで歩き、幸せを手にしてくれたらそれでいいと。
楓の進学先は、私の母校である私立の進学校。自由な校風でこそあるが、線引きはしっかりとしており、それを踏み越えた者には厳しく罰する。イジメなどはもっての他なので、治安と民度も高く、安心して通える学校だ。
楓ほどの才色兼備であれば、クラスの中心人物たちはいい意味で放って置かないだろう。社交性の遅れからくる失敗くらいは、いくらでも目を瞑ってくれる。彼らの庇護下に入ってしまえば、後は楓のもの。のびのびと成長を果たせるはずだ。
便りのないのはよい便り。連絡が誰からもないということは、そういった恵まれた環境を手に入れ、問題なく通えているということ。なら私が家を出たときと比べ、楓は大きな成長を果たしているだろう。
それが楽しみである分、怖いのだ。
うるさいだけの姉であった私を、今はどのように捉えているのか。
私が無理矢理強いてきたことは、学校に通うに置いて楓のためになったはず。感謝をして貰いたいとは思わない。恩を感じてほしいとも考えていない。嫌々覚えさせた公式が、試験で役に立ったならそれだけで報われる。
楓が幸せになれるのなら、最後には嫌われてもいい。そう感じていながらも、やはり嫌われたくないし、好かれたいのが人情である。
幼い頃のようにベッタリしてほしいのではない。この一年あったこと。それを一緒にご飯でも食べながら、あれこれと話し合えればそれでいい。欲を言うのなら一緒に外出し、買い物などをして楽しい時間を過ごしたい。
そんな素晴らしきゴールデンウィークを過ごせるか。その結果を前にして、不安と期待を胸にしている。
「……ふぅ」
小さな深呼吸をした後、一年ぶりに楓の部屋を叩いた。
「楓。今帰ったわ」
扉越しに呼びかける。しかしかつてのように、いくら待っても返事はない。
「入るわよ」
こういうときはいつものように声をかけ、扉に手をかけてきた。内鍵がある部屋だ。鍵がかかっているならそれで、入ってきてほしくないということ。そこからいつも、次の要件を告げるのだ。
返事がない中、鍵がかかっていたら傷心ものだ。それを覚悟で扉に手をかけたら、あっさりと開かれた。
机に上がったノートパソコンと、パソコンモニターが一台。部屋主の嗜好を感じられるものはそれだけ。最低限の家具だけ揃えて余計なものはなにもない。これが女子高生の部屋だと一体誰が思おうか。
一年前となに一つ変わらぬ光景。楓らしいと言えばいいのか。年頃の女の子がと心配したらいいのか、判断がつかぬところ。
そんな先で、ふと違和感を感じた。
もう昼間であるにも関わらず、室内はどこか薄暗い。カーテンが締め切られているのだ。
ここは二階。外から見られる心配はない。だから楓が部屋にこもっているときは、昼間にカーテンを締め切ったままにはしなかった。
室内は埃っぽさはなく綺麗なもの。ベッドも起き抜けの雑然さはなく、ホテルのようにベッドメイクがされている。
楓は室内に人を入れたがらない。寝具の洗濯こそお手伝いさん任せだが、室内のことは全部自分でやる。
だからこそ楓が手を入れたとは思えぬ光景に、しっくりこないのだ。この一年で身の回りをしっかりするようになった、といえばそれまでだが、ではなぜカーテンが閉まったままなのか。
なにより室内の匂いがおかしい。異臭がするとかではない。同じ屋根の下でありながらも、個室は部屋主の匂いが染み付くもの。この部屋にはそれはなく、ただの家の匂いなのだ。
まるで長らく部屋主が不在であるかのようだった。
「お帰りなさい、椛ちゃん」
振り返った先にいたのは、我が家のお手伝いさん。
今年で六十歳を迎えるとは思えないほどに若々しい彼女は、久しぶりに会う親戚に向けるよう、微笑みを浮かべていた。
「ただいま磯野さん」
違和感から引き離されるかのように、私はその微笑みに釣られてしまった。
母さんが亡くなってから、父さんに雇われた磯野さん。家事の一切を取り仕切る彼女は、いい意味で仕事と私事の区別をつけてくれる。必要以上に私や楓の私生活に踏み込まず、かといって私たち自身に無関心というわけではない。仕事で面倒をみてくれているとはいえ、困ったときに相談しやすい温かみもある。私たち姉妹にとって、この家で暮らすに置いて欠かせない人だ。
なにせ磯野さんは、唯一楓とコミュニケーションを取れる。最低限の受け答えで、楓の要望を最大限に応えてきた。だから楓はあそこまで、引きこもるのに困らなかったと言える。
磯野さんは階段から上がってきたのではない。私の部屋から顔を覗かせたのだ。それが示すことは、
「お休みの日にわざわざ、私のために来ていただいて。ありがとうございます」
私が快適に休みを過ごせるよう、部屋周りをやってくれていたようだ。
「いいのよ。この一年、やることがほとんどなくなって、暇だったくらいだもの。頂く分は変わってないんだし、こういうときくらいは働かないとね」
磯野さんは社交辞令ではなく、気にするなと告げてくれた。
私一人いなくなるだけで、暇というほど手間がなくなるのか。そう疑問を抱きながらも納得しようとすると、
「それで……楓ちゃんは元気にやっているかしら?」
磯野さんは私が口にしたいことを声にした。
ここ数日、楓が体調を崩しており、今日の容態を聞いているのかと思ったが、それは違うと思い直した。磯野さんは私より早く、今日この家にいる。ならそれを問いかけるのはおかしい。
「え、と……」
「ほら、私が最後に楓ちゃんを見たのは、あれだったから……。便りのないのはよい便り。姉妹二人で上手く暮らせてるんだと思ってきたけど、五年も見てきた子だから――」
「ま、待って、ください」
「ん? なにかしら」
「二人で上手く、暮らせてる……?」
「え、ええ。……楓ちゃん、椛ちゃんのところへ行ったのでしょう?」
狼狽えそうになるのを飲み込むような磯野さんの態度。その姿は私ではなく、自身に言い聞かせるようだった。
脳裏によぎったそれは、あってはならない可能性だと。
「……なんのこと、ですか?」
声を震わせながら、私はその可能性を肯定したのであった。




