13
タマさんへの想いはますます高まるばかり。それに比例して、この恋が叶わないかもしれない恐れもまた強まるばかり。
でも、このままではいられない。
いつまでも足踏みしたくはない。
覚悟は扉を開ける前に決めてきたのだ。
「そういえばタマさん、クリスマスはお仕事ですか?」
意を決して、わたしはついに本題を切り出したのだ。
異性にクリスマスの予定を聞くというのは、その意図が伝わりやすいもの。切り出し方もちょっと突拍子もなかったし、『その日はあなたと過ごしたい』とこの想いが伝わってしまったかもしれない。
タマさんは頬を緩ませると、
「いや、クリスマスは有給を取った」
未来の楽しみを口にした。その顔は訝しげにするものもなければ、わたしの心を察したものでもなかったのだ。
恋は盲目であるわたしであれど、『君のために』なんて含意があるとは信じていない。
クリスマスに予定はもうできている。そう言っているのだ。
早速出鼻が挫かれた。
そんな落ち込みよりも前に、そのクリスマスの予定が気になって気になってしょうがない。
きっと、友人とか、家族とか、なんかイベントとか、そういった外せないなにかだろうと思う――
「ついに性の六時間デビューだからな。当日どころか、二日続けて取れたのはほんとでかかった」
と自らへ言い聞かせていた途中の慰めは、あっさりと切り捨てられた。
「タマ、それセクハラよ」
「あっ」
マスターにぴしゃりと指摘され、タマさんは慌てて口元を抑えた。こちらを横目で伺うその様は、わたしを不快にさせたかもしれない心配。同時に、恥ずかしいところを見られたというそれである。
ハラスメントになるかもしれない失言。タマさんが普段からその気遣いをしてくれていたのは、この一年でよくわかっている。
だからタマさんは、それほどまでに浮かれていたのだ。それこそこポロっと漏らしてしまうほどに。
性の六時間。
その意味をわからぬほどわたしは純情ではない。
「た、タマ、さん……彼女、さんが……おられる、んですか?」
喘ぐように切れ切れに言った。
引きつってまでいるこの顔を、失言への不快、それに堪えているように映るかもしれない。タマさんのほどの男性だから、すぐにその顔は申し訳ないそれに変貌する。
「彼、女……?」
そう信じ切ってさえいたのに、タマさんはキョトンとしていた。彼女とは一体なんなのか。そんな禅問答に出くわしたかのような顔だ。
「そういえば俺たちの関係って、なんなんだ……?」
タマさんは肘づえをつきながら、拳で口元を抑えた。
わたしそっちのけで自問自答を始めたタマさんは、すっかり自らの世界に入り込んでいく。
性の六時間。その時間でなにが行われるかは今更言わずがな。
では、一般的にどのような相手と楽しむかとすると、夫婦や恋人だ。それ以外の相手とすることは、社会は健全と捉えず、むしろ不道徳とすら断ずる。
タマさんは独身。かつ彼女を相手にするのはないとすら言っている。かといって専門のお店に行く感じでもない。そして自問自答するその様は、ただの遊び相手だとも到底思えない。
一体どんな相手なのか。
問わんと口を開こうとすると、
「タマ、今日は飲みすぎよ」
マスターが窘めるように言った。
「変に口を滑らせ後悔する前に、今日のところは帰ったほうがいいんじゃない」
今日の天気も晴れなのね、くらいの何気ない口ぶり。
タマさんはハッとしたような顔をすると、後ろ手で頭をかいた。バツの悪そうなものではない。それもそうだなと、素直に忠言を受け入れたものだ。
コートをあっという間に羽織ったタマさんは、
「ガミにこう言われちゃ敵わん。今日のところはお暇するよ」
と言い残し、あっさりと帰っていた。出ていくときのマスターへの目配せは、気を利かせてくれた友情、それに対する感謝を示しているようであった。
ポカンとしながら、タマさんが出ていった先から目を逸らせずにいる。
「クルミちゃん」
だからマスターに声をかけられなければ、いつまでもそうしていたかもしれない。
「金曜日の早い時間に来るのはもう止めなさい」
今日の天気の次は、明日の天気を告げるくらいの語りかけ。傘の必要性を説かれ、思わず『わかりました、そうします』と頷いてしまいそうだ。
「なんで、ですか?」
でもそうなることはなく、わたしの目は丸くなるだけ。明日は快晴なのに、雨傘を持って行けと言われれば誰だって狼狽える。
「知りたい?」
「え?」
「一緒にクリスマスを過ごす相手が、タマにとってどんな子なのか」
マスターは真っ直ぐとこの目を見据えてくる。まるでわたしの覚悟を問わんとしているようだ。
咄嗟に首を振れなかったのは、悩んだからではない。覚悟を決める時間を要しただけ。
唾を飲み込んでから口を開くと、
「……はい」
「堕ちるときは一緒だぞ。そんな台詞を差し出して、背負い込んだ子よ」
マスターはあっさりと答えを差し出してくれた。
堕ちるときは一緒だぞ。
死がふたりを分かつまで、なんて安いレベルではない。その先も一緒だという宣言だ。
恋する乙女として、そんなロマンチックな台詞を差し出されようものなら、メロメロのメロメロなんてものではない。ロミオとジュリエットのような未来がその先に待とうとも、迷いなく全てを差し出せるだろう。
……ただし、その台詞を差し出されたのはわたしではない。
それを意味するものは言うまでもない。
「クルミちゃんも、ほんと男運がないわね」
マスターは同情するように言った。
「よりにもよって、タマなんかに恋をするなんて」
この身に宿った恋心。今日までマスターは触れてこなかったが、とっくにお見通しだったのだ。
恋の遍歴は全てマスターに語り尽くしてきた。
だから五度目の正直。初めてまともな人に恋をしたというのに、タマさんには既に相手がいた。そんな叶わぬ恋をしていたことに、ようやく掴んだまともな恋が潰えたことに、こうやって哀れんでくれているのだ。
「あんな男とくっつこうものなら、輝かしい未来が台無しになるところだったわよ。ろくでもない者同士がくっついていたおかげで、そうなることはなかったけど。……そういう意味では、クルミちゃんはあの子に救われたみたいなものね」
おかしそうにしているその顔が、そうではないと告げたのだ。
あんな男。
ろくでもない者同士。
タマさんへの恋は、五度目の正直でもなんでもない。今回もまた外れを引いた。黒歴史になるようなろくでもない恋だと言っているようだ。
「タマさんが……ろくでもない?」
およそタマさんには似つかわしく表現に、わたしはただ困惑した。
「……驚いたわ。ろくでもない様をあれだけ見せつけられておいて、気づいてなかったの?」
マスターは信じられないものを見たように目を見開いている。まるで宇宙人を目撃をした……いや、マスターのことだから、そのくらいでは狼狽えないだろう。
だからこそ、こんなマスターを見るのは初めてである。
「キッカケがあれだから、タマへの恋は事故として片付けるにしても……ストックホルム症候群でもここまでじゃないわよ」
顎に手を当てながら、マスターはマジマジとわたしの顔を覗いてくる。
「恋は盲目とは言うけれど、こんなに酷いとは思わなかったわ」
「そ、そんなに酷いですか?」
「てっきり不良を好きになる感覚で、タマを見ているのかと思ったもの。真面目くんとは違う、悪いところに魅力を感じるってね」
「悪いところ……」
価値観の違いを見せつけられたかのように唖然とした。
「タマは非の付け所がないほどに、ろくでもない男よ。それこそあなたの恋の遍歴、過去の男たち全員がかかっても太刀打ちできないほどのね」
世界の真理を諭すようにマスターは言った。
信じられない例えをされ、口を開くもこの喉は音を鳴らせない。
わたしの黒歴史。全て足してもタマさんに届かない。
だって一年だ。週に一度とはいえ一年もの間、わたしはタマさんを見てきたのだ。沢山言葉を交わしてきたのだ。どれだけ思い出を辿っても、タマさんに悪い部分は見つからない。歯に衣着せずズバズバと語る様は、まさに他の男とはひと味もふた味も違うのだ。
マスターはそんなタマさんを、ろくでもない様を見せつけてきたと言い表した。
恋は盲目。
五度目の正直、初めてまともな恋を手にしたと思ったが、
「タマはあれで、何千人もの足を引っ張り、何百人もの人生を狂わせ」
結局、今までとは変わらない。
「人を死に追い込んでおいて、ざまぁ見やがれって笑っているような男なのよ」
偏執的なまでの贔屓目は、真実を真実のまま見られていなかったと知らされたのだ。




