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椛と楓ちゃん。
タマさんは二人の関係性、その問題点をズバリと与えてくれた。
どうやら見抜いたというよりは、知り合いの知り合いの知り合いの親戚に、似たような話があり、それでピンときたようである。
小学生のときからずっと引きこもっていた女の子。親戚に預けられると、たった半年で自らの意志を口に出し、自然に喋られるようになったようだ。学校にこそ行けていないが、家事の一切を取り仕切るまでに成長し、今やその家は彼女なしでは成り立たないようである。
なぜ彼女がそこまで成長できたのか。実に興味深い話だった。
楓ちゃんが学校に通えているのなら、必要ない話かもしれない。それでも聞かずにはいられなかった。
その話は、椛に必要なときがくるかもしれないと。
そしてそのときは、やはり訪れてしまった。
「大事なのはね、楓ちゃんが戻ってきたとき、椛がどう接するか」
かつてのタマさんのように、椛の両頬を掴まえ、こちらを無理やり向かせた。
「さあ、貴女の気持ちを聞かせて?」
「え?」
生真面目なわたしの顔に、椛はただ狼狽える。
「椛が今までやってきたのは、ただのこれ。こんなことをされたら、楓ちゃんだって言いたいことも言えないでしょ?」
「あ……」
かつてのわたしのように、椛は自らしてきたことの意味を知った。
椛を開放しながら、わたしは続けた。
「楓ちゃんはさ、喋る行為そのものが苦手なだけなんだよ。ほら、教室にいけなくなった理由が、あれじゃない」
何ヶ月もまともに会話をしなかったせいで、吃った言葉を発してしまった。それをクラスの男の子にからかわれた。
お母さんを亡くして塞ぎ込み、それでも乗り越えんとした矢先でそれだ。喋ること自体が嫌になってもおかしくない。そして家族とも満足に会話をしないのだから、声帯は衰える一方だ。いざ声を出そうにも、満足に動かせない。
そうやって肉体的にも精神的にも、会話をする能力を失っているのだ。
「上手く喋れないから、伝えたいことが伝わらない。それがわかってるから、楓ちゃんは始めから話し合うのを諦めてたのよ」
「なら、交換日記でもしたらよかったのかしら?」
椛はしかつめらしい声色で言った。冗談ではなく、本当にそうするべきだったかもしれないと考えているのだろう。
同じ過ちを繰り返したくない。その強い意思がそこには感じられた。
「文字という点はいいかもだけど、ちょっと古風すぎ。楓ちゃんはパソコンが得意なんでしょ? なら楓ちゃんの伝えたいことは、スマホで受け取ればいいんじゃない」
「スマホで?」
「椛が喋る近くで、楓ちゃんはキーボードをカタカタ叩くの。もしかしたら通知が鳴り止まないくらいに、次から次へと意思を叩きつけてくるかもよ」
「なんか、凄いシュールな光景ね」
「スタートは扉越しから。そこからなんとか、一言二言の返事くらいは、声に出して貰えるようにすることね」
「それはまた……腰を据えた長期戦になりそうだわ」
「必要なのは、将来を見据えた優しさだけじゃない。目の前の階段を一段一段、手を取って登らせてあげる甘さ。それで一年後に間に合わなくても、二年後のためになるかもしれない。小学校から変わらなかった人が、半年で大きく変わるかもしれない」
タマさんの知り合いの知り合いの知り合いの親戚の子は、どうやらそれで大きく成長したらしい。楓ちゃんほどの神童なら、成長する環境さえ与えればいくらでも伸びるだろう。
「楓ちゃんを大学に行かせるにしても、現役合格に拘る必要なんてある? その前に社交性を身につけるのに、時間を与えてあげてもいいんじゃないかな」
警察や政治家の官僚を目指してるのならともかく、一年や二年くらいの遅れ、大学では珍しくもなんともない。
大学はあくまで、これからの人生の通過点。学んだ先で、見識や交友関係などを広げ、次のステージへ向かう準備を整える期間にすぎない。学力以上に、その整える能力こそがなによりも大事なのだ。
そしてそれは、これからの人生を生きていく上で、一生必要とする能力である。学力だけは足りているからと進む前に、まずはその能力をじっくり育てることこそが、これからの十年、二十年後のためになる。
かといって、今この瞬間の一年、二年もまた軽いものではない。当人だけではなく、その介助者の時間を奪うことになるのだ。
巻き込まれただけの人災なら放っておきたい。法が許すならそれこそ火元を直接絶ちたいだろう案件だ。
けれど、
「だって椛は、将来の自分のためになんとかしたいんじゃない。自分で立てるようになることが、一番楓ちゃんのためになる。そう思っているから、なんとかしてあげたいんでしょう?」
「ええ。あんな生活は、いつまでも父さんが許すわけがないもの。楓にはなんとかして、自分で立てるようになって貰わないといけなかった」
それは違うと椛は大きく首を振った。
今回、楓ちゃんを追い詰めた強硬策。それに準ずるものがいつ起きてもおかしくないと、椛自身が一番わかっていた。だから楓ちゃんには、再び社会へ戻って貰わなければならなかった。
「色々と世話を焼いて優しくしてきたつもりだったけど……全部、独りよがりだったようね」
自らの過ちを椛は自虐的に笑う。
楓ちゃんとの意思疎通の図り方を間違えたものだから、上手くいかなかった。なにを間違えているのかもわからない。そんな状態だったのだ。
「まずはちゃんと楓と話し合えるようになる。それが当面の、私の目標ね」
自身に言い聞かせるように椛は言った。
わたしは思った。椛に一番足らなかったのは、融通ではないかと。人に対してではない。自らの生き方に対してだ。
人間は自らの価値観と、知識だけでしか物事を測れないし、その範疇から逸する物を生み出せない。
社会のレールを一度も外れることなく、背くこともなく、椛はその上を走り続けてきた。だからその手には、楓ちゃんを部屋から引っ張り出す術が備わらなかったのだ。
なにが間違えていたのか知った今の椛なら、もうその心配はないだろう。なにせ人に見られないところ以外は、完璧人間な才媛だ。同じ過ちはもう繰り返さない。今度こそ正しい形で楓ちゃんを導くことができるだろう。
「まどか」
けれど、その導く相手は行方不明。
問題点がわかったところで、問題はいずれとして解決していない。
「ありがとう。あんたがいてくれてよかったわ」
それでも椛は、一つの山場を乗り越えたように笑いかけてくれたのだ。




