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第3話 故郷




 木漏れ日の中、二人は大木によりかかりながらただぼんやり過ごしていた。


 何も無い一日だった。何をしていた訳でもない。何を成したわけでもない。ただ流れていく小川のように、時間は自然と流れていった。


「そういえばさ、帰りたいと思ったことはないの?」


 だから彼は、何も考えずにそんな事を尋ねた。前から気になっていた事でもなければ、思いついたものでもない。ただ自然と口をついたのはそんな小さな疑問だった。


「別に? どうでもいいかなあ」


 あっけらかんとした態度で彼女が答える。

 

「どうでもいいって……普通は思う所があるんじゃないかな」

「ローランドはそういうのあるんだ。やっぱり自分の村とか? なんだっけね、名前」

「プロヴィア村」

「そうそれ」

「……まあ、故郷だからね。たまに帰りたいとは思うよ」

「そういうもの?」

「そういうもの」


 彼女は背筋を伸ばし、少しだけ肩のこりをほぐす。


「じゃあ、私はやっぱりどうでもいいや」

「どうして?」

「だって、私の帰る場所は」


 それから彼女は、優しく彼の手を握った。確かな暖かさがそこにはあった。


「あなたの隣だから」


 それが彼女の幸せだった。

 ただ彼の横にいる事だけが、彼女が望んだ全てだった。


「……ね?」


 恥ずかしいことを言う彼女を尻目に、彼はただ黙って俯いている。

 真っ赤な顔を見られるなんて、彼には耐えられなかった。



 §



 霞がかった月光が窓辺に差し込む部屋の中、レッドは一人酒を飲んでいた。すこし値の張った酒の味は値段以上の味がした。ミサキの寝息を聞きながら、空いたグラスに酒を注ぐ。

 一人で飲む酒の味はなかなか悪くなかった。


「私のグラスもあるかしら?」


 二人ならもっと美味いと誰かが言ったが、少なくとも突然やって来たクローディアで味が変わるかなんて彼には疑問でしかなかった。


「自分で取ってくれると嬉しいかな」

「つれないのね」


 ガラス戸に飾ってあるグラスを取り、レッドの許可も取らずに酒を注いだ。


「それじゃ、乾杯でもしましょうか」


 対面の椅子に腰を掛け、わざとらしく彼女は言う。


「何に?」

「姿を消せる賞金稼ぎの噂が国王にも届いた事に」

「ああ、そう」


 グラスを合わせず、二人は酒を煽る。味はつい先程よりもまずくなっていた。


「美味しいわねこれ、何年もの?」

「18年」

「あなたにしてみれば一瞬かしら?」

「そうでもないよ、特に最近はね」

「そう、それならよかったわ」


 彼はまた酒を流し込む。喉に引っかかっているのは、街ないなく彼女の言葉だった。

 目立たないようにしていたはずなのに、どこかで耳に入ってしまったようだ。


 姿が消える魔法自体、珍しいものではない。ただそれを使えるのは賞金稼ぎなどという野蛮な連中ではなく、もっと高貴で高尚な組織に所属している魔法使いだけ。いつでも王の寝首をかけるという事もあって、高い金と地位を与えて生殺しにするのがどこの国でも一般的だった。


「それで、国王はなんて?」

「さあ? けれどあなた、目立つ方では無いけれど決して無名というわけではないから。賞金がかけられる前に逃げたほうがいいんじゃない?」

「あと一日ぐらいしたら出るさ」

「何かやることでもあるのかしら」

「ないよ。だけどたまにはのんびりしたいじゃないか」


 その言葉は本心だった。目立たないよう旅を続けているが、どこかに腰を落ち着けようと考えたことは一度や二度ではない。


 ただ、それももって十年だ。次にそこで暮らせるのは、誰も覚えている人間がいない百年後。そういう煩わしさを嫌った結果、彼は今のようにあてのない旅を続ける事を選んだ。


 それでも二日ぐらいならと、彼は自分に言い訳した。


「あまりおすすめしないわよ、今の状況」

「わかっているさ」

「ならいいけれどね」


 飲み干したグラスをテーブルの上に置くと、クローディアは席を立つ。


「じゃあ、ごちそうさま。何度言ったかわからないけど、あなた相当に厄介者なんだから。そこのところ、覚えているかしら?」

「千年も経てば忘れるさ」

「だからこうして釘を指しに来てるってわけ。おわかり?」


 そして彼女は部屋の扉から行儀良く出て行った。


 珍しいなと苦笑して、彼もまたグラスを置いた。

 気がつけば、寝るのに良い時間だった。






「おはようパパ……また飲んでたの?」


 少しだけ遅く起きたミサキは、目をこすりながらそんな事を言う。


「少しだけね」


 それでもミサキは納得してくれなかったようで、テーブルの上に置かれたままの酒瓶とグラスを睨んだ。


「グラス二つあるけど?」

「クローディアが来てたんだ」

「……あの人、急にいたりいなかったりするよね」

「神様だからね」

「信じられない」

「生き返してもらったのに?」

「それが一番信じられないかなあ」

「まあそうだろうね」


 それから、ミサキは着替え始めた。まだ屋内だというのに、昨日買った赤い上着に袖を通す。

 買ってよかったと、レッドは少しだけ嬉しくなった。


「そういえばさ、パパ」


 ただ、ミサキはまだ気にいらない事があるらしい。不機嫌な態度を何一つ隠さずに口を曲げてレッドに尋ねた。


「クローディアさんとどういう関係なの?」


 どういう関係。

 その質問は、レッドの言葉を詰まらせるには十分だった。


「……昔の知り合いだよ」


 だから、当り障りのない説明を選んだ。


「どうやって知り合ったの?」

「友達の友達みたいなものさ。その友達はもう随分と前にいなくなったけど」


 少なくともそれは事実だった。クローディアと知り合いになる切っ掛けをくれた彼女は、もう随分と前にいなくなった。


「そうなんだ」


 もちろんそんな説明で納得できるほどミサキは大人ではなく。


「じゃあ、質問かえるね」

「なんなりと」

「……ちゅーとか、したの?」

「してないよ」


 少なくとも、覚えている範囲では。そんな余計な台詞をもちろん彼が言うはずもなく。


「ならいいけど」


 不機嫌そうだったミサキの態度は、すこしだけまともになった。






 街に繰り出した二人は、旅の道具を選びながら買い物を楽しんでいた。特にミサキは普段見られないような数々の品物に目を輝かせている。

 一歩下がって彼女の後を歩いて行くレッドも、目を楽しませながら進んでいく。

 ちょっとした親子の時間。


 それを邪魔する人間は、いつだって街に数人はいるものだ。


「あ、あの! レッドさんですね!?」


 少女なのか少年なのかわからないような、それでも声のおかげでなんとか少女と判断できる子供が、目の前に立っていた。なにやら手配書を握りしめ、レッドの顔とそれを見比べている。


「そうだけど、君は?」

「ええと……私、リコっていいます! あなたをつかまえにきました!」


 手配書、少女、捕まえに来た。


 レッドは少女の姿を改めて見た。帽子にマフラー、身長ぐらいの大きなリュックにぶかぶかの衣服。ずいぶんと頑丈そうな靴は、あまり使い込んだようには見えない。


 これでは賞金稼ぎというより、冒険者のようだとため息をついた。


「君、はじめてかな」

「なにがでしょうか!」

「賞金首を捕まえるのは」

「はい!」


 元気な声で少女が言う。呆れ果てて言葉も出ないレッドを尻目に、不安そうな顔でミサキは聞く。


「パパ、わるいことしたの?」

「それを確かめようと思ってね」


 レッドはリコと名乗った少女から手配書を取り上げ、内容を確認した。




 ――通称レッド、本名不明。


 職業、賞金稼ぎ。

 罪状、なし。但し重要参考人。

 生死、死亡の場合は賞金払い戻し不可。五体満足が条件。

 懸賞主、プルシア=ド=モルリウム第三王女。


 賞金、三万バール。




「僕、結構安いんだね」


 何より気になったのは、その値段だった。宿代のほうがまだ高い。

 冗談のような値段じゃないのは、きっと不老不死であることに感づかれていないからだろうと彼は一人納得する。それに不老不死の人間が死亡の場合賞金が出ないというのが何よりの証拠だ。


「はい! あぶないひとじゃなさそうだから、腕試しにちょうどいいとおもいまいた!」

「そう、それは懸命だ」


 もうひとつ気になるのは、懸賞主の王女だろう。

 聞いたことのない名前だが少なくとも権力者。あまり近づきたくはなかったが、賞金が跳ね上がり大事になる前に片付けるほうが良さそうだ。


 そう判断したレッドは、また大きなため息をつく。


「ところで、前から気になっていたんだけど」


 そう言うと、彼はミサキを抱き上げる。


「賞金首が自首したら、僕はお金が貰えるのかな」


 どうしようもない冗談を言い残し、彼はその場から走り出す。

 向かう先は王の城。


 不死者に生死の条件をつけた、間抜けな王女の顔を拝みに。









 城の城門には二人の衛兵が立っていた。街は平和そのものだというのに、彼らは随分と機嫌の悪そうな顔をしている。

 だから、レッドがその場に着地した時は迷わず彼に槍を向けた。そういう連中にそうする事が彼らの仕事なのだ。


「何者だ、ここは王の城門であるぞ!」


 それから、決まりきった言葉を言う。それも彼らの給料の内だ。


 抱えていたミサキを地面に下し、レッドは軽く礼をする。丁寧なその態度は衛兵の緊張を少しだけ和らげた。もっともそれは彼なりに二人の衛兵を小馬鹿にした態度だったのだが。


「知っているよ、だけど招待されているんだ。案内してくれるか、連れてきてくれるかい? ああ、あと娘が入れないなら僕は帰るって伝えて欲しい」

「招待だと? 証拠はあるのか、証拠は」

「はい、どうぞ」


 そう言いながら、彼は衛兵に自分の手配書を手渡す。当然彼らがすぐに険しい顔になる。


「ごめん、書式が違ったかな?」

「貴様、なんのつもりだ!」

「なんのつもりって、書いてるだろう? お姫様の名前がさ」

「まあ、そうだが……」

「ならこの話はこれで終わり。ほら、さっさと呼ぶか案内してよ」


 それから不機嫌そうな顔をして、衛兵の一人が場内へと入っていった。


「ところで、僕の賞金はお姫様が貰えるのかな?」


 残った一人に尋ねても、当然のように答えはない。


「ねえパパ、このお仕事楽そうだね」


 レッドと衛兵のやりとりを見ていたミサキが、随分な事を言い始める。

 すると衛兵が一瞬だけ眉を潜め、また仏頂面に戻る。


 それから二人は、顔を見合わせ笑っていた。






 結局お姫様が城門まで出迎えてくれることはなく、レッドはまた別の衛兵に場内を案内されながら彼女の部屋へと進んでいくこととなった。


「すごいねえパパ、あんなみごとな花瓶見たこと無いよ」


 豪華な城の内装を見る度にミサキがわかったようなわからないような事を言う。


「ああ、あれは貴族からの献上品ですね。なんでも地方の特産品だとか」


 その度に案内の衛兵は笑顔で説明した。なるほど門の前の連中とは役割が違うのだなとレッドは一人納得していた。




「それでは、こちらです」


 いくつかの階段と通路を抜けた先に、その豪華な扉があった。ひと目で高いと分かる取っ手がついた、そのまま盾としても使えそうなほど頑丈そうな扉。衛兵がそれをノックすれば、楽器のように上品な音が反響する。


「プルシア様、例の者をお連れしました」

「ええ、入りなさい」


 扉の奥から偉そうな声が聞こえてきた。命令に慣れている、そんな声の調子だ。


「では、こちらです」


 小声で衛兵がそう言うと、ゆっくりと扉を開けた。


 部屋の中も、当然のように豪華だった。

 天蓋付きのベッドに、ただの棚さえ高級だ。


 ただ、一つだけ不釣り合いな物があった。



 ――絵だ。

 豪華なかけられたその絵は、ほとんど素人の書いたものだった。

 ありとあらゆる一流の中で、それだけが平凡だった。




「あら、あなたがレッド? ふうん……賞金稼ぎの割にはあまりみすぼらしくないのね」


 優雅に紅茶を飲んでいた彼女は、絵に描いたような姫様だった。金色の長い髪はすこしだけゆるいウェーブがかかっており、身につけているものは一級品。髪飾りからハイヒールまで、どれも彼の賞金では変えないような金額だった。


「はじめまして王女様。お呼びいただき光栄です。こちらは娘の……」

「ミサキです、よろしくおねがいします」


 父にならって、彼女は丁寧におじぎをする。

 するとプルシアは席を立たずにそのまま顎でレッドを指した。


「あなた、父親にしては随分と若いようだけど?」


 ――随分な事を聞くじゃないか。レッドは心の中で悪態をつき、それからまた丁寧な態度を繕った。


「下々というのは、そういうものなんですよ」

「へえ、そうなの」


 意外な事に、姫様は随分と素直な感情を述べた。そのおかげで、レッドは彼女の認識を少しだけ改める。偉そうなお姫様から、世間知らずのお姫様に。


「レッドなんて、ふざけた本名じゃないのでしょう?」

「そう名乗っているのは、名乗らざるをえない理由があるからです……そんな世間話をするために僕の首に賞金をかけたのですか?」


 そう答えると、姫は随分と不機嫌な表情になった。それから紅茶を一口飲むと、納得したように立ち上がる。


「そうね、本題に入りましょうか……ねえあなた、姿が消える魔法が使えるんでしょう?」

「多少ですがね」


 もちろん多少どころではないが、それは黙っている事にした。


「なら、私に教えなさい。今すぐよ」

「は……?」


 思わずレッドが聞き返す。


「聞こえなかったのかしら? 私に今すぐ姿が消える魔法を教えなさいと言ったのよ」

「では一つだけ質問を。今まで魔法を誰かに師事されたことは?」

「ないわ、お父様が許さないもの。ちなみにあなたのことも秘密なんだから」


 レッドはついに目頭を抑え、深く冷たいためいきを漏らした。


「何よ、その態度」

「お言葉ですが王女様、それは無理な話です」


 そう、不可能だった。

 例えるならば、土台も立てずに雲だけ届く高い塔の最上階だけよこせと言うような物だった。基礎を教え、応用を教え、独自の理論を構築する。


「なら、いつなら無理じゃないのよ。明日? それとも明後日?」

「控えめに言って三十年後かと」


 かなり甘く見積もって、それぐらいだろうとレッドは考える。最悪の場合一生無理だとも考えるが、やはり彼がそんな失言をするはずもない。


「あなたねえ、私を馬鹿にしてるのかしら? 言っておくけど、私は天才なのよ。て、ん、さ、い。わかる?」


 それならミサキの方がよほど魔法の才能があるとレッドは言いかけたが、やめた。わざわざ王族の顰蹙を買う気はなかった。


「勉強も音楽も、それから……絵の才能だってあるのよ? 何をしたって、私は全部一等賞なの。だから、魔法だってすぐに覚えてみせるわ」


 彼女の目に迷いは無い。一点の曇もなく、まるで自分が世界の中心だと主張するかのように。




 ふと、壁にかけられた絵に目が行った。

 額に飾られたことで、一層悲惨になったあの絵を。

 それを書いたのは彼女だった。絵の隅にある走り書きは、間違いなく彼女の名前だった。




 そんな彼女に、レッドは同情した。同時に腹を立てていた。

 彼でなくても、それぐらいはわかる。彼女が優れているものは、きっと血筋だけなのだろう。


 第二、第三王女の末路など、彼の知る限り似たような物だった。

 そう、物――人間というよりは、献上品のような物。外交のために嫁がせるのは、賭場で手札を切ることと何一つ変わりはない。例えば貿易のため、例えば権力のため。便利に自分の血族を増やせる、都合のいい手札。


 だからすべからく愛される。生まれた順番が違うだけで、あなたが誰よりも愛されていると国を上げて一人を騙す。豚のように餌を貪らせ、肥え太らせて出荷する。


 どこにでもある運命を、彼女は才能と言い張った。


 許せなかった。それを良しとする世界が、彼には耐えられなかった。

 だから彼は、一人で生きられる道を選んだ。


 目を背けたかった。英雄が守った世界が、こんなものだと思いたくなかった。

 だから彼は、人との関わる事をやめた。




 ただ、今の彼の隣にはもうミサキが立っていた。

 笑顔で世界を救った彼女と、同じ名前の少女がいた。


 娘に逃げる父親は見せたくない。そんな人並みの感情が、千年経ってようやくレッドに生まれていた。


「なら、今から試そうか?」


 だから彼は、手を広げそんな提案を持ちかけた。

 彼女のためではなく、彼自身のささやかな抵抗だった。


 ふと目をやれば、机の上には飲み差しのティーカップがあった。それを指さし、彼はもっと適当な事を言う。


「それじゃあ、その紅茶を零してみて。手も足も触れないでね」


 やることも単純だが、彼なりに魔法の要素を詰め込んだ指導だった。


「……その方法を教わりたいんだけど?」


 斜めになった機嫌を何一つ隠そうとせず、プルシアはそんなことを言う。レッドが敬語をやめた事も原因の一つだったが、何よりもまず無理難題を押し付ける彼に腹を立てていた。

 

 眉間にしわを寄せ、レッドが頭を悩ませる。それを教えてやろうとしているのだが、仕方がないので彼は説明してやることにした。


「なんでもいいよ。カップを操って零してもいいし、中の紅茶を煮立てたっていい……あとは風でカップを倒してもいいかな。それに地震を起こしたっていいよ」

「できるわけないじゃない」

「それを可能にするのが魔法なんだけどな」

「そうだ、手本見せてくれたらできるわ。ねえあなた、ちょっとやってみせてよ」

「……折角だからミサキにやってもらおうかな。お願いしていいかな?」

「はーい」


 呑気な声で答えると、ミサキはカップめがけてそっと手で仰ぐ。




 ――突風が吹き荒れる。


 ベッドのシーツは宙に舞い、棚の物はひと通り風に飛ばされる。窓は無理やりこじ開けられて、プルシアのかぶっていた黒い帽子はそのまま空の彼方へと飛んでいった。


 机の上にあったはずのティーカップは突風に煽られたせいで地面に落下し、今はもうただの破片になっている。




「二十点かな」

「……ちゃんと倒したもん」

「倒すだけでいいんだよ」


 まだまだ修行が足りないなとレッドは心の底から落胆する。ミサキも怒られたと感じたせいか、少し機嫌の悪そうな顔をしていた。


「……いいわ、やればいいのね」


 手本を見て何かに気づいたのか、それともミサキに嫉妬したのか。どちらかは分からないが、とにかく彼女は手をかざした。


 もうそこに紅茶のカップなど無いというのに。


「紅茶、誰かに用意させるわ」

「別にその机でもいいんだけどね」

「ならそうしましょうか」


 だから彼女は机に手をかざした。傍から見ればほとんど変わらないが、天才のお姫様の中では何かが変わっていたらしい。

 それでようやく、レッドは諦めがついた。


 彼のささやかな抵抗は彼女の無能をもって幕を下ろした。


「それで、なんで消える魔法を覚えたいんだい?」


 そういう訳で、彼は話をすり替えた。






「私にはね、心を決めた人がいるの」


 女中に部屋を掃除させ、新しい紅茶を用意させ。


「リーガル将軍という、とても雄々しく強く優しい人」


 机の上には色とりどりの菓子が並べられ、三人はそれを囲んでいる。レッドは名前と同じ真っ赤な菓子を一つつまみ、口の中に入れてみた。

 

 頭痛がするほど甘かった。


「聞いているのかしら?」

「きいてる!」

「僕は全然」


 いつの時代も恋の話は女性の興味を引くようで、ミサキは目を輝かせながらプルシアの次の言葉を待っている。レッドは砂糖だらけになった口の中身を紅茶で流しこむのに必死であまり話には聞いていなかった。


「あら、お嬢ちゃんは見込があるのね」

「それで、続きは!?」


 見込みの無いレッドは居心地の悪さを感じていたが、それでも黙って話を聞くことにした。そうすることでしか父親の対面を保てないような気がしたからだ。


「リーガル将軍はね、まだここにいる時は会いに来てくれたのだけれど……今は遠くの拠点の警護に出ているの。手紙を寄越してくれるのだけれど、そんなので満足できるわけ無いでしょう?」

「わかるなあ」

「会いに行きたいのよ? けれどお父様がそんな事を許してくれるわけもなく」


 プルシアは紅茶のカップを揺らしながら、随分と遠い目で空を眺めた。

 それからレッドの顔を見て、嬉しそうに笑ってみせた。


「そこであなたの噂を聞いた訳。姿を消せるなら、いつだってあの人に会いにいけるでしょう?」

「なるほど!」


 なるほどとレッドも納得するが、自分が逢引きのせいで賞金首になったと考えると少しだけ嫌そうな顔をした。


「それで、いつ教えてくれるのかしら?」

「え?」


 間の抜けた声でレッドが答える。相性が悪いようで、プルシアがまた不機嫌そうな顔になった。


「だから、姿の消える魔法よ」

「ああ」


 それは、諦めたんだけど。などという無駄なことを彼が口走ることもなく。


「まあ、地道にやればおばあちゃんになる頃には会いにいけるよ」


 そういうわけで、至極真っ当な言葉を返した。




 誰かが机を強く叩いた。食器が揺れ、紅茶が少しカップから溢れる。


「パパわかってない!」


 犯人はミサキだった。普段レッドには見せないような、随分と真面目な顔でそんな言葉を叫んでいた。彼女を突き動かしていたのは正義だった。男にはわからない、女だけの恋の正義。


「それじゃあ、意味がないでしょ!」

「そうかなあ」

「あたりまえでしょ!」

「そうは言っても、僕らに出来ることはないよ」

「ある!」


 腕を組んで鼻を鳴らし、偉そうな態度でミサキが言う。


「わたしが連れて行ってあげる!」


 窓の外を指さしながら、ミサキは突拍子もない事を言い出す。


「本当!?」

「わたしだって魔法使えるんだから! ねえ、いいでしょパパ!」

「駄目」


 良い訳がレッドには何一つ見当たらなかった。いくら魔法を使えるとはいえ、ミサキに王族の誘拐をさせるわけにはいかない。


「どうしてこう父親って小うるさいことを言うのかしら?」

「ねー?」


 共通の敵を見つけたせいか、それとも男と女は永遠の敵なのか。どちらにせよミサキとプルシアは顔を見合わせ、互いに笑い合っていた。


「ちょっとあなた、どうしてそう過保護なのかしら」

「できれば君にはもっと立場を考えて欲しいんだけど」

「あら、それならとっくにわきまえてるわ」


 まるで一人前の淑女かのように、気取ったように彼女はカップを傾ける。その姿がレッドの目にはひどく滑稽なものに見えた。


「今の私は、ただの恋する一人の女よ」

「おー!」


 ミサキは感嘆の声を上げる。言いようのない頭痛がレッドを襲うが、そんなことを女性陣が気にするはずもない。


「じゃあパパ、わたし達行ってくるから」

「どこに?」

「その将軍のいる拠点!」

「だからどこ?」

「そうね、たしか名前は……」


「プロヴィア拠点よ」


 レッドの呼吸が一瞬止まる。

 



 ――それは故郷の名前だった。


 千年前、黴の生えた伝説が幕を開けた、そんな始まりの場所。




 二度と帰りたくはない。

 恨んでも恨み足りる事はない。


 そんな、故郷の名前。

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