第二章 ハジメとケイン 7
ハジメは、牢屋から出された。ケインとマルコに挟まれて、ハジメは廊下を歩かされた。マルコが三十代のせいか、なんとなく保護者が二人の子供を連れているようにも見えた。
「朝メシもまだなのに、おいらをどこに連れて行こうってのさ」
「これから貴様をシャワールームに連れていくんだ。黙って歩け」
マルコの言葉を聞いて、ハジメの顔が明るくなった。
「子供ってのは、現金なもんだな」
マルコは、苦笑した。
三人が現在向かっているのは、一般の兵士が使用しているシャワールームだった。
元々、潜水艦基地は秘密施設であり、捕虜を長期間拘束するケースを想定していなかった。事実、現在捕らえられているのは、ハジメだけだった。しかも、海軍が子供のハジメを捕らえていることなど、外部に漏れてはいけなかった。世間に知られても、理由の公表など出来ないからだ。
アイザック隊長の部屋に、書類が届けられた。
「ご苦労。意外に早かったな」
書類を受け取った隊長は、書類を持って来たダークスーツの男を部屋から出した。隊長は、ハジメの身元を情報部に調べさせていたのだ。
「あの少年、何者なんだ?」
隊長の疑問の答えが、今彼の手の中にあった。机を椅子がわりにして腰掛けると、隊長は封筒から書類を取り出した。隊長の放り投げた封筒は、音もたてずに床に落ちた。
「名前、ハジメ・モトシタ……。父親は、秋津島国領の総督か!」
どうりで、身元が割れるのが早いわけだ。もっとも、隊長はそんなことを考えている場合ではなかった。
まずい。ハジメを隠し通さないと、国際問題になる。隊長は、自分の権限を越える事態に直面したのだ。書類をさらに読み続けた。
「誕生日は……。ん、なんだ、これは?」
手に持っていた書類を、隊長は床に落としてしまった。最後の一枚が床に落ちた時、すでに隊長の姿は部屋に無かった。
「やめろ、やめるんだケイン!」
隊長は、廊下を全速力で走って行った。
シャワールームに、隊長は到着した。
「ケイン! ハジメをシャワーに入れ……」
ドアを開けた瞬間、隊長の顔にケインの頭が命中した。隊長は、後ろにのけぞって倒れた。
「た、隊長。ここは撤退です」
ケインの後から続いたたマルコが、折り重なった二人を踏みつけながらドアから飛び出た。
「みんな、一体どうしたんだ?」
「来るな! お前はシャワーを浴びていろ!」
裸で首をかしげるハジメがシャワールームから出ようとしたので、最後に飛び出たフィルが勢いよくドアを閉めた。
四人は、ドアの前で呆然と突っ立った。
「ハジメって、女の子だったんですね」
ケインが、ぼそっと呟いた。
「俺だって、さっき知ったんだ」
隊長も、ぼそっと返事をした。
シャワーを浴びたハジメは、新しい服を来てシャワールームから出て来た。服を洗濯すると言われて、ハジメは新しい作業着を要求していたのだ。
新しいハジメの作業着は、ノヴァ海軍の工兵が来ているのと同じベージュ色の作業着だった。
「おいらの帽子、どうしたんだよ」
ハジメは、帽子をかぶっていなかった。
「変な気をおこさないように、ゼロマルとの通信装置は俺たちがあずかっている」
それを聞いて、ハジメは怒り出した。
「まさか、捨てちまったりしてないよな!」
「そんなことはしないよ。操縦者を変更する方法が判れば、ちゃんと返すさ」
「ゼロマルは、誰にも渡さない」
思わずケインにつかみかかろうとしたハジメを、隊長が羽交い締めにした。
「やめろ、これ以上暴れるとたとえ秋津島国の総督の娘でも、ただではすまんぞ」
隊長のその言葉が、余計ハジメを怒らせた。
「あいつは、関係ねえっ!」
思い切り首を振りまわしたハジメの後頭部は、隊長の顔を直撃した。しかし、隊長はひるまずにハジメを牢まで運んでいった。
「一晩、頭を冷やすんだ」
ハジメを牢屋に放り込むと、隊長は鍵をかけた。
「ゼロマルは、絶対渡さないからな!」
ハジメは鉄格子をつかみながら、立ち去っていくケインたちに向かって叫び続けた。
それから数分後、『偏西風』のメンバーは、食堂に集まっていた。隊長は、隊員たちに向かって口を開いた。
「さて諸君、彼……彼女に今日の朝食を届ける役は誰がいいと思う?」
フィルとマルコが、同時に答えた。
「「ケインです」」
「そんなあ」
さっき喧嘩したばかりなのに、損な役をケインは押し付けられてしまった。
「あー、どうしよう」
トレーを持って、ケインは牢屋に向かった。
ケインが朝食を持って牢屋を覗くと、ハジメはマットレスの上でふて寝していた。
「ハジメ、起きているか」
ハジメは、返事をしなかった。
「朝食、ここに置いとくからな」
トレーを小窓の前に置くと、ケインは鉄格子から離れた。
「おい、ケイン」
ふいにハジメが声をかけてきた。
「さっきは、悪かったな……」
それだけ言うと、ハジメは黙ってしまった。
「ハジメ……」
ハジメの気持ちが判ったケインは、静かにその場から去っていった。
「根は良い奴なんだけどな」
そう思いながら廊下を歩いていると、隊長が壁にもたれて腕組みをしながらケインを待っていた。
「よくやったな、ケイン」
隊長は、そう言ってケインの前で握った右手の親指を突き立てた。
「あいつも、お前なら少しは心を開くと思っていた」
「本当ですか?」
ケインは、隊長の言葉を疑った。
「まだ子供ってことだ。あいつも、お前もな」
そう言って、隊長はケインの頭をくしゃくしゃになでた。
ケインは、釈然としなかった。