消えた重みの歴史
曲がりくねった洞窟内は風通しが酷く悪い。
ゆえに撒き散らされた毒の霧は未だに留まったままだ。
とはいえ、霧が晴れるのを待つ時間は俺には無い。
「っふ」
息を浅く、霧を吸い込まないよう、地面に降り立つ。
周囲を見渡し状況確認すると、徐々に舌が痺れて涙が滲んでくる。歪む視界で何度見ても、見間違える事はない。
あれだけあったソルは綺麗さっぱり消えている。
「くそっ、してやられた」
トップ集団は当然回収しているだろう。
けれど、俺とグラフォは選手全体で前方を飛んでいた。トップには及ばないものの、何とか食らいつけているくらいだった。
つまり、さっきの選手に全て盗られたという事は、ソルを得ていない選手が多くいる訳で……
ドラゴンの羽ばたきが聞こえて身を屈める。
現れたのは男性騎士らしき選手とその相棒のスコリアドラゴンだ。マグマで体を流した直後なのか、ゴツゴツの岩肌に所々赤色が見える。
スコリアドラゴンが空間上部で急ブレーキをかけ、大きく旋回する。
恐らく、ソルが無い事に気づいた。
そして地面スレスレを飛行し、そこに敷かれた装置の真上を通過する。その瞬間、男性騎士は悲鳴を上げた。
「ここ!? やだぁ! 全部盗られちゃってるじゃない!」
筋肉質な見た目にそぐわない甲高い声が周囲に響き渡る。
悲鳴を上げる男性騎士に戸惑い、相棒のスコリアドラゴンは上空にて留まる。
ソルを浮かせておく装置だけあるとなれば、何があったのか一目瞭然だ。
そして悲鳴と同時にドラゴンの風を切る音がやってくる。また後ろから女性選手がひとりやって来ていたのだ。
「悲鳴なんて何事……だ…………っ!?」
細身の女性選手も彼の悲鳴を聞いていたのだろう。
視線は地面に敷かれた装置を睨みつけていた。
そして怒りを露わに吐き捨てる。
「荒らしかっ! 急ぐぞクレイクス! ここにもう用はないっ!」
「!? あたし達も行くわよ、ゾラっち! 取り返すわっ!」
悲鳴をあげて肩を落としていた男性騎士は後ろの選手に追い抜かれた事に焦ったのだろう。
甲高い声で気合を入れて飛び去って行く。
俺も早く行かないといけない。
出口へと目を向けた時だ。
「…………?」
ある壁を前に足が止まる。
古い文字が壁に彫られている。どうやら名前のようだ。カミル、エリナ、ソリオ……ほとんどが掠れて読めない。
中央には何か大きな文字が彫られていた。
「忘れないで、か?」
その間に何体もドラゴンが飛び去っていった。
見ていたのは、ほんの一瞬。
でも文字だけはしっかり目に焼き付けた。
「よし覚えた。忘れないから」
壁の文字をひと撫でし、出口へと駆ける。
俺とグラフォなら今からでも追いつける。
「アール! 悪い! ひとつ目のソル全部取られたっ!」
取られたのなら取り返すまでだ。
——しかし、アールからの返事はすぐに返ってこなかったのであった。
***
一方その頃、浮遊都市フューシャデイジーの、とあるスクラップ場にて。
低く唸る機械音がゆっくりとゴミ山の合間を縫っていた。壊れかけの音と共に現れたのは黒いマントを被った猫背のアンドロイドだ。アンドロイドは黒い操作棒に縋り付くように立ち、動く台の乗り物の上で幽霊のように揺られている。
怪しげな風貌のアンドロイドは装飾をジャラジャラ鳴らし、案内している相手——アールへと振り向いた。
「えぇ、えぇ。ワタクシには分かりますともぉ。調査、ですよぇ」
後ろを歩いていたアールは周囲のゴミ山に視線を向けたまま、アンドロイドへ返事を返す。
「管理人。何度も言うが、ボクの目的は明かせなイ」
「えぇそうでしたねぇ。ワタクシは治安維持をしてくださる騎士の皆様に感謝をしたまで、ですよぉ」
アンドロイドの管理人はアールを騎士だと勘違いしていた。
それはアールが騎士に"見える"よう管理人に幻をかけているからである。
「ヒィッヒィッヒィ」
「……」
独特な笑い声を上げて上機嫌な管理人を放置し、アールは周囲の違和感を観察する。
「いやはや、いやはやぁ。近年は浮島を安定させる魔導具が出来てからというもの。ワタクシのゴミで重さのバランスを取る必要も無くなりぃ。人も来なくなりぃ……」
「止まレ」
アールの制止により、スクラップ場の中心あたりで歩みを止めるふたり。
「ふム……ここカ」
アールがゴミ山のゴミのひとつへ右手を伸ばす。
アールの鎧の指先がゴミへ触れた途端——ポン、と金属ゴミは軽い音を立てて膨らみ、弾け飛んだ。
その音を合図にスクラップ場のゴミが次々と異様に膨らむ。
錆だらけの金属操舵輪、巨大水晶ディスプレイ、変色した皮膚ロール、建築物の石材までもが風船のように膨らみ——
パン。パパパン。パパパパパパ。
スクラップ場の中心から端まで、破裂音が波紋のように広がっていく。
音が収まり、静けさを取り戻した時。
このスクラップ場にあった筈の存在が——根こそぎ消え去っていた。
アールは少し目を開いた後、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「不味イ。ライの狙いハ」
側ではアンドロイドの管理人がギシギシと体を軋ませ、乗り物ごと大きく震えていた。
「ゴゴゴ、ゴ……ゴミ……が……ぁ、ワワ……ワタク、ワタクシたちの歴史がああああああああ!?」
全身で叫び声を上げた管理人はがくりと項垂れ操作棒に体が引っかかる。
あまりの衝撃に完全にショートしていた。
しかし直後、腹からバネのように跳ね上がる。
およそ人ではあり得ない動きで、壊れた表情をアールへ向ける。
機械の眼球がぐるりと一周しあらぬ方向で止まり、アールにとって聞き慣れた敬語が発される。
『あーあ、管理人さんが壊れてしまいましたね。こんな酷い事するなんて、ダメじゃないですか。アール』
「どの口が言ウ」
ライ、とアールが呟けば、管理人の口が嬉しそうにガチャガチャと動いて割れる。
反対にアールの表情は険しいままだ。
『アール、貴方はいつだって全てを知っている。貴方に隠し事は出来やしない。でもね』
水が黒く汚れるように、空は黒く塗りつぶされていく。ライの幻だ。
『成すまでの間だけ、隠すことは可能だ。ずっと貴方の隣に居た僕ならね』
「……そうカ。なラ」
アールが鎧の右腕を振り指をパチリと鳴らす。
「ボクが何度でも暴いて晒して正してやル」
途端に空は元通り、抜けるような青空が広がる。
「なんせ、ボクは良いやつだからなァ」
『……ふ、ふふ。思えば、アールと本気の"遊び"なんて初めてですね』
楽しみにしてますよ、と管理人が興奮するように大きく震えて地面にがしゃんと落下する。
『…………おい! ……おい、アール! 何かあったのか!?』
「おウ、遅くなったナ。ちゃんと聞こえているゾ」
伝える事は変わらず、ソルを全て奪い取れ、とレストに告げる。
その後、アールはめぼしい場所を遠くから観察する。
「今コッチで動けるのハ……」
失われたものの重さを知っていたのは、アールだけだった。




