突破する者たち
観客達が一斉に声を合わせ、カウントダウンが進んでいく。
目を閉じ、俺はタイミングを合わせてチーサクナールを飲んだ。
口の中にどろりとした甘い余韻が残る。もう何度も飲み慣れた味で段々と癖になってきた。
近くでドラゴンが鼻を鳴らす。きっと待ちきれないのだろう。
……いや、周りに意識を向ける余裕なんて俺には無い。集中しろ。
大きく息を吸う。
俺とグラフォ。
俺達だけに意識を向ける。
段々と周囲の音が遠ざかっていく。
そう、ここは静かな場所だ。
俺の意識の遠くで、待ちきれんと言わんばかりのカウントダウンが聞こえる。そのくらい。
徐々に体が熱く、鼓動が速くなっていく。
そして、心臓の音が一度、どくりと大きく響いた。グラフォに触れる。
今のカウントダウンは————ゼロだ。
***
『さぁーーっ! 一斉に選手たちが空へ飛び出したっ! 第150回浮遊島飛行レース! 開っ幕、です!!』
マイク越しに解説者の興奮が全観客へ伝わっていく。
それがより一層観客たちの歓声を大きく盛り上ていた。
スタート地点であるドラゴンポート上空は開始直後から激しい混戦状態だ。各選手たちの羽ばたきによる風圧は観客席にまで押し寄せていた。
狭い空域で翼と翼がぶつかり合いがそこかしこで起こり、尾を振りブレスが吐かれライバルの蹴落としが頻繁に起こる。
『レース最初の難関、ドラゴンポートからの離陸ではいいっ!?』
そんな戦と化した中、白銀と蒼が飛び出し、空に線を引く。
『先頭出た! 飛び出した! 速い早いっ!! あれは——優勝候補のシルバ・セレナイト!!』
シルバとメロディのペアが長い身をくねらせて空を泳ぐように先頭に躍り出た。
その直後、大きな赤が周りを吹っ飛ばし、羽を大きく広げて空に存在感を示した。
『っ、僅差でガンドール・スカーレットっ、出た出たっ! 今年も気持ち良い豪快さだっ!! そして後続続々続く! 先頭争いは既に熾烈だ!!』
ガンドールとレディのペアが選手たちによる妨害を吹き飛ばした途端に大きくなる歓声。
レディ・レッドの妨害突破は近年恒例の一種の名物だ。
その後、シルバとガンドールの後を追うように、遅れて抜け出せた選手が続いて飛ぶ。
『今回は浮遊島飛行レース史上、最高難易度コースだと言われています! にも関わらず初っ端からこの速度! 選手たちの動きに迷いはない! 今日は全員、本気だ!! 全員が本気で勝ちに来ているぞッッ!!』
しかし最早戦場のような状態のドラゴンポート上空で、選手全員が無事に飛び立てるとは限らない。
『ああっ! 混戦状態のドラゴンポート上空で墜落者発生しました!』
密集した場所で誰かが落ちれば、他の選手も巻き込まれるのは必然だった。
『墜落が連鎖する!! 連鎖して墜落者多発!!』
悲鳴や怒号、声援が入り混じる。選手、その相棒、観客すべて。
そんな時、解説者が墜落者たちの合間に小さな鳥を見つけ、息を呑む。
『墜落者たちの中に野鳥が混ざっていますね。あの鳥、危ないかもしれ……いやあの動き!? 選手です!? あれも選手のひとりです!』
観客席の前方で魔術による半透明で大きな幕——グローリア・ヴェールに拡大映像が映し出される。
魔術で体を小さくしたであろう金髪の青年が鳥の背中に乗って、落下していくドラゴンたちの隙間をすり抜けて飛ぶ。
『とっ、突破したー!? ドラゴンの巨体をすり抜け、突破しました!! すごい凄い!? 今回のレース! これは目が離せなくなってまいりました!!』
解説者や観客の目線、全神経が選手へ向かい、歓声がより一層熱を帯びていった。
***
空高く突き上げた二つの尖塔の内、片方の屋根の頂上で、ノヴァが眼下のドラゴンポートを眺めていた。
そこでは冷えた空気の中、下から上へ熱気の風が吹き抜ける。
眼下ではレースが開始され、一斉に飛び立つ選手たちの熱いぶつかり合いが起こっていた。
「…………」
ドラゴンたちがぶつかり合い飛び交う中、一頭のペガサスがノヴァの目に留まる。
翼をつけた純白の馬、ペガサス。
そしてペガサスに身を預けて懸命に前へ進む女性。
「……」
そんな彼らに、ノヴァは思わず重ねて見てしまう。あり得たかもしれない未来を。
彼を背に、雷獣としての自身が駆けるその風景を。ドラゴン飛び交う空の中に見えたのだ。
「……あのような有象無象、儂なら一蹴しておったろうに」
仮面をするりとひと撫でした後、ただただ静かにノヴァはレースを観戦する。
長くも短くもない時が経った頃。
ふと、ノヴァの視界の下で黒いものゆっくり横切った。
「……む?」
ノヴァが改めて下を覗き見るが既にそこには何もない。
普段外を歩くだけなら何が飛んでようが気にしないノヴァだが、ここは空高く浮かぶ浮遊都市だ。そのさらに空高く突き上げる塔の頂点である。
野鳥ですら見かけるのは珍しい程の高さだ。
「ふむ……ここの建物の内部は、世界ドラゴン保全機構本部であったか」
視界の端の黒い影。ノヴァの脳裏をよぎるのは、あの憎たらしい黒い蝶だった。
ノヴァは窓のある場所まで空を歩いて降りると、窓枠の鍵部分に手を触れ雷撃を放った。
バチリ、と焦げついた窓はノヴァの手により、すんなりと開いた。
そしてノヴァは一切迷うことなく、建物の中へと入り込んでいったのだった。




