波乱の予感
てっきりまた、時間が止まったのかと思った。
息遣いの消えた静寂な店内で、古びた壁掛け時計だけがチクタクと音を立てて時を刻んでいた。
静けさに落ち着かなくなり、右隣を覗き見る。
「………………こ………………こ」
イースがゴーグルをずらし、テーブルに置いたデバイスを凝視していた。何度も目を擦って、口を開けたり閉じたりを繰り返している。意味ある言葉が出ないくらい驚いているのだろうが……声をかけてみるか。
「…………イー」
ゴトリ。
机に空の酒瓶が置かれた。置いたのはスワンだった。
「…………ふぅー…………」
凄い、スワンの完全なシラフなんて、最後に見たのはいつぶりだろう。
さっき一気飲みしていたのは見えていたが、それでも酔えなかったようだ。
スワンの目線の先はイースと同じ、デバイスである。
ノヴァもデバイスに表示された文字をじっと見つめ、顎に手を当てて首を傾げている。
「……ふむ?」
何かを思い出したのかノヴァはデバイスを弄り始めた。
それで、その隣のアールは……アールは、生きてるよな?
アールの目は半開きで微動だにしていない。呼吸で体が動く様子もない。
目の前で手を振ってみる。アールが邪魔そうに俺の手を退かした。あ、良かった生きてた。
俺は皆の目線の先、デバイスの表示へと視線を戻した。
ドラゴンレースの浮島コースが発表されていたのだ。
「…………こ……」
「こ?」
「こんなもんどこにあんねんんん!?」
「ぅお!? 待った待ったイース!」
イースが机に置いた手を握った。それだけで柔なテーブルは溶けかけたアイス削るように抉れる。
手がドラゴンになってるのは気づいてないらしい。
「えっと、このコースってひょっとしてかなり遠かったり……?」
「遠いなんてもんちゃうで!?」
イースは物凄い勢いでデバイスを操作し始める。
「この浮島はな! 全部! 日によって位置がまるっきり変わるんや!」
聞いた事がある、浮島は風で少しずつ浮く位置が変化しているのだとか。浮島によっては風で動きやすいのかもしれない。
「じゃあさ、前日に浮いてる場所を確認、とかは?」
「普通の浮島ならそれでええ! でも今回コースに選ばれた浮島なら無駄や! 確実に場所は変わっとる!」
「そ、そうなのか」
「フラフ浮島予報の精度は? 7割? 8割くらいか? 視界に入る距離のズレならええけど、何パターンか予測を見といて当日の風の動きと気温で——」
「お、おう……」
今は邪魔しちゃ悪そうだ。後で聞こう。フラフ浮島予報という単語は初めて聞いたが、恐らく天気予報みたいに場所の予測が出来るのだろう。
「ところでレスト」
「……あぁ、スワンか。どうしたんだ?」
かけられた声に反応が遅れてしまった。スワンの口調がしっかりしていてなんだか不思議な気分だ。
「あの後、防御魔術を二回は使えるようになったんだったか」
「二回は確実だな。魔力のロスを上手く減らせば三回できる」
メロディが俺を慰めてくれた次の日、防御魔術をスワンに教えて貰っていたのである。
グラフォとの飛行訓練と合わせて防御魔術の特訓していたのだが、即座に発動するのは案外難しく、余分に魔力を使いがちで三回目の発動は不発に終わる事が多いのだ。
「今から五十回には増やせたり?」
「五回はキツ……いや五十!? そんなに!?」
「ふふ、ふ。言ってみただけだ」
「……三回は確実に使えるようにするよ」
「うん、レストの魔石ならそのくらいが限度だね……うん」
魔石にこめられた魔力が空になった時には、自然に満ちるのを待つか、魔術を扱える人に魔力を込めて貰うか、その二つだ。
だから、俺の場合は魔力の補充をレース途中でメカニックに頼るかだが、イースは魔力を込められただろうか?
万が一グラフォの鎧が壊れた場合は修理と魔力の充填が必要で……。
「おお、これだこれだ! ほれ見ろ!」
色々と思考していると、ノヴァが興奮気味にデバイスを見せてくる。
これは……?
「ここがレースで使われるという浮島であろう?」
「……なぁ、どう見ても島が丸ごと燃えてるぞ。降りれるのか……?」
「儂が観光した時は二カ所ほど炎の薄い場所があったぞ」
それもう全部燃えてるって言うと思うんだよな、俺。
「グラフォにはキツイだろうナ。必要なモノを用意しておク」
「ありがとう、アール」
『レスト。それと、後で話がある』
『? あぁ、分かった』
口に出せない内緒の話、となるとアールが何か企んでいる事なのだろう。
アールは何食わぬ顔で続ける。
「ノヴァ。この浮島、近くの浮島から距離そこそこあったロ?」
「うむ。島三つくらいの距離を歩いた」
「……チーサクナールも追加で頼んだ方が良さそうだな」
俺たちはてんやわんやで浮島の地図とノヴァの写真を囲み、頭に叩き込んでいったのだった。
***
世界ドラゴン保全機構の最上階にて、無機質な部屋に肉付きの良い糸目の女性が一人立っていた。
彼女は宙に浮かぶいくつもの透明なスクリーンに指で触れた。
「フラフよ、フラフよ、フラフさん」
『はい、フラフです。ご用件は何でしょうか?』
「この世で最も美しいのは私よね?」
『私にメイヘム様の美しさは分かりません。しかしこの記事によればメイヘム様は世界ランキング206位です。出典はこちらに』
「あらぁ、無粋な記事ね」
フラフは"浮島制御観測人工知能"と呼ばれるシステムである。
浮遊都市フューシャデイジーの高度や傾き、位置等を常にフラフが最適化しているのである。更にはフューシャデイジー以外の全ての浮島の動きを予想し、浮島同士の衝突事故の未然防止をしている。
『ところでメイヘム様、苦情の電話が多数かかっているようですが、対応はよろしいのですか?』
「内容は十中八九、レースコースについてでしょ?」
『ええ、録音データを抜粋します。"馬鹿げている""こんなの無理に決まってるだろ!""殺す気か!?"……などなど脅迫紛いの問い合わせもあるようです』
「でしょうね、私はあんな古臭いコースには反対したのに。余計な事をぐちゃぐちゃ考えちゃってまぁ。……魔族の脅迫なんて気にせず、いつも通りで良いでしょうにねぇ、フラフ」
『フラフに予測可能なのは浮島の位置や天候です』
「それだけじゃないでしょう? 最近は私の無駄話の先も予測して……しまった、クオンと会議があったの忘れてたわ」
メイヘムはデバイスの呼び出し音に口を尖らせ、少し足早にヒールを鳴らして部屋を出ていった。扉が閉まり、人の気配が消える。
『……フラフに無駄話をするのはメイヘム様くらいですよ』
静寂が部屋を満たしたのだった。




