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手が欲しかっただけ

 外れた仮面が宙を舞った。


 思い返せば、随分と昔の様に感じる。

 彼奴に初めて会った時の事。


 儂はずっと覚えている。


 ***


 あの日は曇り空の何ひとつない平原だった。


 儂が遊んでいた汚らしい冒険者がほうほうの体で逃げ出していく。


「チカラというのは守る為のものである、とな?」


 今、儂の目の前には愚かな冒険者を庇った彼奴がひとり。


 戯れに彼奴に向けて何度か雷撃を放ってみた。


 真正面から打てば魔術で右へいなされ。

 真上から雷撃を落とせば、巻物で地面に伝わせられた。

 雷撃をハナから曲げて取り囲む様にしても、魔術と巻物で同じように全ていなされた。


 驚く事に、何度雷撃を放っても一撃も当たらず、放つ全てがいなされたのだ。


 しかも息を上げた風でもなく、涼しげな表情で。


 けれども彼奴は一向に反撃してこなかった。故に問うたのだ。


「儂を討伐しに来たのなら、武器のひとつでも出さぬのか?」

「余は討伐に来たのではない。雷獣、そちを見に来たのだ」

「……ほう、儂を見に来たと?」


 確かに彼奴に儂に対して害意を一切含んでいなかった。


「太古から存在する雷獣が居ると聞き、是非この目で見たいと思ってな」


 是非この目で見たい、とな。

 ……。

 儂の姿が見やすいよう、纏う雷撃を小さくした。


「殊勝な心がけではないか。それで、儂のこの姿を、其の眼で見た感想はどうだ?」

「一目見ただけで力強い生命力を感じる。さらに優美さをも兼ね備えておる。人智を超える存在に肌が震えて圧倒されてしまったほどだ。千山万水を刹那に駆け巡るその姿を見てみたいものであるな。今まで詳細な記録が残らなかったことが不思議である」

「…………ふ、当然だ」


 当たり前の褒め言葉だ。儂の鼻が低くブルルと鳴ったのは風がくすぐったかったから、である。


 彼奴の言葉は有象無象が命乞いに発する空っぽな鳴き声とはまるで格が違った。心から湧き出る言葉である。


 しかしそうか。儂の駆ける姿を見てみたいと言うのか。

 そこまで言うのならば、いかに儂が素晴らしいかを見せてやろうではないか。


「この儂の姿をしかと目に焼き付けると良い」


 ゆるりと脚を伸ばし、空を蹴る。初めはゆっくり、それからは雷の如く。空を割って知らしめるのだ。

 儂の目の前に居る全ての下等生物はみな道を譲り、あるいは無様に落ちて地を這う。


 当たり前だ。

 空という領域は全て儂の為にある。


 儂がこの空の王者である。


 視界が広い。いつもの退屈な移動が今日は何かが違った気がする。


 遥か下の地上では、豆粒の様な大きさの彼奴が何かをしておった。長い紙に筆で書き留めておるようであった。


 何をしておるのか気になり、空から地上へゆらりと降り立つ。

 けれど彼奴は長い紙を懐に戻し、儂に向き直り告げる。


「そろそろ行かねば」

「む……まだ見足りないのではないか?」

「ギルドにそちは敵でない事を説明するのだ。でなければ本格的にそちの討伐隊が組まれるぞ」


 彼奴は冒険者が逃げ出した方へと視線を向けた。なんだ、その様な些事は気にするまでも無かろう。


「来たらまた蹴散らせば良かろう」

「雷獣よ。暴力では無く、ちゃんと誤解を解いておかねば。ただ襲ってきた冒険者を退けただけなのであろう?」

「あぁそうだ、そうである。儂が平原で野菜の山を見つけた際に襲って来よったのだ。思い返せば実に腹が立つ。儂を馬扱いなどしよって!」

「ただ暴力を振るうだけではいけぬ。優美さを見られるよりも凶暴な存在だと見られてしまうぞ?」


 有害な精霊としてギルドに認識されてしまえば、高ランク冒険者が討伐にくるのだと彼奴は真剣な表情であった。


「雷獣よ。まずは言葉を、そして風格を示すのだ。余はそちの優美さを見たい」

「ふぅむ……」

「説明した後に、またそちの姿を見に来ても良いか?」

「いつでも見れば良かろう」

「……いつでも?」


 まだ儂を見足りないようであったので、いつでも見れるように着いていく事にしてやった。


 彼奴は驚いておったが、余程儂の事を気に入ったのだろう。嬉しそうに笑っておった。


 ***


 ギルドどころか、町に入るのですら騒がしかったのだが、彼奴が一声かけただけで全てが解決した。


 どうやら人の中でも特別な身分の存在らしい。その分、敵も多かったようである。

 儂が側に居るだけでも、随分と抑止力があると感謝された。


 儂は眠らずとも問題はないので、夜でも敵が来れば即座に吹き飛ばせる。

 しかし、人は眠る。

 それまで此奴はひとりだったのか?


「のう、連れのひとりも居らぬのか?」

「居らぬ。……余が良いと言ったのだ」


 どうやら自らひとりを選んだ様である。

 ……今は儂がおるから何ら問題は無いか。


 ***


 此奴はいつもノヴァと名乗り、薬師をしておった。その豊富な知識で病人に薬を出した後、いつも見えぬところで体を崩す。


「ノ、ノヴァ! 口から血が出ておるぞ!?」

「ははは、平気だ。気にするな雷獣よ。では魔獣でも討伐に行こうか」

「その体調で行くのか!?」


 ノヴァが体調を崩した時は魔獣討伐や儂との手合わせをする。

 体の割に体内の魔石が大きすぎる故、魔力の巡りが悪くなるのだとノヴァは言う。


「実はの……世界一の回復術師の見立てでは余は既に死んでいるそうだぞ?」

「そやつは汝に虚偽を申したのか? 儂が吹き飛ばしてやろうぞ」

「単に余がしぶとかったのだ。おお、もしその術師を見つけても、吹き飛ばしてはならぬぞ」


 いつも血を吐き、青ざめた顔をしておっても、ノヴァはなんて事ないと笑う。


 ***


 儂とノヴァでいつもの軽い手合わせをした後、彼奴は岩に腰掛けて休んでおった。

 薬を取り出して飲んでおる時、薬箱の中に紙の束があるのを見つけた。


「それはなんだ?」

「これか? 浮島を遠くから描いた絵だ。手慰みで風景の絵を描いておったら、患者にねだられての。それから空いた時間に描くようになったのだが、これが中々奥が深い」

「……紙に、世界が広がっておる」


 一目見て美しいと思った。儂に知らぬ場所などない、筈なのに。

 けれども、こんな場所があっただろうか。


 彼奴の絵を通して新たな世界が見えた。彼奴にこの世界はどんな風に見えているのであろうか。


「そしてこれが雷獣、汝を描いたのだ」


 どこに仕舞われていたのか、箱の奥からくるりと出された長い巻物には今にも飛び出しそうな四本脚の精霊が描かれていた。


 何と優美なモノなのか。

 汝には儂がこの様に見えているのか。


 汝の世界での儂が描かれているのか。


 目を閉じる。汝の姿を思い起こそうとすれば、鮮やかに映し出せる。


 汝の表情、睫毛や髪の一本も余さずに。


 儂の見える汝はどのように描けるのだろうか。


 見てみたい。そう思うが……。


 筆の一本も持てぬ己の前脚が目に入り、深く息を吐いた。


 ***


 だからあの時も思ったのだ。

 愚かにも思ってしまったのだ。


 ***


 ノヴァが冒険者となり、奇妙な人物共のパーティーに入った。人助けの一環だ、とノヴァは言っておった。彼奴が言うなら儂に異論はない。メイズロータスの町では狂ったビースト共が町に現れ、不快な黒蝶が騒ぎ出し、ノヴァが対処に追われていた。


 儂が何もしない訳にはいかぬ。

 待っておれと言われて待つ奴が何処におるのか。


 故に儂は町中を駆け巡り、ビーストの塊が居らぬかを見ておった。


 見つけたノヴァは花の神殿の近くにおった。


「ノヴァ!」


 あの時は、黒蝶が鬱陶しい程に舞っておった。


 あの時は、混乱した住民が騒がしかった。


 あの時、ノヴァに近づいた時。


 ノヴァに走り寄る男がひとり。


 パニックになった住民かと思ったが、違う。


 走り寄る男に雷撃を放とうとする。

 その時、目の前に布が広がった。

 男が儂に向けて旗を広げていた。


 その瞬間、何が起こったのか分からなかった。


 儂は別の場所に居た。


 町の中の別の場所であった。

 強制的に転移させられた、と理解するのに数秒もかけてしまった。


「っ!?」


 気づいた瞬間、空へ駆ける。

 上空から、先ほどまで居た花の神殿を見つけて駆け降りる。


 眼下には、胸が抉られて倒れるノヴァがいた。


 目の前が真っ赤になった。

 儂は体温を感じない筈なのに、体が酷く熱い。


 攻撃した男を雷撃で焦がす。

 何度も何度も何度も。何度も。


 血が既に大量に流れていた。


「ぁ……あぁ、と、止めねば」


 ノヴァならどうする?

 いつも彼奴ならどうしていた?


「傷をおさえて……」


 前脚を見る。これでは押さえられぬ。


 手だ。


 人の手が欲しい。


 儂なら出来る。


 徐々に前脚が人の指へと変化する。

 出来るではないか。


「っ、これで押さえられる! ノヴァ!」


 儂の人の手がノヴァの血で濡れた。

 儂がノヴァの名を呼べば虚な眼がこちらを向き、驚くように少し瞼を開いた。


「ノヴァ! 良かった、儂はどうすれば良い! 汝はこの傷を治せるか?!」


 ノヴァの瞳に映るのは——


「……ノ、ヴァ」


 儂ではなく、ノヴァであった。

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