治せない
「……私には治せない」
胸に穴の空いたノヴァを見てスワンはつぶやいた。
仮面を付けたノヴァを追ってスワンがたどり着いた場所は花の神殿の目と鼻の先に存在する広い花屋だった。
周囲では人々が逃げ惑っているその瞬間で止まっている。皆一様にして焦げて破壊された花屋から逃げ出している。
そこでは売り物の花が道のあらゆる場所に散らかり、踏みつけられ、その中で胸に穴が空いてノヴァが広い血溜まりの中で横たわっていた。
ノヴァの、丁度心臓にあたる部分が周辺の肉や骨、服ごと大きくぽっかりと抜けている。無くなってしまった胸の部分はどこにも見当たらなかった。
その断面は随分と綺麗で、武器で抉ったというよりも魔術によるものである事が推測される。
スワンの側には全く同じ姿の仮面を付けたノヴァがいた。誰がどうみても瓜二つというより本人そのものにしか見えない。二人のうち仮面のノヴァは棒立ちの状態のまま、もう一人の横たわるノヴァを見下ろしていた。
スワンはそんな奇妙な光景の中、横たわるノヴァの様子を観察しながら、目線で何度も二人のノヴァを見比べる。
「回復魔術で治せるのだろう?」
「腕のいい人なら欠損していても魔術で補えるけれど……」
「出来るのだろうっ!」
かがみ込むスワンに覆い被さるように仮面のノヴァが両肩を掴みかかる。
「……無理だよ」
「まだ治せるのだろう!? 溢れ出る血は止めたぞ! 人とは血を流しすぎてはならぬと儂は知っておった! すぐに流れる血を押さえて止めて、時までも全て止め、世界全てを止めたのだ! 儂が!」
強い語尾がノヴァの腕を伝い、スワンにまで伝わってきて体が揺れる。わざと揺らしている訳ではないのはスワンも理解していた。それだけの感情が込められていた。
それでも、スワンには目の前のもう一人に伝えなければならない事がある。
「……死者は治せないよ」
ぴたりと動きが止まった。聞こえては居たのだろう。言葉の意味を理解だって分かっている筈だろう。
けれども仮面の彼は言葉を続けた。
それはさっきとは違ってうわごとのようだった。
「死んではおらぬ。まだだ。そんなはずはない。人より肉体が弱くとも、此奴は治せば、けろりとした顔で動き回りよるのだ」
ノヴァの体の周囲からバチバチと雷撃が小さく放たれ始めた。
「……君はまさか」
「血を失ったのなら新たに注げばよい。心の臓が見当たらぬのなら代わりを用意すればよかろう」
「そんな事をしたって生き返ったりなんっ——」
スワンの肩が強く握られる。
「やれ。そこいらに有るであろう?」
その強い語尾には、恨みすら籠っていた。
「っ、それはダメだ! 雷獣!」
スワンは瞬時に体を砂に変える。握られた肩は水を含んだ砂となり、するりと逃れる。
しかし仮面のノヴァは——雷獣と呼ばれた彼は——手に残る砂をグッと強く握り締める。
「何故出来ぬ」
「っう!」
空間が光るほどの雷撃が彼から放たれた。握られた砂から水分を伝って、スワンの全身に電撃が迸る。
逃れようとしていた砂はバシャリと全て地に落ちる。
「ぅ……く……」
「魔石が核か」
スワンが逃げる事なんて考えてもないのだろう。ゆっくりとスワンだった砂の元へ向かい、彼は人一人分の砂の山を無遠慮に掻き漁る。
「これだな」
掻き漁る手に触れた魔石を握るその直前、ぎゅるりと砂が腕を包みこむ。
「簡単に……っ、盗らせるとでもっ!?」
砂が腕をすり潰すようにギチリと締め付け、ヤスリで研ぐかのように動き回る。
「痛くも痒くもないわ」
魔石を持った腕から再度雷撃が迸る。纏わりついていた砂は強烈な雷撃により吹き飛び霧散し、手に持つ魔石はもろに雷撃をくらう。
苦悶の呻き声と共に地面に落ちるスワン。雷獣はキツく握りしめた魔石をスワンの目の前に見せる。
「空いた胸を埋めろ。……もし、しなければ」
「——へぇ、どうなるって?」
聞き覚えのある男の声と風を切る音がする。
雷獣は顔を傾け、目の前の光を回避する。それは仮面を庇うような仕草であった。
「レス、ト」
「これは返してもらう」
雷獣が回避した蹴りに気を取られている間、ばさりと布の広がる音がする。
雷獣の腕を撫でる布。そらは町に立てられている不思議な模様が光る旗だった。
ふわりと旗の布を広げて立っていた男は、雷獣が持っていた筈のスワンの魔石を手にしていたのだった。




