汝と儂
彼奴に初めて出会った時の事を、儂は忘れもせぬ。
「人を傷つけてはならぬよ、雷獣」
儂の目の前に突如として飛び込み、儂の玩具を横取りした彼奴がそう告げた。
暑苦しそうな服を幾重にも身に纏った男だった。彼奴は儂の玩具を、汚物を吐き散らし地を這う愚かな冒険者を背に庇っておった。
儂は初め、彼奴が何をしておるのか理解できておらなんだ。儂が遊んでいた愚か者を奪って何がしたいのかと。
しかし、彼奴が愚か者に『余が助けに来た』だの、『そちの仲間から聞いてな』だのと告げていてようやく合点がいった。
そこの不愉快極まりない存在を守ろうとしておったのだ。
儂はただ、むざむざと狩られにきおった愚かな冒険者たちの一匹で遊んでおっただけの事なのであるのに。
冒険者は、人は、無知で無力な存在だと分からせていただけの事であるのに。
何せ儂の事をただの馬だと侮り、狩りに来る阿呆どもは絶え間なくやってくるのだ。
精霊の姿はそれぞれよ。精霊が誕生したその場で、動くモノと似た姿をとる事が多いだけである。たったそれだけであるのに、それを知らぬ阿呆の多さにほとほと呆れるものよ。
この儂をただの馬扱いなどと、ドラゴンと小鳥を間違える方がまだ救いがある。
儂を見て泣き叫ぶ赤子の方が本能で存在の格差を理解しておるわ。
美しく揺蕩い、黄金に煌めくこの長い髭を見よ。
どんな敵をも貫く太き純白の角に迸る雷撃を刮目せよ。
筋骨隆々とした肉体を覆う虹色の鱗はこれまで一度も傷ひとつつかず、地に膝をつく事など微塵も知らぬ剛脚に見惚れるがよい。
存在全てが高貴な儂の姿を見てもなお、力量差を理解出来ずに容易に地に平伏し、挙げ句の果てには仲間を見捨てて逃げる愚かな存在が冒険者である。
それがつい先ほどの事である。
人は脆い。儂のお遊びの雷撃だとしても軽く吹き飛ぶ。大男どもが吹き飛び、乙女のように悲鳴を上げて泣きじゃくる。か弱き命乞いを聞き流して暇を潰しておると、彼奴は儂の雷撃をするりと曲げおったのだ。それも儂よりも弱い雷の魔術でよ。
ほう、と思わず感心した儂に向けて、彼奴は更に説法までしよった。
「チカラというのは守る為のものである」
なんとぬるい事を言う者か、と儂はその時、くだらぬ戯言に笑ったものだ。
窓を突き破って落ちる景色は酷くゆっくりだった。割れたガラスが陽の光に反射してキラキラと輝く。しかし悠長に眺めている暇なんてない。
陽の光の輝きの中、ノヴァの装いがゆらりと揺れていた。
「ノっ、ヴァ……!?」
「理外のチカラか」
俺は止まる事なく地まで落下していく。しかし、共に落下するガラスや空気は時の停止から解放された訳ではないらしい。
鋭く割れたガラスは動きが緩やかになり、ついには空中でピタリと停止する。軽いものほど早く宙に停止し、大きなものはゆっくり止まる。
そして、停止したガラスの破片が俺の体に容赦なく食い込み、ぶちぶちと体の筋肉を引き裂いていった。
「ぐ」
痛みで一瞬息が詰まる。反射的に息を大きく吸おうとするが、上手く息が吸えない。空気が薄くなったようだった。
「抗ってみせよ」
ノヴァの全身に雷が迸った。
ガラスに触れた小さな電気がパチリと弾かれた。遮蔽物に出来る、と咄嗟にガラスを蹴り飛ばす。
「くだらぬ」
光が反射する。まばゆい煌めきが目を覆う。地に落下したか、雷撃に撃たれたか、あるいは両方同時だったのかもしれない。鼓膜を破る音がして意識が一瞬だけ飛ぶ。
「——おお、殺してはならんのだった。……もしや死んでおるか?」
「っ、何のつもりだ!」
「ふむ、存外生きがいい。それなら」
地面に転がる視界から、ひらりとノヴァの着地が見えた。
ノヴァが宙に浮かぶ手に取る。すると、手に取ったガラスだけ固定が解除されて動いた。ゆらりと自然で迷いのない腕の動きだった。
「弱らせるなら、もう少しであるな」
背筋がヒヤリとした。瞬時に横に転がる。真横で地に刺さるガラスの破片。おそらく肩から胸あたりを目掛けて突き刺した。本気で刺しに来ていた。
「……あまり儂を煩わせるでない」
「いい加減に……! ……?」
仲間となった直後にも関わらず、この行動なんてどうかしてる。感情のままに反撃をしようとして、その直後に疑問が頭をよぎった。
ノヴァは自分の事を"儂"なんて言っていただろうか?




