第12話 降霊術、現れる影
その日は、最悪の目覚めだった。
果てしなく永い夢から醒めた僕を襲ったのは、右目の激痛。そのあまりの痛みからか、右目からは滝のように涙が流れ落ちていた。鏡で右目に異常が無いか確認したが、軽く充血しているだけ。結局痛みはすぐに引き、それと同時にその永い夢の内容も忘却の彼方へと追いやられた。
「よっ、ソラ。はよーっす」
「ああ、おはよう」
校門まで来たところで、将吾に出会った。いつも通り、ほとんどの人が制服な中で一人だけ真っ赤なTシャツを来ているので周りから結構浮いている。
「そうだ、将吾。今日って何日だっけ」
「あ?今日は25日だろ。長いようで短かった夏休み最後の一週間だぜ」
「ああ……そうだったな。ありがとう」
それから僕達は特に中身の無い会話を繰り広げながら、部室へと向かった。せいぜい中身と言えば、トワの家族旅行が夏休み最終日にまで延長されたせいで学校に来ることが出来ない、という情報を得たぐらいだ。今日になったらいつも通りに会う事が出来る……そう思っていたから、心のどこかに小さな穴が空いたような感覚を受けた。
部室に入ると、そこには既に蛇塚先輩と柊と幽月がいた。蛇塚先輩は不機嫌そうにスマホを弄っており、柊は朝っぱらから部室に大量保管されているヤングドーナツを貪り食っている。そして、幽月は机の上にカードを何枚も広げて何かの儀式のような事をしている。
それからトワ以外の全ての部員が揃った後に、心緑祭で展示する為の部新聞の製作を開始した。ネタを集めるべく手分けして図書室やらネットの海やらを漁っていたのだが、これと言って新しいネタがある訳でも無く、新聞製作は難航した。
「調子はどうだ?」
「うーん……あんまり良くは無いみたいだね」
部室のPCのキーボードをガタガタと叩いている柊の代わりに、明里先輩が答える。僕もディスプレイを覗くと、そこには大量のウィンドウが開かれていた。が、いずれも既に新聞のネタに使ったような題材ばかりである。
「参ったな……これじゃ新聞が作れない」
「もう総集編にしてしまえばいいんじゃない?」
「うーん、僕としてはそういう妥協の仕方はしたくないんですけど……」
「そっか、永崎くんは真面目だなあ」
明里先輩の皮肉の込められていない、真っ直ぐな褒め方はいつもありがたく感じている。が、今はその言葉を素直に受け止められなかった。妥協はしたくない……でも、今はそれ以外に良い方法が思いつかない。もしトワがいれば、僕なんかには思いつかない方法を提案してくれるのだろうか?僕はこんな事を考えてしまうくらいに、トワがいない事で空いた穴の影響を受けているらしい。
「だったら、久しぶりにアレやりませんか?先輩」
そんな僕の思考を断ち切るかのように、キーボードを叩く手を止めた柊が話しかけてきた。
「アレ……?アレって何だ?」
「ほら、アレはアレですよ。前によくやってたアレです」
「いやどれだよ……」
「香澄……もしかして『降霊術』のこと言ってる?」
「そう!それです!降霊術!さっすがヒナ先輩」
柊は何百年もの間誰にも解けなかった難問を解き明かしたかのように興奮した様子で勢いよく立ち上がる。
「なるほど、降霊術か……」
降霊術。その名の通り、亡霊を降ろす魔術の事だ。ネット上にも様々な方法が紹介されており、オカルト関連の話にもなればまず話題の一つに挙がるだろう。
「でも、アレは結局全然成功しなくて……柊も迷信だって」
「いえ、今度は成功する気がするんですよ。何となく」
実は、柊がこの部に入った動機は『降霊術を成功させる為』だ。大半の部員が何となく興味があるから……という理由で入部したのに対し、彼女は明確な動機を持っていた。実際に入部当初の柊は絶対に降霊術を成功させるという熱意を持っており、他の部員を巻き込みながら毎日のように本やネットに載っている降霊術を隅々まで試していた。
だが、結局降霊術は一度たりとも成功しなかった。柊はそれでも一度試した降霊術を再度試したりして粘っていたが、やはり霊は現れなかった。そして、ある日を境に『降霊術なんて迷信だった』と結論付け、以降一切柊は降霊術を行う事は無く、怠惰な日々を過ごしていたわけだが。
「何となくって何だよ……」
「何となくは何となくです。勘ですよ勘」
「まあまあ、久しぶりにやってみてもいいんじゃない?まだ締切までには時間もあるし、ちょっとぐらいなら試してみてもさ」
柊はこんな適当な事を言っているが、あれだけ試しても出来なかったものが急に出来るようになるはず無いだろう。ただ、明里先輩の言う通りまだ夏休みが終わるまでにはそれなりの猶予もある。
「うん……どうせ何も決まってないし、やるだけやってみるか」
「よし、決まりですね!んじゃ、早速始めましょうか」
「え、もうやるのか?」
「はい、善は急げと言いますからね」
「使い方おかしくないか……?」
柊は僕のそんなツッコミを意に介する様子も無く、再びキーボードで何やら打ち込み始めた。その姿は、入部当初のまるで取り憑かれたようなやる気で降霊術を試していた彼女を想起させた。
「とりあえず今回は、成功率の高そうな『かごめ降霊術』をやります」
「ああ……前に何回かやったやつだな」
かごめ降霊術とは。その名の通り降霊術の一つであり、かの有名な『かごめかごめ』を模して行うものである。人型に切った紙を五枚用意して、そこに誰かの名前を書き込む。それを自分を中心として五芒星の配置に置く。自分の正面に鏡を置き、後ろには蝋燭を置く。この降霊術のルールを書いた紙を音読、鏡の前に置く。そして、目を閉じて『かごめかごめ』の歌を歌う。その後、上手くいけば霊が背後に降りてくるので鏡越しでそれを見、話すという流れだ。ちなみに、この降霊術は蝋燭の火が尽きるまではやめてはいけず、使った紙はすぐに燃やさねばならないという決まりもある。
……このように、それなりに手間がかかる方法だが、柊曰く「準備が面倒なものほど成功率が高いに違いない」らしい。
「確か人型の紙とルールの書かれた紙は前に作ったのが残ってたな」
「理科準備室から勝手に拝借した蝋燭とマッチも残ってたはずですよ」
「よし!じゃあ早速準備に取り掛かろうよ」
明里先輩の一言で、僕らは降霊術の準備を始めた。部室中央に置かれている長机を端に寄せ、棚にしまわれていた人型の紙を取り出す。
「そういえば紙に誰かの名前を書かないといけないはずだったけど……誰の名前を書くんだ?」
「あ、それなら任せてください」
柊は僕から人型の紙を五枚受け取ると、部に放置されている誰のものか分からないペンを紙に走らせる。
彼女が紙に書いていた名前は『かなと』。紙に書く名前はそれぞれ違う人の名前でもいいが、柊は五枚全てにその名を書き記した。
「……確か、この名前って前に降霊術やった時も書いてたよな」
「はい、そうですよ」
「……誰の名前なんだ?」
恐らくこれは男の名前だろう。もしかしたら、彼氏の名前だったりするのだろうか。柊よ、僕は……副部長は君に彼氏が出来たなんて聞いていないぞ。
「……別に誰の名前でも無いですよ。頭に浮かんだ名前を書いてるだけです」
その声は、いつも何も考えてなさそうな、天真爛漫に振る舞っている彼女からは想像も付かない程に冷めきった声をしていた。
「……嘘だな」
「もう、先輩。乙女の秘密を無理に聞き出そうとするのは良くないんですよ?」
すぐにいつもの声の調子に戻ってそんな軽口を言う。僕は部活で彼女を4ヶ月以上は見てきたが、何だか掴み所の無い女の子だと感じる。明るく振る舞っているようで、本心は何か別のことを考えているんじゃないか……そんな感じで。
準備は滞りなく進んだ。『かなと』という柊が思い付いた名前の記された人型の紙を部屋の中心を五芒星の形で囲う。そして、部室の扉側に火の付いた蝋燭を置き、その反対側に鏡を設置した。これで舞台は整ったというわけだ。
「で……誰が霊を呼ぶんだ?」
降霊術というのは、それなりにリスクのあるもので。もしも本当に霊を呼び寄せてしまった場合、命の危険すら伴う……と、様々な媒体で書かれている。真相は不明だが、そんなことを言われて進んでやろうとする者はあまりいないだろう。
「私がやりますよ。言い出しっぺですからね」
そう言いながら、柊はルールの書かれた紙を持って部屋の中心へと進んでいった。何かと笑顔を浮かべている彼女だが、降霊術の時だけは普段の表情とは真逆の、真剣な表情を見せる。そのせいか、僕の緊張感は少しずつ増していっていた。
「では……始めます」
柊は神妙な面持ちで言い、一度小さく深呼吸をする。そしてルールの書かれた紙を賞状を読み上げる時のように顔の前まで持ち上げ、抑揚の無い声でルールを読み上げた。
「私は鳥。籠の中の鳥。あなた方は籠。あなた方が籠である時、あなた方は私に干渉できます」
部室の中の雰囲気が変わっていくのを感じる。
「しかし、これには制限があります。蝋燭に火が付けられ、溶けてなくなるまでに限ります」
いつもの日常が、薄れていく。
「この蝋燭が溶けて火が消えた時、私は鳥では無くなり、あなた方は籠では無くなります。この時をもって私とあなた方の因縁は切れます」
全てのルールを読み上げると、柊はその紙を音が立たないように鏡の前に置いた。再び五芒星の中心に座ると、一呼吸置き、ゆっくりと目を閉じた。やがて、張り詰めた空気の漂う部室に一つの歌声が流れた。
かーごめ かーごめ
籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀が滑った
後ろの正面……だぁれ?
歌が終わると、部室の中に完全なる沈黙が訪れた。さっきまで聞こえていたはずの、準備に勤しむ生徒達の声も夏を象徴する喧しい蝉の声も僕の耳には届かなかった。
ガチャリ……
その静寂は突然壊される。同時に、歌を歌い終えた柊がゆっくりと目を開く。その目は、鏡に映る人影を捉えていた。
「あなたは……誰?」