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店内の客は帰り、後には私とガイモン、そして従業員が四人と店の主人セトが残っていた。それにしてもこの店の従業員は良く働く。きっと恐怖で支配しているのだろうな。
私は心の中で確信した。
私は待たされるのが嫌いだ。
セトが厨房に入ってから数分が経過していた。そのたった数分の間に、私は何杯の水を飲んだ事だろう。
水を飲み干す。水をグラスに注ぐ。水を飲み干す。単純な作業を繰り返した。
「おい、そんなに飲んで大丈夫か?」
ガイモンが尋ねた。
「ああ、凄く喉が乾くんだ」
あの目が頭から離れない。とても恐ろしい目だった。早く忘れてしまいたいと言うのにーー。
「む?」
何だこの香りは? 香ばしいような。食欲がそそられるような。
「お?」
ガイモンも気付いたようだ。少し聞いてみるか。
「これは何の香りだ?」
「ん? んー……」
珍しく勿体つけるな。いつもは単純明解な男なのに。
「まあ、来るまで待とうや」
「むっ……」
勿体つけるな、ガイモン。全く、私は待たされるのが嫌いなんだがな。しかし何だろうか。少しそわそわ? いや、わくわく? 何だろう、この気分は。
「ガイモン、知っているなら教えてくれても良いだろう?」
「いいや。来るまで待とう」
柄にもないがこの香りの正体が気になって仕方がない。しかしガイモンは教えてくれそうもない。待つのは嫌いなのだがーー。
「へい、お待ち。好きだろ、爺さん?」
「おっほー!!」
何だその声!?
「やっぱり『焼き鳥』だったか!」
「焼き鳥?」
鳥を焼いた料理か? 何やら黒いが焦げているんじゃないだろうな? それにしてもガイモンがあんな声を出すとは……。長い付き合いだが初めて聞いたぞ。まあ、一口ーー。
「んー……!」
何だこれ? 何だこれ? 何だこの料理は?
「美味い……。美味いぞ、ガイモン!」
「当たり前じゃ! わしゃ、わしゃ、この料理に負けたんじゃからな!」
な!? そういう事だったのか? いや、しかし……。確かに美味いが、これの何処に敗北の要素が?
「セトさん、この頭でっかちの女にこの料理を説明してやってはくれまいか?」
「畏まりました。ガイモン様」
何だ? 急に雰囲気ぐ変わった?
「こちらの料理は焼き鳥と申しまして、当店秘伝のタレを塗った鶏肉を炭焼きにした料理でございます」
「な? 何だって!? これが鶏肉だと!?」
「『鶏肉は廃鶏を使う為、料理しても美味くない』とおっしゃられるのですか?」
「そ、その通りだ。だがこれは美味い。それに食べやすい」
「料理とは本来美味しくあるべきなのです」
「何?」
「手順に沿って作業し、きちんと量を計り、味見をして、食べる人に出す。これだけで料理は美味しくなります」
「そ、それはーー」
この男の言葉は正論だ。何でもそうだ。手順を守り、量を計算し、自分で試す。当たり前の事じゃないか。
「当たり前じゃな」
ガイモン?
「当たり前の事なんじゃ。わしゃ、料理は腹が膨れれば良いと思っておった。だからあの時は食わずに捨ててやろうと思った。だがな、まずはあの香りだ。あれにやられた。次に一口食ってみて味にやられた。最後は全部食べ終わった後の満腹感。そしてもっと欲しいという飢餓感。初めてじゃったよ。わしゃ、美味くなる為に、当たり前に作られたこの焼き鳥に完全敗北したんじゃ」
「当たり前に美味くなる、か」
「まあ、当たり前と言っても、普段は店に出さない料理だ。運が良かったと思って食べて行きな。おーい! お前らー!」
その声に引き寄せられたのだろう。さっきまで店の片付けをしていた従業員が集まって来た。
「待ってたよ。焼き鳥なんて久しぶりだね。うん、このタレが良いんだ」
「私は初めて食べる。摘み食いばかりしおって腹が立つぞ、アズマめ。んー! こえ美味ひぃの!」
「皆さんと違って、私は自分で作って食べてますけどね。くっ……。やはりこの味には勝てんか。私も精進せねば!」
「焼き鳥かぁ……。父さんが晩酌で良く食べてましたねー。……うっ……くっ……何か懐かしくて涙が……」
「泣くなよ、ユーイチ。ほら、美味いか?」
「は、はい! 美味じい! です!」
何なんだ、この光景は? みんな恐怖で支配されていたんじゃないのか? い、いやまだ信用出来ないぞ。こいつの正体は恐怖の化身だ。
「あ、セト君、追加焼いてくれる? 僕ハツが良い」
「何だよー! 俺にも食わせろよー!」
「じゃあ、私は同じ物を」
「僕はズリで」
「しょうがないな! ユウリ、手伝え!」
「分かりましたー!」
違うのか? 恐怖支配ではないのか? ならば一体?
「美味い料理で繋がっとる……か?」
「美味い料理? つまりは洗脳?」
「頭が硬いのぉ。美味い料理を食べたい。美味い料理を作りたい。美味い料理に関わりたい。そしていつの間にか……ってな」
「絆ですか? くだらない」
とも言い切れないのか。実際に彼らは繋がっている。だが、分からん。本当にそうなのか?
「ところで、テット。この焼き鳥。何か足らんと思わんか?」
足りない物? 何を言っている、ガイモン? これは既に完璧な料理だろう?
「酒」
「酒!?」
確かに! 確かにその通りだ! この焼き鳥はエールに合う。ワインも良い! グラッパも素晴らしい!
「のお、セトさん!」
「何だい、爺さん?」
セトは焼き鳥を焼きながら答えた。
「今度は酒場をやってみんかー?」
瞬時にセトの視線がガイモンへと向かった。しかしその目に恐怖は無かった。ただ、彼にはまるで似合わない、何かに凄く驚いたような目だった。
「爺さん、あんた天才か!?」
”To be continued……”




