第17話 体育祭②
読書というものは睡眠に近いのではないかと思うほど、一度集中し出すと急速に時間が過ぎる。俺もその例外では無く、周りの雑音を集中力で遮断し、時間を湯水のように浪費していた。
と、ふとそろそろ時間を確認したいと思った。大抵、"そろそろ時間を確認したい"と思った時にはすでに目的の時間になっている。しかし、読書に一度集中し出すと、一時停止をするのがとても面倒だ。紗恵がパンフレットを手に持っていたことを思い出す。
「今の競技、何やってる?」
まるで、アレクサ感覚で聞いてしまった。パンフレットをバックから出すのが面倒で、手に持っていた紗恵ならすぐに答えられそうだったからだ。
「夜彩、読書読みながら聞くのは止めたら」
紗恵が呆れるようにそう答えた。確かに正論だ。自分のことなのだから自分で調べろということだろう。紗恵に甘えていたのかもしれない。
「そうだな。そろそろだし自分で見る」
俺がバックに手をかけ開けようとすると、紗恵がまたため息混じりの不満そうな声でぼそりと言った。
「…次、女子1年の騎馬戦だよ」
「なん…だと…」
そこまで時間が経っていたのか。危うく本を読み続けてしまうところだった。騎馬戦は俺の体育祭で唯一の楽しみだろう。
「どうしたの、夜彩?いきなり読書止めて?」
本を閉じると、今まで全く関心が示さなかった俺の行動を不審がるように聞いてくる。
「騎馬戦に雪憐が出るんだ」
雪憐がでる競技となれば話は別だ。見なければならないという、使命感…いや、義務感さえ感じるのである。これは俺の明確な意思と選択に基づいている行為だ。
「あ、ああ…なるほど…」
かたや紗恵は俺のテンションの高さに呆れていた。しかし、これでも紗恵は俺のテンションに慣れた方だと言えるだろう。最初の方、紗恵はもっと酷い引き方をしていた。
「夜彩、騎馬戦を楽しみにしてたの?」
紗恵が苦笑いをしながら、聞いてくる。質問の内容までは頭が回らなかったのか、中身が無い質問になっている。
「いいや、元々、雪憐が騎馬戦に出るのに俺は反対だったんだ」
雪憐が騎馬戦という危険な環境に出るより無難で安全な競技に出て欲しかったのが俺の本音だ。だが、雪憐とコンタクトを取れない以上俺が言っても仕方が無いことなのだろう。
「え、ど、どういう事?」
俺の情緒不安定なテンションを目の当たりにした紗恵はさらに困惑する。今日の紗恵はいつもに増して困惑率が高い気がする。
「雪憐が騎馬戦に出て怪我なんてしたら大変だろう」
俺が真剣にそう答えると、紗恵は目を丸くした。困惑を通り過ぎて混乱している様子で、固まっている。少しすると、紗恵は再起動したパソコンのように目に生気を取り戻した。
「夜彩、ちょっと雪ちゃんの事心配しすぎじゃない?雪ちゃんだって子供じゃないんだし」
紗恵は何となく俺の言いたい事を理解したのか、疑問点をぶつけて来る。納得しているわけではないようだ。しかし、空気清浄機は伊達ではないな。固まってからの飲み込みが速い。
「考えてみろ。騎馬戦は身体が接触する競技な上ドロドロした女子騎馬戦に、純粋無垢な雪憐が入るんだぞ。言語道断だ」
俺はそう毅然に答えた。一般的に運動会の女子の取り合いをする競技は危険なイメージがある。偏見なのかもしれないが、リスクは可能な限り潰した方がいい。万が一の事も考えられるし。
「夜彩…雪ちゃんを一体何だと思ってるの…」
紗恵は頭を抱えてそう言った。別に頭を抱えるようなことではないと思う。大切な人に傷ついて欲しくないと思うのは当然の感情だ。
「雪憐が怪我なんてしたら俺の心も怪我してしまう」
俺は素直にそう言った。本心だ。きっと、雪憐が傷付けば俺はひどく悲しい気持ちになるだろう。そして、俺は雪憐が傷つくことを許すはずがない。
「ドヤ顔で気持ち悪いこと言わないでよ」
紗恵は俺の本心は知らないのか、ふざけたようにそう言ってくる。もしかしたら、本心を見抜いた上で気付かないふりをしたのかもしれない。紗恵だって自ら地雷を起動させたくないはずだ。
「俺は嘘を吐くのが嫌いだ」
俺はまたいつものことを吐き捨てる。これで何度目だろうか。これが正しいと思ってずっと信じてきたのだ。今さら変えることなどできない。
「夜彩だもんね」
紗恵はまたそう当たり障りの無いことを言った。もはやその空気を読むことは紗恵を縛る"呪い"にすら見えてきて、ある意味俺に似ているとさえ思えた。
「まあ、雪憐が決めた選択に俺が干渉する権利は何も無いのから、あくまで俺の希望だけどな」
俺は締めくくるようにそう言った。結局今まで俺の言ってきたことは"俺の希望"でしかなく、雪憐の選択は雪憐自身が決めるべきだから。
「それはそうだね」
紗恵は頷くようにそう答えた。
「ああ」
俺はそれに意味もなく頷く。
ナレーション騎馬戦の始まりを宣言すると、選手が入場してくる。観客席はだらけるような時間帯になり、少しの喧騒があった。
「ほら、始まるよ」
紗恵は確認するかのように俺に言った。分かり切っていることなのに確認する必要性はあったのだろうか。
しかし、よく考えれば隣にいる紗恵は貴重な労働力ではないだろうか。人件費ゼロの労働者など使わない選択肢は無い。
「そうだな…。確か、3試合目の右側、生徒観客席から4番目の騎馬の一番上だと聞いてるが、念のため紗恵も探してくれないか?」
俺がそう頼む。いくら友達とは言え、無給料で働かせようとしているのだから、それなりの礼儀を払うべきだろう。
紗恵はうわあと若干引いていた。やはり、賃金も出ないのに働かせようなんて通じないか。俺が紗恵の立場ならきっと同じようにドン引きだ。
しかし、紗恵の口から出た言葉は予想外のものだった。
「え、夜彩何で知ってるの…。怖い…」
紗恵はストーカーを見るような目で俺を見る。今にも通報されそうだ。
「今気にすべきはそこじゃないだろ…」
確かに、そこを気にする気持ちも分からなくはないが、今の論点では無い。そこを今議論しても仕方がない。
「そこだよ!夜彩ちょっとキモいよ!」
紗恵は芸人のようにツッコミを入れる。キレッキレなツッコミと少しドヤ顔気味の紗恵は見ていて面白かった。
「情報収集は何事においても基本だ」
俺からはそう答えることしかできないためそう答えた。
が、紗恵は聞く耳を持たないようで、考え込んでしまった。椅子の方を見ると回路が繋がったようで、さっと俺の方を向いてくる。次は何を聞かれるのだろうか。
「もしかして、この席って…」
紗恵は犯人に犯行を確認するように恐る恐る聞いてくる。なんとなく紗恵の聞きたい事は察することができた。
「ああ。おそらく一番見やすい席だ、しっかりリハーサル時に確認した」
下見は基本中の基本だ。ましてや学校側がわざわざリハーサルというものを用意してくれているのだから活用しない手はない。最優先事項で確認した。
「夜彩…」
紗恵はあの時の疑問が解決できたと同時に、もはや救いようのない顔をする。目が手遅れと語っている。
「おい、哀れんだような目で見るな。それより今は雪憐を探そう」
紗恵の今日何度目かの視線を誤魔化し俺は雪憐の探索を始める。紗恵と話して通報されるのは怖いからな。雪憐の騎馬戦を見られずにお縄なんて冗談じゃないぜ。
俺が全力で探すが、見る人すべてが名も知らない一年女子である。顔を覚えるのが苦手な俺は「あれ、こいつさっき見なかった?瞬間移動?ドッペルゲンガー?」などと思いながら探していた。他人って本当に見分けつかないな。
まあ、他人と他人を見分ける必要性は無い、他人と雪憐さえ見分ける事が出来ればいい。しかし、他人と他人が見分けられないと、二度同じ人を確認したりと無駄が多いのも事実だった。
隣にいる紗恵は諦めたように雪憐のことを探してくれていた。紗恵は散々迷惑をかけても、こうして友達でいてくれるのも紗恵のこういうところのおかげなのかもしれない。DV被害者になりそうで怖いので、くれぐれも紗恵の初恋の人はクズ男でない事を祈りたい。
「多分、いないね」
俺より一足遅く探し始めたのに紗恵はそう捜索の打ち切りを宣言した。流石クラスのよく分からん連中とコミュニケーションを取れるだけの事はある。顔を覚えて人探しができるわけだ。
「だな」
俺も大体探し終わったため、同意する以外に無い。これ以上探しても時間をドブに捨てるだけだろう。
次の試合まで俺は読書でもしているか。そう思い、仮にバックの上に置いてあった本を取り出す。本を開こうとしたその時だった。
「夜彩、雪ちゃんの事どう思ってるの?」
それは他でもない今隣にいる紗恵の声だ。いつかクリスタにも聞かれたこと。俺がずっと悩み苦悩し続けた相手。そして初恋の人。
「どうもなにも、幼馴染だろ」
しかし、それは紗恵に言うべきことでは無い。雪憐と俺の問題である。
「ふーん、それ本当?」
紗恵はいつものように少しおどけたように、聞く。それは半ば本気で知りたがっているように見え、少し意外だった。
「なんだよ。事実には反してないぞ」
動揺を隠すように俺は答える。吐き捨てしまえば楽だ。紗恵ならきっと聞いてくれるだろう。紗恵は聞いてくれるだけなのにとても居心地が良すぎて、それが怖い。紗恵には特に大切な話をしたくない。
「本当の事は教えてくれないの?」
紗恵が急かすようにそう聞く。少し不安そうに聞くその淀みが無い瞳がかえって俺を不安にさせた。紗恵は空気を読み、俺の気持ちを的確に推測する。地雷は避け、落ち込んでいれば励まし、話しかければ耳を傾ける。
都合が良すぎる。だから、大切な事を紗恵に話したくなかった。話したら最後、それを紗恵に委ねてしまいそうな気がして。
「ああ、これは俺と雪憐の問題だ。ちゃんと俺が選ばないといけない」
きっと、話すべきじゃない。委ねてしまう可能性が少しでもあるなら、リスクを取るべきじゃない。最後まで自分を貫くべきだ。
紗恵は俺がそう答えると黙ってしまった。きっと紗恵のことだから、今ので、俺が話す意図が無いことを理解してくれたはずだと思う。だからこそ、次にでた紗恵の言葉が意外だった。
「夜彩は私のことが信用できない?」
紗恵は踏みこんだ。踏み込んだ範囲はほんの少しだけだが、それは今まで紗恵が絶対にしなかった行為だ。
紗恵といるのはとても楽だ。空気と相手の心境を的確に読みうまく立ち回る紗恵はある俺は意味とても信用していると思う。だからこそ限度がある。俺は紗恵に甘えてはいけない。
「信用できても、できなくても自分の選択を他人に委ねてはいけない」
俺はそう言って明確な拒絶を口にした。他人から見たら大袈裟でも、これを他人に委ねるなんてあってはいけないから。
「そっか。夜彩らしいね」
紗恵はいつものようにそう答える。空気を読み、俺が提示した地雷原の境界線を避けるように通る。
「ああ。例外は作りたくない」
念押しとばかりに俺はそう言う。俺は紗恵以外でも同じ選択をする。
紗恵からは返事はなく沈黙が訪れる。沈黙を嫌う紗恵にしては珍しいことで少しだけ驚いた。なにも言わないことを不審に思い紗恵の方を見ると、まっすぐとトラックに視線を向けて、こう言った。
「私は、それでも夜彩の話を聞きたいな」
明確に拒否した話に踏み込むことは1年間半続けた紗恵の中でも初めての出来事だ。
その行為はまるで雪憐のようで、俺の中のイメージとは乖離した行動であり。今まで浸食していなかった俺の奥深くまで"紗恵の依存"が浸食している気がした。溶けるような甘さと焼けるような不愉快さに満たされる。
「紗恵…。変だぞ」
それは動揺か、それとも思考のための時間稼ぎか。俺は否定すべき場面でうまく否定することが出来なかった。
「あはは。そうかもね」
紗恵は残念そうにそう答える。
その姿を見ていよいよ俺は分からなくなった。紗恵が善意でこれをやっているのであれば、それを否定するのは違うのでは無いかという疑念がよぎる。これが"紗恵に依存した結果"であったとしても、それでも関係を続けた俺の責任ではないのか。
「紗恵…そのさ…」
言うべきかどうかは分からない。でも、それでも、せめてもの償いとして。
「ありがとう。気持ちだけでいいよ」
それは1年半の関係でも数えるほどしか無い、紗恵への感謝の言葉。
「夜彩」
紗恵は俺を呼び掛けた。いつもより真剣な声色と表情で。
「がんばってね」
「え?」
俺は思わず声を上げてしまう。"がんばってね"?何を頑張れということなんだろうか。情報量が抜き落ちすぎていて肝心なところが伝わっていない。俺がどういう意図か聞こうとしたとき。
「あ、ほら、夜彩。雪ちゃんの試合始まっちゃうよ!」
紗恵が誤魔化すようにトラックを指差してそう言う。本人が説明する意思がないのであれば聞いても無駄だ。説明しないということは俺が意図を理解する必要性がないということに他ならない。
「あ、ああ。予定通りの場所だな」
俺はそう紗恵に合わせるようにふざけて言う。この歪な関係でさえ、これ以上悪化させないため、肝心なことを見ないことが最善だと信じる。
「予定通りって言い方良くないよ。ストーカーみたいだよ」
本当に予定通りに行っているのだから、嘘は言っていない。紗恵から見ればそう言う問題ではないのかしれないが、俺はなぜそこを気にするかよく分からない。
「本当に予定通りなんだから仕方がない」
俺は愚痴に近い声でそう吐き捨てた。
「だーかーら」
紗恵は拗ねたように間抜けな声で反論する。その話題を続ける気は湧かなかった。
「うるさいぞ、紗恵。それより雪憐の勇姿を見るんだ」
俺はそう早々と話を切り上げて、今始まろうとしている騎馬戦を見る。
雪憐は緊張したおもむきで、真っ直ぐと目の前の対戦相手を見つめている。少し小柄な雪憐は騎馬の上のようだ。しかし、雪憐は騎馬の上の人の中では背が高く、上の人の中には非常に背が低い女子もいた。
開始の合図がなると同時に、大きく聞き取りにくい実況が始まる。素人がやる実況などたかが知れており、雑音以外の何物でもない。
雪憐は何かを下の人と話すと、迫ってきた騎馬をすり抜け、孤立した騎馬へと向かう。ちょうど反対方向からはもう一騎味方が来ており、2対1で包囲する形になる。なるほど、ちゃんと事前に作戦を立てていたんだな。
孤立した相手騎馬は後ろに後退するが、好機とばかりに、雪憐は右翼方向からもう一騎は左翼方向から近く。淀みなく相手だけを見つめる雪憐には俺が恐れていた懸念など微塵も無く、ただ競技を心から楽しんでいるように見えた。
包囲戦となった雪憐の初戦は相手が左辺の味方に注目していた一瞬の隙に雪憐が相手の帽子を取り完封勝ちだった。
相手の帽子を敵の首とばかりに掲げる雪憐にもう一人の戦友の味方は祝福するように近づきハイタッチをする。お互いの勝利を祝福したように友達と喜ぶ雪憐を見ると、意味の無いその行為にかけがえのない価値があるように感じた。俺が雪憐の競技に要らない心配をしていたことがひどく馬鹿らしくそして、その雪憐の笑顔に比べて汚れきった利己的な行為だと感じた。
「雪ちゃん、がんばってるね」
紗恵はそう活躍する友達を見てそう言う。紗恵も雪憐と連絡先を交換したくらいなのだから、気にしてはいるのだろう。
「ああ、先輩、感動…」
俺は感慨深くそう頷いた。今まで色々な思考をすべて捨てているような気分になる。俺はただただ満足している。
「夜彩、そんなに嬉しいの?」
紗恵の聞いたことは先ほどのものとは違って、雪憐との関係では無く、俺の個人的感想について問いたものだ。だから、答えるべきか俺の一存で決められる。
「昔からそうだったけど、芯が強かったからな、あいつ」
隠すようなことでも、答えてはいけないものでもないためそう素直に答える。
「だから、こうして全力で目の前のことをやってるのが見ていて嬉しいんだ」
俺はどんな声で今話しているかは分からない。だが、これは心からの本心で、きっと満足そうに喋れているはずだ。
「そうなの?」
紗恵は特に感情もなくそう答える。何一つこもっていない言葉だ。
「そうだ。そして、その分融通が聞かない」
俺がそう付け加えると紗恵はいつもの表情で笑った。
「あはは。それは私も思った。雪ちゃん、真っ直ぐな子だよね」
その当たり障りの無い言葉は紗恵にふさわしいと思った。都合が良く、優しく、望まれ、誰も傷つくことはない。




