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第15話 あの日の夕日②

「好きだった」


 俺は深呼吸の後そう答えた。雪憐が息を呑むのが分かる。雪憐は知れた事への喜びと知ってしまった事への苦しみが表情に現れていた。きっと逆の立場なら雪憐のような表情を俺がしていたはずだ。


「俺もあの時はとても戸惑ってさ…」


 俺の言った事は言い訳のようで情けない。しかし、本当に戸惑っていて、何をするのが正解なのか、どうすればこの気持ちに答えが出るのか分からなかった。その気持ちは初恋を終えていない今も変わらない


「よく覚えてる」


 俺はこれ以上何も言わないように全ての息を吐き出して、締め括った。後悔を頭の中で封じ込め、思考を目の前にのみ集中させる。きっと、今後悔すれば、後でさらに大きな後悔をするから。


「じゃあ、"今"私が好きですか?」


 少し間を置くと、雪憐は聞く。雪憐の声は先ほどの動揺を引きずったままなのか、それともこれから先にあるものへの不安なのか声色は震えていた。それは内容とともに俺の心を酷く掻き乱し、えぐり取り、4年前だけではなく雪憐に初めて会った日から今日までを記憶から引きずり上げる。


「え?今…」


 先程の問いで俺はリソースを相当使ってしまい、新たな爆弾にすぐに対処出来なかった。そのため、こんな時間伸ばしのような無意味な事をする。


「今は…」


 目の前に雪憐がいて、4年前のこの場所。今こそ伝えるべき時なのに、肝心な俺の本心が分からない。俺は果たして今の雪憐は好きなのか?4年間傷つけて、ほったらかしにした男が今の雪憐が好きだと言っても良いのか?


 正解が分からず、4年間積み重ねた深く広く浸透した呪いが俺全体を侵食していく。俺がどんな顔をしているのか分からないが、最低でも嬉しそうな顔をしている訳がなかった。


「"花ちゃん"は今も先輩を苦しめていますか?」


 雪憐はそんな俺を見て、赤子をあやすような声を出した。雪憐のその優しさは俺にもう苦しまなくて良いと言っているように感じる。


「俺は…」


 雪憐の優しさは、俺の惨めさを加速させて、抑え込んでいた後悔を決壊させる。俺がどれを選べば正解だったのか分からなくて、どうしようも無いこの想いを口から吐き出してしまった。


「…雪憐はなんて言って欲しいんだ?」


 それは、雪憐に答えを伝えず、雪憐から見れば実質的な回答拒否。俺はちゃんと伝えたかったのに、自分の覚悟が足りずに言えなかった。


「私は、もう先輩に苦しんで欲しくないから…」


 雪憐の顔を見て、俺は心臓を加速させるような驚きを浴びる。それはいつ4年前のを連想させるような痛々しい悲しい顔で、後悔に溢れている俺の頭の中に4年前の記憶が溶けて染み渡る。


「先輩が"花ちゃん"にもう囚われずに、ちゃんとちゃんと…」


 雪憐は止める気は無く、時だけが進む。俺はどこで選択肢を間違えたのか分からず、途方に暮れて、ただただ後悔だけが湧き出てくる。俺は、雪憐の言葉を聞き取るだけで精一杯だった。


「幸せになって欲しい」


 雪憐はそう良いった。雪憐の"幸せになって欲しい"という言葉に強烈な違和感を俺は感じ、声が大きくなる気持ちを抑えて、冷静を心がける。


「俺は別に不幸なわけじゃない」


 雪憐の言葉は違う。今が幸せでは無いなんて他人が決めつけるのはどうかと思う。


「今日、俺はすごく楽しかった」


 きっと、雪憐と共有でき、雪憐に対して一番説得力のある根拠。


「だから違う」


 俺は言い切った。これで良いのかとこれが本心かと問い続ける自分自身を抑えて。


「では、本当に"花ちゃん"は先輩を苦しめていないのですか?」


 雪憐は凛とした声、4年前を連想させる顔で4年前とは程遠い力強い声。それは俺を再び動揺させて、"俺は不幸じゃない"という考えが急速に偽物に感じてくる。


「それは。それは…」


 言えない。言える訳がない。これが正しい選択だなんて、4年間、初恋をずっと引きずり続けた男が幸せだなんて、断言できない。


「先輩は優しいから、ずっと4年間苦しんできた」


 雪憐が俺を苛むような、優しい声色で諭す。もうやめてくれ、凛。4年前の雪憐の声が頭の中で響く。


「違う…」


 だからと言って、苦しんでいたなんて言えない。4年前の初恋は4年前の雪憐のせいで俺が不幸になったなんて言えない。悪いのは俺のはずだ。


「私の中学校では色々な人が色々な恋をして終わりを迎えてました」


 そんな俺を見て、雪憐は唐突な昔話を始める。しかし、それは俺が4年間の歳月で何もない空白の中学時代の話で、同級生が恋とか愛とかに浮かれていた時代だ


 俺が苦しんでいる間に雪憐はちゃんと、幸せな中学時代を送れたのだろうか。もし、送れていたのであればそれは、俺の数少ない救いであり贖罪になる。


「私も、何人かに告白されましたよ。全部振りましたけど」


 雪憐は俺と落ちる夕日を見て言う。雪憐の方を見ていた俺はきっと、泣き出しそうな顔をしていて人に見せられるものではなかったと思う。


「ほら、先輩、責任を感じて、そういう顔をする」


 雪憐は俺を見て笑った。それはとても自然とは言えない笑顔で、俺を安心させるために俺の初恋を止めさせるための笑顔だとすぐに分かる。


「先輩、4年前の花ちゃんはもういないです」


 その事実は、俺の心をえぐる。4年の歳月が俺を責め立て始める。


 そして、雪憐は息を吸って言う。


「凛は、いつまで初恋を続けてるの?」


 雪憐の声は4年前の花ちゃんそのもので、俺の心をトドメとばかりに引き裂いた。


「雪憐…」


 何も言えなかった。何も言うことが無かった。何を言っても後悔する。ただ、ただ、何も無かった。


 残された俺たちにセミは無慈悲な合唱でエンドロールを流し始める。


「先輩、もうやめてください」


 雪憐の声は泣きそうで弱々しくて悲しいものだ。


「先輩は、自由になるべきです」


 雪憐はもうやめて欲しいと。


「私は…これ以上先輩を苦しませたくない…」


 雪憐はもう俺に苦しんで欲しくないと。


「お願いです。もう、私の事を忘れて、新しい恋を見つけてください」


 雪憐はもう俺に初恋をやめて欲しいと。


 何も言えなかった。雪憐の悲痛な叫びを、この納得のいかない結末に何も言えない自分がいた。これは4年前と何も変わっていない。これでエンドロールを流せば失われた初恋のバッドエンドだ。そんなもの俺は要らない。俺はきっと初恋が残したものが後悔だけだなんて、受け入れられない。


「納得がいかない。こんな結末…納得がいかない…」


 俺はただ、繰り返した。雪憐が俺から目を逸らす。例え、雪憐の望んだ選択でなくても、俺はこの選択を選ぶって決めたんだ。


「じゃあ、雪憐は4年前、俺を好きだったのかよ?」


 選ぶと決めたなら、これでいいんだ。これが正解なんだ、夜彩凛。


「俺は新しい恋で幸せになんかなれない。そんなもの偽物だ。ちゃんと初恋を終わらせなくちゃ意味が無い」


 俺は雪憐から答えを聞いていない。俺が苦しんでいるから初恋を中途半端に中止しても、それは一生拷問にかける行為だ。


「"他人が苦しまないため"なんて、理由になってない」


 雪憐の願いは雪憐自身の願いを俺はまだ聞いていないから。


「俺は、雪憐の想いを知りたい。俺は雪憐自身の選択を知りたい」


 俺は後悔を全て吐き捨てるように語気を強めて言う。それは4年間ずっと引きずった初恋の答え合わせ。


 雪憐はただただ俺を見ていて、目を逸らした。


「先輩…ひどいですよ…」


 雪憐は嘆くような声を出す。聞いて欲しく無かった質問であった事はすぐに分かった。


「そんなの…私は……凛が好きだった…」


 雪憐は、ぼそりと4年前の雪憐の想いを、俺が喉から手が出るほど知りたかった"模範回答"を始める。


「あなたに負けないくらいあなたを愛していた」


 雪憐は俺を見て、真っ直ぐと答える。これが4年前の雪憐の想い。


「花ちゃん…」


 俺が呼んだ目の前の少女の4年前の呼び方。そして、俺の初恋相手の名。


 言い終わった後、沈黙が訪れる前に雪憐は唇を噛み締めて、続ける。


「でも……私は今の先輩は好きじゃない…」


 雪憐はそう言う。それは俺が答えるのを避けた問いで雪憐は後悔が滲み出た声色で言う。


「苦しんでる先輩なんて好きじゃない!」


 雪憐は自分が正しい選択をしたと、自分を信じ込ませるように言った。


「違う!俺は苦しんでなんていない!」


 だとしても、雪憐が俺は苦しんでいるように見えたとしても、俺の苦しみは自分でのみ決めるべきだから。


 だが、雪憐は信じてくれる様子も無く、ただ不信な顔をして拒絶する。


「嘘です。なら、どうして私をあんな懐かしむ顔で見るんですか?!」


 雪憐は凛と反論する。俺は反論の反論をしようとするが、言葉を発せなかった。何故なら発するべき言葉が何一つ思いつかなかったからだ。


「それは…」


 俺はまた逃げ込むように無意味な言葉を続ける。


「今の私を愛してくれているなら、先輩はそんな顔をしない!」


 雪憐の主張はとても正しくて、間違っていなくて、美しい。


「私は帰ります。今日は楽しかった。さようなら、凛。さようなら、私の初恋」


 雪憐は言い終え、話を打ち切ると、振り返って、道路に戻ろうと歩き出した。


 その背中はとても悲しそうで、4年前の再現のような気分になる。また、俺は何もできなかった。何もできな"かった"?何故俺は過去形なのか。目の前にはまだ雪憐がいる。話しかける事もできる。ここで雪憐に何も言わなければ、きっとまた今までの4年間と同じ事が始まるだけだ。


「雪憐」


 俺は呼んだ。雪憐が呼んだ時と同じように。雪憐が立ち止まった。


「ふざけるなよ…。これで終わらせるつもりかよ…」


 それは俺の主張では無かったが、雪憐に聞きたかった事である。雪憐はこんな結末で納得なのかと。


「雪憐は納得できたのかよ…。これで…?」


 最低でも俺は納得ができていない。雪憐にも少しであっても納得できていない思いがあって欲しかった。


「私は…」


 雪憐は振り返らずに何かを言おうとしてやめた。


 だから、俺は言った。言ってやった。


「俺の選択は…俺の4年間の選択は…今この数分で否定されるほど、安っぽい物じゃない!」


 そうだ、これが正解なんだ。2回目の想いと共に俺は自分自身を奮い立たせる。そうだ、これでこそ夜彩凛だ。


「俺の苦しみを勝手に推測して憐れむなよ」


 "人の苦しみを勝手に推測して憐れむ"、それは4年前の俺の過ちと同じもの。


 雪憐はそう伝えられて黙る。振り返らずに何を考えているか分からなかったが、考え込んでいるのは分かった。


 だから、もうどうにでもなれとばかりに、俺の信じた選択をぶつける。


「クリスマス、ここに4時に待ってる」


 それはとても馬鹿な選択で、後悔を握り潰し言う。


「え?」


 雪憐は相当意外だったのか、驚いてこちらを見た。


「俺の4年前の初恋で告白するつもりだった日」


 雪憐に今言うべき事はきっとこの事実だけだ。


「先輩…意外とロマンティストだったんですね」


 雪憐は少し呆れて言った。自分でもよく分かっている事だ。


「だな」


 それに関しては俺自身も否定できない。


「気持ち悪いですよ、周りから見たら」


 雪憐にふざけたようにそう言われて、俺も冗談が溢れた。


「周りなんてお互い気にしないくせに」


 俺がついた冗談は冗談では無かったが、冗談と同じ作用をもたらす。


「ですね」


 雪憐は痛々しいものの、先程のものよりはずっと自然に感じる笑顔で笑った。それを見て俺はすごく嬉しくて、何も解決していないのに安心感をくれた。


「ちゃんと、来ます。それで先輩が救われるなら」


 雪憐はそう言う。これは雪憐の選択。考えた上で俺の提案に乗ってくれたのであれば、言うべき台詞は一つだけだ。


「ああ、ありがとう」


 俺がそう言うと、雪憐は会釈に近い柔らかい笑みをして、俺に背を向ける。


 歩き出す雪憐の背中は沈みゆく太陽に照らされていた。

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