22 バイクに乗りたい
酷かった希死念慮が少し落ち着いた頃、乗れなくなって1年近く経っていた大型バイクに乗りたくなった。「死に近づく」手段として乗りたくなったのか、冥途の土産に乗りたくなったのか、それとも当たり前の生活に近付きたくなったのか・・・?おそらくその全てだと思う。
まずは車両感覚を取り戻すため、中古の原付スクーターを買ってきて練習した。そして大型バイクに・・・。クラッチ操作ができなくて何度もエンストさせているうちに、少しずつ少しずつ乗れる距離が伸びてきた。ポプラカフェ、喫茶ガジュマル、マッハ5と日々のルーティンにも投入。1ヶ月ほどかかったが、近所はとりあえず問題なく乗れるまでに回復した。
そんな折、東京から安慶名がバイクで帰ってきた。
「安慶名。頼みがある。ちょっとツーリングに付き合ってくれ。ほんで、俺がこれからもバイクに乗り続けられるかどうか見極めてくれんか?」
私は親友の安慶名に頼み込んだ。
安慶名は2つ返事でOKしてくれた。そして次の週末・・・奈良県の吉野方面への半日のツーリング。
「高槻。問題なく乗れてるぞ!また一緒に走れるようになってうれしいわ!」
私は心底うれしく思った。どっと疲れたが一歩前進だ!そして日々の日課にもなっていたブログにそのことを書き込んだ。
その翌日のこと。ブログにコメントが入った。ハンドルネームがない。誰や・・・?
「仕事を休んでいながら、カフェでお茶を愉しんだりバイクでツーリングに出かけたりいいご身分ですね。うつ病なんて気の持ちようですよ。あなたはご自身の立場に甘えています。スピンオフされて当然。民間ならとっくにクビですよ。」
私は気味が悪くなり、即刻そのコメントを削除した。そしてブログの更新もやめ、非公開設定にした。
6月に入り、産業医面談があった。産業医の木村先生のカルテに何やらメモが挟んである。得意の速読で判読すると、局の人事、統括産業医と田村次長の打ち合わせメモで、「職務専念義務違反」やら「懲戒処分」やら物騒な文字が並んでいる。私の日々のルーティンが筒抜けになっているようで、カフェやらバイクの文字もある。おまけに「仮面うつ病」って・・・。
「・・・あのブログコメントの輩の仕業か・・・」
どうやら個人を特定して人事に垂れ込んだようである。
念のため記しておくが、分限休職中はそもそも職務に専念することを免除されており、「義務違反」の前提条件すらない。そして「私生活」についてもとやかく言われる筋合いもない。その旨の判例もある。
うつ病が「気の持ちよう」・・・とんでもない誤解である。最新の研究では、脳が機能障害を起こして神経伝達が悪くなっていることで、気分の落ち込みや精神運動抑制が起こると言われている。
カフェでお茶を「愉しむ」・・・どの口が言ってるのか?家にじっとしていては腐ってしまうと思い、重たい体に鞭打って出かけて行って、「場所代」を払ってお茶を飲む。周囲の視線は気になるし、正直愉しむ余裕なんぞない。そして帰ってくる・・・そのプロセスは戦々恐々である。
そして「カフェ」が「図書館」にでも置き替われば批判の嵐にさらされることもない・・・何故だ?
バイクでツーリング・・・認知判断動作に課題がある人間が、景色やバイクのフィーリングを「愉しむ」余裕があると思うのか・・・?例えるならば、バイクにしがみつき、棺桶に片足を突っ込んでいるようなものである。
そして「バイク」が「自転車」にでも置き替われば批判の嵐にさらされることもない・・・何故だ?
いずれにせよ、少しずつ・・・成功体験を積み重ねることで社会復帰が近付く。まずは当たり前の日常生活ができるようになることを目指し、続いて仕事復帰へとプロセスを進めていくのだ。先にも記したが、「仕事に行く」のは非常にレベルの高いことなのである。
内臓疾患やケガから復帰する時もそうだろう?一定期間自宅療養して同じようなプロセスを進んでいく。なぜうつ病・・・精神疾患だけが異端視されなければならない?
Twitterでもよく見かける。
「うつ病だと遊んではいけないのか?」
「そんなのうつ病なわけない」
という当事者や心ない輩のつぶやき・・・。
遊んで構わない。それは回復の証である。しっかり遊んで、当たり前の日常生活が送れるようになったら、次のステップとして仕事を目指せばいいのだ。
「うつ病」かどうかを診断するのは専門医。間違っても外野はもちろん、当事者ですら決められるものではないということ。そしてそれは紛れもない「病気」であるということ・・・。
私が面と向かって心ないことを言われると、必ず相手に聞いてやることがある。
「うつ病って何?」
100%答えられない。答えられないのならつまらんことを言うなよ・・・ちなみに当事者である私も答えられない。そういうものである。
周囲の雑音を放っておければ気が楽なのだが、渦中の当事者は放っておけない。それは病気のせいであって自分のせいではないのだが、どんどんと悪循環の沼にはまってしまう。辛いところである。
この一件で、職場の上司たちは私が「うつ病」という仮面をつけて好き勝手にやっていると理解したのはほぼ間違いない。福祉の職場でありながら、そして福祉専門職でありながら、自分たちの無知無理解にはフタをして・・・。