19 復職そして・・・
3月1日朝、私は所長室にいた。山口所長から復職辞令が手渡された。そして「負担軽減」という名目で、スーパーバイザーの職責を外すと告げられた。
年末の田村次長の話では、復職は発病前の同じポジションに戻すのが原則とのことだった。だとするならば・・・病気を理由に職責を下げるのは矛盾していないか・・・?
「これって実質格下げやないか・・・」
私は心の中でつぶやいた。そして、
「今年度はあと1ヶ月ですが、人事評価の対象になります。その点一応お伝えしておきます。それから・・・産業医の指示で1カ月間は残業と遠方への出張は禁止されています。これも業務軽減の1つです。あと・・・必要な治療はきちんと受けてください。」
田村次長が事務的にそう告げた。
その日から早速通常勤務に従事した。事務所に鳴り響く電話の音、そして走り回る職員たち・・・私にも容赦なく仕事が回ってくる。ところがスムーズに対応できない。すると山中課長から怒られる。同僚からも冷たい目で見られる・・・。
1週間は何とか頑張って仕事に出かけていたが、次第に苦痛になってきた。通勤途上に途中で帰ろうと思ったことは1度や2度ではない。そして休日は家に籠りがちになってしまった。今思えば相当な負荷がかかり、「無理を押して」の状態になっていたのだと思う。
3月12日・・・事件は起こった。夕刻、突然田村次長に所長室に呼び出された。そこに所長の姿はなく、能面の山中課長がポツンと座っていた。
「高槻さん。少し確認したいことがあります。あなたは7日に終日年休を取得し、14日にも終日年休を申請していると聞きました。何故ですか?」
田村次長が厳しい表情で切り出した。
「7日は午後からの定期受診でした。14日の午前中は定期受診です。そして午後は家の用事があります。」
私はそう答えた。主治医の安藤先生は、7日の定期受診で私の異変を察知し、受診間隔を1週間に詰めていたのだ。
「年休を取るということは業務に穴をあけるということです。山中課長、高槻さんは業務の調整をされていますか?」
「いいえ。していません。」
山中課長が田村次長にぶっきらぼうに答える。
「高槻さん。平日に年休を取って病院に行くとはどういうことですか?何故土曜日に行かないんですか?」
「クリニックは予約制で、土曜日は競争率が高くて予約が取れないからです。それに、必要な治療はきちんと受けるように言われましたよね!」
田村次長の質問に、半ば切れ気味で切り返した。
「山中課長。高槻さんはきちんと仕事ができていますか?」
「・・・いえ。期待していたレベルには到底達していません。」
田村次長の質問に山中課長が不機嫌そうに答える。
「期待していたレベルって・・・復職して2週間足らずでフルスペックで働けるわけないでしょう!業務軽減業務軽減って繰り返しおっしゃいましたよね・・・一体何やったんですか!」
私はとうとうブチ切れた。
「次長。年休は権利ですよね。私は必要な治療を受けるために年休を取って病院に行くんです。14日は誰が何と言おうと休みますよ!」
「・・・誰も年休取るなとは言ってないよ・・・。」
田村次長が私の剣幕に完全に負けている。そして・・・
「私は立場としてモノを言いました。所長も同じ考えです。お話は以上です。」
そう言って場を締めくくった。
「立場でモノを言う」・・・公務員が自分の意志とは異なる不都合な発言をする時に使う常套句である。やはり山口所長の差し金か・・・クソタヌキが・・・。
私は席に戻り、すべての私物を鞄に詰めた。そしてやりかけていた仕事を整理し、空いた引き出しにわかりやすいように並べた。3ヶ月間の「負荷」が限界に達し、本能的にもうダメだと悟っていたのだろう。
定時の17時半、私はそそくさと席を立った。玄関で田村次長とすれ違ったが、挨拶もせずに飛び出した。
それが私の中央児童相談所・・・そして大阪府で勤務した最後の日になった。




