17 京阪電車との闘い
11月初旬。私は朝ラッシュが終わった京橋駅にいた。職場との話し合いは平行線のまま。妻の良子は仕事に行きつつ3回目の抗がん剤治療を終えたところだが、病状によっては私と同様働けなくなってしまう可能性は無きにしも非ずである。
私は何としてでも復職するしかないと考えた。そのためには京阪電車を克服する必要がある。実は9月に、主治医の安藤先生の制止を振り切ってトライして失敗し、病状を悪化させた経緯がある。
再度安藤先生に相談したところ
「どうしてもということなら・・・始発の淀屋橋駅から乗るのではなく、例えば天満橋駅とか京橋駅とか、通勤に使わない途中駅から乗ってみはったらどうですか?」
とアドバイスを受けた。私の場合「通勤経路」に心因反応を起こしているのだから、それを外せば糸口があるのではとの見立てである。
とりあえずJR線で京橋駅にやってきたものの、京阪電車に向かうエスカレーターに乗れない。商店街を少し歩き、離れたところから高架を走る京阪電車を眺めてみた。嫌な思い出が蘇る。やっぱり無理だ・・・。
結局30分以上高架を眺めていた。少し慣れてきたようだ。よし、もう一度駅に戻ろう。
恐る恐る改札口に向かうエスカレーターに足をかける。乗ってしまったらもう引き返せない。荒療治だ。
改札機に「PITAPA」をかざす。やはり非接触でもピピっと鳴り、閉まっていた扉が開いた。行くしかないだろう。
通勤に使う京都方面ではなく、淀屋橋方面のホームに向かう。エスカレーターを降りると、ちょうど淀屋橋行きの某大手都市銀カラーの電車が止まっていた。
エスカレーターから押し出されたその勢いで、近くのドアに飛び乗った。全身から汗が噴き出す。私のただならぬ様子に乗客の視線が集まる。そのまま崩れ落ちるように優先座席に着席。汗を拭きながら目を閉じた。
電車は7分ほどで淀屋橋駅に到着した。
「ふぅ・・・乗れた・・・。」
かなりの荒療治だったが、無事何とか京阪電車に乗ることに成功した。しかし今度は地下鉄の改札がくぐれない。仕方がないので、御堂筋を難波まで徒歩で戻った。
その後幾度となく練習を重ね、12月に入った頃、とりあえず中央児童相談所までの通勤経路を克服することができた。私が逃げるように職場を去ってから8カ月・・・長い長い戦いであった。
しかしながらこれで終わりではない。仕事に行くということは想像を絶するエネルギーを必要とする。安藤先生の診断書、産業医の木村先生のゴーサイン、そして中央児童相談所での8週間のプランを立ててもらい、半ば見切り発車でリハビリ出勤に突入した。
春から夏、秋を経て冬へ・・・世間にはクリスマスの華やかなムードが漂い始めていた。
しかしながら・・・この時からの「負荷」がジリジリと私の体に蓄積し、3ケ月後に取り返しがつかない結果を招くということに、私は全く気付いていなかった。
今だから言えること・・・一度メンタルを壊した人間は、絶対に自分の意に反して無茶なことをしてはいけない。残念ながら、心はガラス細工のように脆くなっているのだ。




