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「は、はい」
こうなったら指で籠に穴を開けようと、後ろを向いてブスリと人差し指を籠に突き刺し、こじ開ける。
よし、これでなんとか見えるようになった。
でも視界が狭まっているので、声と月明かりを頼りにヨタヨタと二人に近づいていく。
視力が良くても、こう見えにくくては何の意味もない。
「若君様、えっと、また戦を?」
フラフラと歩いているのを怪しまれてはなんだし、なんて思い、とりあえず余裕を見せたいと考えた私は若君様に声をかけた。
頭の籠を押さえながら、ゆっくりと近づいていく。
「これ! はるっ……ぬめがけ、若君に何を」
「よせ療次浪。ぬめがけ、なんじゃ。申せ」
座っていた体勢から立ち上がったのか、床の軋む音が聞こえた。
そして地面をザッと歩く音が聞こえたかと思えば、私の視界に着物の合わせ部分が見えた。
爺さんが着ていた着物とは違う物だったので、これはもしや若君様のものかと息を呑む。
背ぇ、高……。
「あの……爺さんが言ってました、一筋縄ではいかない戦だって」
「そうか」
「危ない場所に、行ってほしくないです。爺さんも、それに若君様だって」
ここから逃げて山を越えようとしていたあの時、道行く途中で人の死体がたくさん転がっているのを見た。
鎧や甲冑を着たままで、腕のお肉が千切られたような、骨が丸見えの死体がたくさんあって、戦で死んだ人なんだとすぐに分かった。
なんて恐ろしい。
気が遠のいて気絶しそうになったけれど、いやこれはやっぱり夢の中の出来事なのだとそう言い聞かせていたら、今度は熊みたいな毛むくじゃらの変な生き物に鉢合わせてしまった。
これで襲われて死んでみたら夢も覚めるのかもしれないと思ったけれど、だからと言って襲われて殺される度胸は持ち合わせていない。
だからあの時は泣いてまた戻って来たのだけれど。
「だから、その」
爺さんや目の前にいるこの人が、あんなふうに、生き物だったモノになってしまうのはとても怖い。二年も一緒にいれば情だって移るし、死んでほしくない。
記憶力がそれほどよろしくない私にしては鮮明に思い出されるそれに、手が震える。
「ぬめがけよ」
頭から被せた籠越しに、ぽんと手を置かれた。
「守るためには戦うねばならぬ」
それが目に入ったのかは分からないが、若君様は私をあやすかのような、落ち着いた声音でそう言われる。
「死なせるために戦をやるのではない。みなが生きるために戦うのじゃ」
そのとき、私は初めて若君様の顔を見た。
二年前の面影を残しながらも、眉はキリリと、切れ長な二重の目、鼻筋はスッと凛々しい顔立ち。
けれどどこか甘さもある。
さすが西の国一の美男と噂されているのも伊達じゃない。
髪は胸元まであるのか一つ縛りで、高く結い上げているのは変わっていない。けれど身体のなりようも立ち姿も、今じゃもう同い年位だとはいえないような姿だった。
爺さんが親バカみたいになる理由がなんとなく分かる。
「死人に口はない。だからなんとしても、一日でも多く大切な者たちとみなが言葉を交わせるように、勝たなければならぬ」
今度の戦はこの人が総大将を務めると言っていた。ここにいる間、その手の話の内容には慣れてきて、だんだんどういう意味かは分かって来た。戦の終わりは相手の大将の首を取るか、引き分けか、降参で終わる。相手が基本一番に望んでいるのは、敵の大将の首をとることである。
つまり今回は若君様が総大将となるから、相手はこの人の首を狙っているのだ。
「なれど、面と向こうて危のうと言われたのはおぬしで二度目じゃ」
「?」
さっきまで真剣な顔をして話をしていたのに、今はふんわりと笑って目を細めている。
暗くなり月明かりに照らされた横顔は、大きい背中のわりに儚げで、やっぱりどこか頼もしかった。
「あの私、私行きます!」
私は若君様の手を取ってギュッと握った。
さっき爺さんに恋も知らぬだとか言われたが、私は今猛烈にこの感情に名前を付けたい。
元の世界に戻れるか分からないし、いつか戻るかもしれない。
それまで死にたくないし、まぁまぁ好きなように生きてきたので未練というモノはないけれど、やっぱり親や家族には一目会いたい。
でも今生きているこの世界で、思い残すようなことはしたくない。
「これ! なにを言っておるこの馬鹿垂れが! さきほど思い直したと言ったばかりであろうが!」
「どうしたぬめがけ、どこへ行くというのじゃ」
首を傾げて目をぱちくりさせる姿も、もう何もかもが格好いいというか、とにかく。
「このぬめがけ! 若君様と共に戦へ参ります!」
拝啓、お母さま、お爺ちゃん。
私は遠い世で好きな人が出来ました。
追伸。
でも人間やめることになりました。