第9話 「伝承との符合」
アトラスが真っ先に訊いたのはイアのことだった。
「アーティーは、イアのこと、何か知らない?イアもこの遺跡の中からやって来たんじゃないかって思ってて……アーティーなら何か心当たりとかあるんじゃないかって思って訊きに来たんだ」
自分の記憶を信じれば、それで間違いない筈なのだが、アトラスは敢えてイアの来歴をあくまで可能性のこととして告げる。不安そうに胸元で拳を握るイアを見ていると、自分の口でそうと断じることは出来なかった。
しばらくの間、記憶を探るかのように黙り込んでいたアーティーだったが、
「いいえ。少なくとも私の記憶には、彼女にまつわる情報はありません」
と、予想外の答えを返した。驚き半分に喜び半分がない交ぜになってアトラスは、次に何を訊くべきか戸惑ってしまった。分からなければそれでもいいと思っていたはずなのに、実際にそうなってみると気になって仕方がない。しかし、アーティーが嘘を吐いたり、隠し事をするような人柄でもないと思っているアトラスには、それ以上追及することもできない。
アトラスが困っていると、イアが横から口を挟んだ。それはアーティーに対する質問としては、もっと根源的なものだった。
「この遺跡は一体、何なの?」
また少し考えてから、アーティーは答える。
「私が生まれた場所、と言ったら理解してもらえますか?」
言うなれば、アーティーのための神殿、といったところだろうか?アトラスはそう解釈したが、鎧姿のせいか、喋っているのに口元が動いていないことに気が付いて、そっちの方が気になってしまった。そこで最大の疑問を投げかける。
「アーティーは、”天蓋の大神”なの?」
「天蓋の大神?」
そのままオウム返しに聞き返すアーティーに、アトラスは頷く。
「アーティーが光の矢から村を守ったって、みんな思ってて。それで今もみんなでアーティーのことを探していたんだ」
「”天蓋の大神”というのは初めて聞きます。もう少し詳しく教えてもらえますか?」
アーティーから物を訊ねられるとは、思いもよらなかったが、アトラスは喜んでその神話を語って聞かせた。
「――――そうして、人類は絶滅を免れたんだ。その後、”天蓋の大神”がどうなったか知る人はいない。ある人は「他の神々に殺されてしまった」と言うし、「世界のどこかで天蓋の主柱を今でも支えている」っていう説もある。僕は2番目の説を信じているけど、でも「大神は地に潜って神々から身を隠した」っていう説もあるんだ。だから――」
「残念ですが、人違いですね」
「えっ?」
「そもそも私はアトラス――あなたに出会うまで、ここを出たことがありませんでした。ですから、私が人類を守ったなんて史実はありませんよ」
突然、話を割っての否定にアトラスは驚いたが、彼を落胆させないよう、アーティーは含めて語った。
「でも確かに符合する点も少なくないですし、とても興味深い話でした」
誰が溜息を吐いたのか、その場にほうっとひと心地ついたような、柔らかい空気があふれる。少なくともさっきから微動だにしない――恐らくは、目の輝きと受け答えが無ければ生気を全く感じなかったであろうアーティーがもたらした空気だとは、普通は考えないのだろうが、アトラスにはそう思えてならない。
安堵の雰囲気が漂う中で、イアが再び問い訊ねた。
「空は、青いものなの?」
何の脈絡もない質問だが、それはイアの抱える不安の一つの現れだった。
「そうですよ、イア。私の知る限りでは、今の濁った空の方が異常です」
意外なところで返された肯定の言葉に、イアは思わず息を呑んでいた。
今、世の中の常識をイアとアーティーの二人だけが否定している。
アーティーと共に空を駆けたアトラスには、どこまでが空なのかは、はっきりと言えない。普段見上げていた白と灰色の空。その上に広がっていた青く清浄な空間と、その更に上に広がる果てない漆黒の領域。その全てを見て来たアトラスだから、そこに明確な線引きがないと知っている。だから、あの真ん中の空間をもって空と呼ぶのなら、他は一体何なのか?と思ってしまう。
「この話はイアの前ではしたくなかったのですが、」
と、躊躇いがちな前置きをしながらもアーティーは、アトラスの疑問に対する答えを示した。
「アトラス、上空にいた銀のタマゴを覚えていますよね?あれが、煙を吐いて空を白く濁らせているのです。あれを撃ち落したから、この辺りの空は晴れて青さを取り戻したのです」
「あれが……?」
「そうです。そしてそれこそが、私の生みの親、Dr.ハンナの願いでした」
生みの親、という言葉にイアもアトラスも思わず反応してしまう。
二人とも、神様にだって親も子供もいるというのは、いくつもの神話を読んで理解していたつもりだった。さっきここが、「アーティーの生まれた場所」と説明された時も、漠然とだが納得していた。でも、実際に人外の存在、それもアーティーのような人智を越えた存在の生みの親を想像しようとしても、後光の中に目映く輝く姿無き姿しか思い描けない。端的に言って、想像の範疇を越えていた。