第10話 「願うもの」
答は半ば分かっていたが、イアはそれでも敢えて訊ねてみた。
「その、ドクターさんも……ここに?」
「いいえ、既に亡くなっています」
それは二人にも予想出来た答だった。そもそもこの奥深い遺跡の中で、二人は未だにアーティー以外の誰にも出会っていない。
今度はアトラスが心配そうにアーティーを見上げた。
「じゃあ、アーティーはずっと一人でここにいたの?」
「えぇ。あなたが来るまで随分と長いこと眠っていたようです。あれだけ眠っていれば、それだけ世界も変わるでしょう。空も変わるし、人も変わる。いずれにせよ、眠っている間に起こったことをとやかく言っても仕方がありません」
世界が変わるほどの眠りというものが、一体どれ程のものなのか、アトラスには思いも及ばない。その変化を受け入れることが出来るという、アーティーのスケールの大きさに、ただ圧倒された。
「ですが、長い年月を挟んでしまいましたがアトラス、あなたのお陰で、Dr.ハンナの願いを叶えることが出来ました。彼女が再び青空を見ることは叶いませんでしたが、きっと喜んでいますよ。礼を言います、アトラス。ありがとう」
「そんな……僕は何もしていないよ」
最初から最後まで訳の分からないままだったし、上空での戦闘の際にも、特に何かをしたわけではないのだから、アトラスには礼を言われる筋合いが分からない。ただ、アーティーの無表情な鉄仮面にもうっすらと嬉しさが滲み出たような気がして、それがまたアトラスにとっても何だか嬉しいことのように思えた。
アーティーの機嫌が良さそうだと踏んで、アトラスは一つの話を切り出した。
「ねぇ、アーティー。一つお願いがあるんだけど、いいかな?」
「何でしょう?」
「イアをあの空の上に連れて行ってあげて欲しいんだ」
アトラスのそのお願いは、イアには思いもよらなかったようで、彼女は目を丸くしていた。
「イアは小さい頃のこと……村に来る前のことは、殆ど何も覚えていないんだ。でも、青い空には見覚えがあるんだって。だから、空の上に行ってあの景色を見たら、何か思い出せるんじゃないか、って思うんだ」
アトラス自身がそうだったように、イアが昔のことを覚えていないのは単純に幼かったから、という理由もあるだろう。それでも何かのきっかけになりそうであれば、それは試してみるべきだとアトラスは思った。
「……イアは、行ってみたいと思いますか?」
しばらく考え込んでからアーティーは、イアに問い訊ねる。問われたイアも思いがけない話の流れに戸惑いながら、最後は戸惑いながらも小さく頷いた。
「では、試してみましょうか。イア、私の胸の黒い部分に手を置いて下さい」
アーティーが言う黒い部分というのがどこかは、イアにもすぐ理解できた。アトラスが吸い込まれたあの塊だ。ただ、その時の恐怖を思い出してか、イアは躊躇した。差し出されたアーティーの手に乗せられ、その胸元に導かれたが、なかなか手が伸びなかった。おっかなびっくりその指先が触れ、やがて覚悟を決めて手の平全体を置く。
しかし、しばらくそうしていても、何も起きない。アトラスの時のようなことは何も起きなかった。不思議に思う二人に、アーティーが呟くように言った。
「やはり、無理ですか……」
「どういうこと?」
それを見越していたかのような呟きに、アトラスが問う。困ったように答えるアーティーの言葉は、申し訳なさが端々に現れていた。
「騎士は二君を戴かず、といったところでしょうか。アトラスを私の主人と認識したことで、他のものを私の中に招けなくなっているようです」
「ええーっ?」
なんて融通の利かない、とがっかりするアトラスの横でイアはこっそりと胸を撫で下ろしていた。
「別にアーティーの中に這入らなくても、手の平に乗せてもらうとか――」
「それはお勧めできません。あそこは酷く寒い上に、ほとんど空気がありませんから、生身の人間が行くと死んでしまいますよ?」
「うっ……」
アトラスはどうにかして自分が見た景色をイアにも見てもらいたかったが、それはどうにも叶わない願いらしい。
「無理なものは仕方がないわ。あんまり駄々を捏ねてもアーティーが困るだけだから、止しましょう?」
「力になれず、すみません」
苦笑いでイアが窘めたことでようやく、アトラスも諦めがついた。
結局何の進展もないまま、イアの記憶を手繰る手立ては全て潰えたことになるが、イア自身がそれを全然気にもせず、いつものように自分の姉としての立場で振る舞ってくれたことが、アトラスには救いだった。
これからどうするのか?ということが頭を過ったが、もう、どうもしなくてもいいような気がする。
ふと思い付いてアーティーを見上げてアトラスが訊ねた。
「アーティーはこれから、どうするの?」
「再び眠ります。私の目的は達せられましたから、このままここで眠り続けるのが一番でしょう」
「一緒に村に来たらいいのに」
アトラスの口から本音がこぼれる。村のみんなだって歓迎してくれるだろう。こんな所で一人でいないで、村で一緒に暮らせばいいのに、というのは、半分はアーティーを思ってのこと。残り半分は単純にアトラスがそうしたいと思ってのことだったが、それを見抜いてか、イアが無言のままアトラスを制する。
「二人のことは、いつまでも忘れませんよ」
去り際のアーティーの言葉がアトラスには酷く寂しく響いて、何故だか不安が湧き上がってくるのだった。




