聖の妊娠の秘密
研究室の培養機の前で、
聖は小さく息を吸い込んだ。
「……泰代。
お願いがあるの。」
その声は、
怒りでも、悲しみでもなく、
ただ“置いていかれた人”の声だった。
私はすぐにわかった。
乃雅くんに断られたのだと。
聖は震える手で、
小さなケースを差し出した。
「これ……
私と乃雅の受精卵。
託したいの。
乃雅には……できなかったから。」
その言葉が落ちた瞬間、
胸の奥にひどい静けさが広がった。
——沈黙。
それは、
私の身体の奥にずっと沈んでいたものと
同じ形をしていた。
私は頷いた。
理由なんてなかった。
ただ、
聖の孤独が、
かつての私と同じ温度をしていたから。
本当は、誰よりも知っていた。
乃雅くんが、
自分の「空白」と向き合いながら、
どうしても一歩を踏み出せなかったことを。
医療用の器具が並ぶ暗い部屋で、
彼は顔面蒼白になり、
何度も深呼吸を繰り返していた。
聖は、
そんな乃雅くんを責めなかった。
ただ、
自分の未来を守るために、
静かに準備を進めていた。
私はその横で、
必要な器具を整え、
手順を確認し、
ただ淡々と動いた。
その“淡々”の裏側で、
胸の奥の沈黙は
ひどく軋んでいた。
(……羨ましい。)
聖が未来を受け取るその瞬間、
私は自分の内側に
何も持たないことを思い知らされた。
どうして私は、
“受け取る側”ではなく、
“支える側”でしかいられないのだろう。
どうして乃雅くんの未来は、
私の身体ではなく、
聖の身体の中で始まるのだろう。
「ありがとう、泰代。
これで……四人の未来が動き出すわ。」
聖は静かに息を吐いた。
その表情には、
安堵と、痛みと、
そして少しの決意が混ざっていた。
私は無言で、
器具を片づけた。
乾いた音が、
静かな部屋に響いた。
その音が、
私の胸の奥に落ちていった。
あの夜、
私は“共犯者”になった。
乃雅くんが「できなかった」のではない。
私が、
乃雅くんの代わりに
未来を託されたのだ。
だからこそ、
胸の奥に宿った飢餓は、
誰よりも深く、黒く、静かだった。
私は思った。
——このままでは終われない。
聖の孤独を埋めたのは私。
ならば、
私の孤独を埋められるのは
乃雅くんしかいない。
「迎えに行くしかないわね……乃雅くん。」
誰にも聞こえない声で呟いた。
沈黙は、
もう迷いではなく、
決断の形をしていた。




