お菱が曲がってる
薄暗い楽屋には、古いドレッサーの鏡がいくつも並び、電球の熱で少し甘い化粧品の匂いが漂っていた。床には羽根飾り、椅子にはショール、壁には色褪せたポスター。大人たちの笑い声と、遠くのステージから聞こえる音楽が、薄い壁越しに震えている。
その空気の中で、なずなは俊の姿勢を見て、腕を組んだまま、ため息をつく。
「俊。 あんた、自分の身体を“隠そう”としてるでしょ。」
俊は目をそらす。
なずなは俊の前に回り込み、スカートの落ち方と足の角度をじっと観察した。
そして、軽く舌打ちする。
「……お菱が曲がってるわ。」
俊はきょとんとする。
「お、お菱……?」
なずなは鏡を指さした。
「腰の角度と重心の置き方。そこが歪むと、スカートの“菱形”が崩れるの。女の子の立ち姿ってのはね、まず“菱”が整ってることが大前提なのよ。」
俊は鏡を見て、自分のスカートのラインが微妙に歪んでいることに気づく。
なずなは俊の肩に手を置き、重心をほんの少しだけ後ろに移動させた。
「隠すんじゃないの。 “どう見せるか”を選ぶのよ。」
なずなは鏡の前に俊を立たせ、スカートの落ち方、腰の角度、重心の置き方を教える。
「身体はね、形そのものより、“どう扱うか”で性が決まるの。」
俊は息を呑む。
「乃雅の“空白”を羨んでるんでしょ。でもね俊。あんたには“選んだ身体”がある。」
俊の目が揺れる。
「その選択を、誇りなさい。」
俊は初めて、自分の身体を“敵”ではなく“味方”として見つめる。
楽屋のざわめきが少し遠のいた頃、なずなは鏡の前に腰を下ろし、化粧の落ちた素顔で、静かに二人を見た。
俊はまだ姿勢を直した余韻の中にいて、乃雅は“空白”という言葉の意味を胸の奥で反芻していた。
なずなは、ふっと息を吐く。
「……あんたたちに、ひとつだけ話しておくわ。」
その声は、いつもの軽さとは違う、どこか深いところから響いていた。
俊と乃雅は自然と背筋を伸ばす。
なずなは、鏡越しに自分の喉元を見つめながら、しばらくの沈黙のあと、静かに言った。
「私ね、昔……“切られた”のよ。」
俊が息を呑む。乃雅は言葉を失う。
なずなは続ける。
「生まれたときの身体が、“この社会が決めた形”と合わなかった。だから、合わせるために切られた。」
その言い方は、怒りでも悲しみでもなく、ただ事実を静かに置くようだった。
「でもね……」
なずなは自分の胸元にそっと手を当てた。
「その傷痕は、“間違い”の証じゃないの。“生き直した”証なのよ。」
乃雅の胸が熱くなる。なずなは、乃雅の方を向いた。
「乃雅ちゃん。あんたのそれは“性器”じゃない。“傷痕”なの。」
乃雅は目を見開く。
「傷痕ってのはね、“欠けた場所”じゃなくて、“選び直した場所”なのよ。」
俊は、なずなの横顔を見つめる。そこには、強さと脆さが同居していた。
なずなは笑った。
「私の傷痕は、私が“私として生きる”ために必要だったもの。あんたたちの身体にも、それぞれの理由がある。」
乃雅は、胸の奥で何かが静かにほどけていくのを感じた。
俊は、自分の身体を初めて“歴史”として見つめた。
なずなは最後に、まるで祈るように言った。
「身体はね、“正しい形”なんてないのよ。ただ、その人が生きてきた“物語”が刻まれてるだけ。」




