きょうだいなんだし
騎士団の宿舎から戻る廊下で、エリオットは珍しく一人で佇む妻を見つけ、足を止める。これほど都合の良い状況、疲労が見せた幻覚かとすら疑う。
彼女は何やら壁の一点をじっと見つめていた。
「ルーチェ」
緊張しながら名を呼べば、弾かれたように振り向く。笑顔を見せてくれるのは嬉しかった。多少、強張っていようとも。
「こんにちは、エリオット様。どなたかお探しですか?」
「いや。部屋に戻るところだが」
彼は鍛練を終えて汗を流してきたばかり。こんなことならきちんと髪を乾かすのだったと、首にかけたタオルで銀髪の穂先を急いで絞る。
と、彼女の目の下にうっすらと隈ができている?
「それより、体調が優れないのか? 無理はしない方がいい」
「え?」
「疲れているように見えたから……」
大分ふくらんできた頬にさっと朱が差す。俯き謝罪を口にされたことで、恥をかかせてしまったことにようやく思い至った。
「ああいや、別に深い意味は」
「ご、ご心配いただくほどのことではないのです。実は昨夜、夜更かししてしまって」
「夜更かし?」
「メリルが貸してくれた本が面白くて、つい……!」
理由も恥じらう姿も可愛らしい。そう率直に思えど、伝えることもできずに目を逸らす。
それでも、レネシュでのびのびと暮らしてくれることは領主として嬉しかった。――彼女にとっての幸せを考えれば最低だとわかっているのに。
「と……ともかく、体調が悪くないのなら良かった。どんな話だったんだ?」
「魔物に支配された世界で、正義の騎士様が活躍されるお話なんです。少しでも騎士の生活というものを知るつもりで読み始めたのですが、気付いたら夢中になってしまって」
語る口調が楽しげなのはいいことだが、内容はあまり喜ばしいものではないかもしれない。何せ、彼女の想い人というのも騎士らしいから。
そうか、と再度返した相槌は素っ気なく聞こえなかっただろうか。挽回のための話題を探し、彼は慌てて先ほどの視線の行方を確かめる。
熱心に見つめていたのはとある劇の宣伝らしい。時折、城の誰かが外からもらってくるのだ。エリオット自身はほとんど足を運ばないまでも、演劇に関する事業にはこれまでもよく投資してきた。
「観劇が好きなのか?」
描かれた絵は話題の劇で、彼も噂くらいは聞いたことがある。
「幼い頃以来なので久し振りに……いえ、ごめんなさい。贅沢を」
「見聞を広めるのは贅沢ではないだろう」
少女のほっとしたような表情にため息が出た。普段から無駄遣いをしているわけでもないのだから、遠慮する必要もないのに。
「劇場も、歴史ある建物だと聞きました。期間中に行けたら嬉しいのですけど」
「いつでも好きに――」
はたと思い付いて続きを呑み込む。
「どうかされましたか?」
娯楽小説に異様なまでの熱量を抱くメリルや、交遊関係の広いロディには劣るかもしれない、が、エリオットも少しは大衆芸術を学んできた自負がある。それに、建築物の文化的価値についてなら詳しい。何せ改修を取り仕切ったのは彼なのだ。
つまり、もしかして……一緒に行けばいいのでは?
「……いや」
だがそれではまるで――デートではないか!
想像しただけで汗が滲む。慣れないことをしてこれ以上嫌われるわけにはいかなかった。彼女にとってエリオットは単なる雇用主。決して、想い人の代わりにはなれない。
レネシュに留まってくれるだけで感謝すべきなのに、横から奪うような真似をするのはあまりに不誠実だ。これは契約に過ぎないのだから。
「エリオット様?」
「っ、なんでも」
何とか気を紛らすため懸命に貼り紙の文字を睨むが、全然、頭に入ってこない。ルーチェは小首を傾げている。
「あー、ええと……この演目は定番だな。何度か再演もされているはずだが」
「土地柄でしょうか? セシリアでは観たことがありませんね」
「レネシュは昔は人が住める土地ではないとされていたから、開拓者の物語は人気があるんだ」
「なるほど。ふふ、エリオット様と観に行ったら、たくさん興味深いお話を教えていただけて楽しそうです」
心を読まれたかと隣を向くが、もちろんそんなはずはない。彼女は口許を綻ばせて絵を眺めている。この貼り紙には感謝しなければならないだろう。
「演じられる皆さんもレネシュの出身でしょうか?」
「どうだろう。役者も音楽家も有名どころを揃えているようだ、が――」
とある名前を見つけ、彼は言葉を失う。
「エリオット様?」
「あ、ああいや」
「わたし、実はこの主演のモラン様が大好きで! とても美しい方ですよね。男装の麗人といった感じで」
「……」
「おいくつくらいなのでしょう、見当もつきませんけど」
「モラン……モラン・ベルは、今年で二十になる」
何をどこからどう話したものか。戸惑いながら慎重に言葉を選べば、珍しく呆然とした気配を漂わせる領主の姿に、少女は目をまるくした。
「お詳しいのですか?」
「詳しい……詳しいというか……」
ルーチェは他領の人間だ。『知らない』のも無理はないだろう。
どうにか気を取り直す。別に、今回の凱旋公演でもモラン・ベルと関わる機会はあるまい。ここ数年、かの女優はすっかり城から足が遠退いているし。
それに今のエリオットが一番やらなければならない仕事は、目の前の妻を喜ばせ信頼を得ることだ。余計な情報を伝えて妙に勘ぐらせても悪い。
「しかしまあ、そうだな。彼女も含めて何人かと会食したことくらいなら」
「すごい! って、それはそうですよね。領主様なんですから」
落ち込むルーチェだが、セシリアとレネシュではどうしても領地の規模が違う。エリオットは平静を装いながら必死に頭を回転させる。
「今度そういう食事会があれば参加するか?」
「よろしいのですか?」
「君が望むなら。それにだな、別に行事などなくたって、レネシュで一番の店にはいつでも連れていってやる、というか」
「それは楽しみです!」
案の定、少女はパッと顔を輝かせた。
エリオットも胸を撫で下ろす。明らかに妻への特別扱いであると伝わったに違いない。食事程度ならあまり重くも受け止められないだろうし、我ながら上出来だ。自分だってやればできるのだと、アーサーに自慢してやりたいくらいだった。
「もしモラン・ベルに会うことがあれば、君のような熱心な支持者がいると伝えておこう」
「はい、ぜひ! ずっと憧れておりますと、モラン様によろしくお伝えください」
この会話は社交辞令で終わるだろう。……そう、エリオットは思っていたのだが。
◆
司祭との会議を終えて城に戻ると、玄関口が何やら騒がしい。侍女達が右往左往している様子にエリオットは目を細める。
「ああよかった旦那様! お客様が、というかですね、あの」
「落ち着いてくれ。一体どうした」
「モラン様が!」
「…………は?」
彼は持っていた鞄を地面に落とした。
「モランッ! 帰る時には連絡を寄越せとあれほど――」
逸る気持ちを抑えきれず、応接室の扉を叩き開ける。
ソファーでくつろぐ小柄な姿には、数年前に会った時から変わらず、年齢を感じさせない不思議な上品さがあった。
「もー。久しぶりの『弟』にいきなりお説教はないんじゃない?」
金色の髪は男役を務めるために短く、澄んだ翡翠の瞳も凛として美しい。――エリオットとはまるで異なる色彩だった。
数多の領民を虜にしてきた人懐こい笑みを浮かべ、すっかり寛いだ様子で、彼女はひじ掛けにのせた脚をぷらぷらとさせている。
「そんなに強くドアを開けたらアーサーがすっ飛んでくるよ。ボク、この歳で反省文なんて絶対にイヤだからね」
「おまえが話を聞かないからだろうが」
嘆息と共に吐き出す。
しかし、笑顔を向けられては彼も弱い。生意気なところはあれど、かわいいきょうだいには違いないのだ。花の咲くような笑みとは、まさに彼女のための比喩だろう。
「えへっ。ただいま、兄さん?」
「……おかえり、モラン」
モラン・ベル。本名はモラン・ランヴィール。
国内でも有数の天才役者は、ランヴィール家の養子だった。
「せめて帽子や布で顔を隠せば良いものを。まさかここまで一人で来たのか? 付き人は……」
「要らない。家に帰るだけだもん」
「おまえのところの座長は止めなかったのか」
「レオおじちゃんのことバカにしないで。怒るよ?」
「そんなつもりじゃ」
「ふふっ」
軽やかに笑うとソファーから飛び降り、腰に抱きついてエリオットを見上げる。
「嘘、嘘。いーよ、兄さんが心配してくれてるのはわかるから」
「おい、はしたない真似は」
「いーじゃん、きょうだいなんだし」
押し付けられる柔らかな体には彼も困惑する。ルーチェよりも歳上だというのに、いつまでも幼い頃と同じように接するわけにはいかない。
「頼むから、外でこんな真似はしていてくれるなよ」
「兄さん以外にはしないよ」
「俺になら良いとは言ってない」
「あ、ねえ、お腹すいた!」
半ば無理矢理に食堂へと手を引いていく。渋々といった表情ながらエリオットも逆らったりはしなかった。
「しばらく泊めてくれる?」
「まあ、それは構わないが。いつまで居る予定だ?」
「半月くらい? ちょうど公演の合間でさ。ああそうそう、温泉に入りたいな! 騎士団の寮のほうにまだ湧いてるよね? あとお酒も蔵から出していいでしょ? どうせ兄さんはそんなに飲まないんだから」
今に始まったことではないが、久しぶりに帰ったかと思えばこれだ。早々に小言を諦める。
「……ラジー! 急で悪いが夕食を一人分追加で用意してくれるか」
「ええ、ええ、喜んで!」
離れていた時間など無かったかのように、モランは繋いだ手を料理人へと見せつける。
「見て見てラジー、兄さんとボク、仲良しだよー?」
「ははは。モラン様とエリオット様が不仲だったためしなどありませんでしょう?」
「ふふ、そうかも!」
侍女や使用人達も浮き立っている。特に指示をしなくとも、彼らは甘えん坊な家族の面倒をこぞって見たがることだろう。
「ところで奥さんは? 出掛けてるの?」
無邪気な問いに、エリオットの眉間に皺が寄った。
「メリルにでも聞いたか」
「いやいや、どの侍女も使用人も、旦那サマが結婚した話ばっかりボクに教えてくれたよ? 結婚式、すごーくイチャついてたって?」
「……誰だ嘘をばらまいてるのは!」
「そんな、ホップの実をいっぺんに食べたみたいな顔しなくたって」
モランはやれやれと肩をすくめる。
「兄さんは自分が注目されてる自覚をもっと持つべきだよ。相ッ変わらずのニブチンだなあ」
「は?」
「なーんでも。で、奥さんは?」
「この時間なら市場から帰ってくる頃だな。夕食までには戻るはずだが」
「市場? 着いていかなくていいの?」
「騎士も連れてる。治安の悪い街じゃない」
「そうじゃなくてさ。仕入れを任せてるってこと?」
ようやく質問の意図を理解した。モランは珍しく怪訝そうに眉を寄せている。
「兄さんにそこまで任されるって、とーっても優秀なお嬢様なんだねえ」
彼は否定も肯定もしなかった。この期に及んで自尊心が邪魔をする。
それすらも見透かしたような態度に、どう言い返そうか考えあぐねていた時だ。
「ただいま戻りました」




