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働きものの少女と働きすぎな領主 ~死相を見られる令嬢は、夫に長生きしてほしい~  作者: 笛吹葉月


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18/41

どんなことで喜ぶのかわからなくて

 エリオットの普段の起床時間には比べるまでもないが、翌朝のルーチェの目覚めは予定よりもずっと早かった。鏡で懸命に身だしなみを確かめてから、メリルを伴い食堂に着けば、彼はいつも通りに書類の山を前にしてアーサーと話し込んでいる。


「おはようございます、エリオット様」

「ん、おはよう」


 眠そうな素振りも見せず、堅苦しい表情で小さく頷く。大きな窓を背に座る姿は、いかにもこの城の主といった風貌で頼もしい。陽炎よりもくっきりとした『影』は、それでも薄くなってきたほうだ。

 微笑みの片鱗すらなく、昨夜の出来事は夢だったのかもとルーチェはどきどきしながら対面の席に座る。テーブルが大きくて助かった。


「すみません、お待たせしてしまいました」

「構わない。仕事ならいくらでもある」

「より一層、申し訳ない気持ちになります……」

「その必要はないが」


 共に座っていたアーサーが、薬湯が入っていたであろうカップを手にとり立ち上がる。メリルと壁際に控える彼らは、どうやら見守り役に徹する気らしい。食卓には二人きり。アーサーは随分と楽しそうだ。


「坊っちゃんってば、ずっとそわそわされてたんですよ?」

「余計なことを言うんじゃない。あと坊っちゃんはやめろ」


 睨むような素振りを見せながら、テーブルのうえを片付ける。すぐにラジーとディアムが二人分のお皿を運んできた。

 ぼんやりとそれを眺めるルーチェ。エリオットは、早速とティーカップを持ち上げた手を止めた。


「どうした」

「あっ……いえ、その」

「嫌いな食材は無理をしなくていい」

「そ、そうではないのです! ただ……誰かと一緒の食事が久しぶりで、嬉しくて」


 慌てて食前の祈りを捧げる。いつも小鳥の騎士様へも内心で感謝するのだが、今日は特別に念入りに。


「冷めてしまいますね。いただきます」


 ルーチェの笑顔にもエリオットは無言のまま、やがて静かにカトラリーを手にとるのだった。

 今朝の主食は、白パンにチーズをのせて蜂蜜をたっぷりかけたもの。付け合わせには塩漬け肉とサラダ、ふわふわのオムレツに、ナッツの燻製が少し。


「おいしい……! 焼き立てのパンは格別ですね」

「ああ」


 初めて夫婦らしい時間を過ごせているかもしれない。なんでもない日常を共にできることが、ルーチェにはじんわりと嬉しかった。

 エリオットは食事を淡々と淀みなく口に運ぶ。無駄話をしないから、なおさら食べるのが早い。

 一方のルーチェはといえば、いっぺんに頬張る癖がまったく抜けなかった。淑やかにしなければと必死になる彼女は、まるでリスのようだなどと対面の彼に盗み見られていることも知らない。


「……社交の場以外で何を話すべきか」


 ほとんど最後の一口を残し、エリオットはようやく相槌以外の言葉を発した。


「仕事の話ならいくらでもできるんだが」

「むぐ……っ。おもしろそうです、ぜひ」

「気を遣わなくともいい」


 彼は唇を引き結び、塩漬け肉の欠片をフォークの先でつつき回す。


「あの……お疲れでしたか?」

「俺がか?」

「その、難しい顔をしてらしたので」

「いや……考え事をしていただけだ」


 返答に首をすくめるルーチェ。エリオットは視線を落として観念したように皿を空にすると、ナイフとフォークを丁寧に端へと揃えた。


「俺と食事をしても別に楽しくないだろう」

「わたしに配慮してくださるから、そのように仰るのでしょう? 長の立場で簡単にできる気配りではありません」


 いじけたような言葉には、しっかりと否定を返して。


「町に出かける時にも感じますもの。町の皆さんはレネシュという土地も、領主様のことも大好きなんですね。お城の皆さんだってとても勤勉ですし」

「まだまだだ。目指すところにはほど遠い」

「神様ではないのですから仕方のないことかと……あっ、えと、決して足りないというわけでは」

「わかっている。……ありがとう」


 ふっと口許を和らげたのが自嘲ではないとわかったから、ルーチェもつられて微笑む。


「わたしにも何かできることがあれば仰ってください」

「……奥様はどうかそのままでいらしてくだされば!」


 控えていたアーサーが天を仰ぐ。耳に入ったのかどうか、エリオットの眉間にまた皺が寄った。


「礼儀作法は心得ているつもりだが。恥を忍んで白状すれば、女性がどんなことで喜ぶのかわからなくて……申し訳ない」

「そんな! 無理をしていただかなくても。学生の頃はよく女性と遊んでいらしたとロディに聞きましたし、扱いはお上手なのでは」


 メリルとアーサーが揃って噴き出した。エリオットまでが赤面しながら震えている。


「君、まさかあいつの冗談を真に受けたのか?」

「冗談?」

「いや、いい……。後学のために一つ教えておくが、女性と遊ぶという言い回しは何も子供の遊戯を示すわけじゃないぞ」

「ええと……?」


 はあ、と呆れて嘆息しながらもその面差しはどこか優しい。


「……まあ確かに。職務において、女性に対し礼を失しないよう振る舞う術は学んできたと思っている。だが俺が、言いたいのは」


 口ごもりながら俯いてしまう。ルーチェからは逆光で表情がよく見えない。


「妻というただ一人の相手を特別に喜ばせるには、どうしたらいいのか」


 それから、自分の発言に気付いたように小さく息を吐いた。長い指がとんとんとテーブルを叩く。


「つまり、俺が単に至らないだけで……気を悪くしないでくれると嬉しい」


 使用人達の理解の方が早かったらしい。ルーチェが助けを求めてさっと壁際に顔を向けると、侍女は無表情ながらも口許を両手で覆っていたし、執事はあからさまにニヤニヤしていた。


「う、うるさいぞアーサー、メリル」

「何も言ってないじゃありませんか」


 腰を浮かせかけたエリオットは、悪態をつきつつも律儀に座り直した。ルーチェは見て見ぬふりをして、プラムの果汁が入ったグラスに口をつける真似をする。顔が熱い。


「そうだ、話しておきたいことがあった」

「はいっ」

「そう固くならなくていい」


 呼気のような苦笑い。どこか穏やかになった声音に、ルーチェの緊張も自然と和らぐ。


「君が気にしていた乳母殿のことだが。どうやら今は田舎に帰っているらしくてな」

「ああアンヌ! 元気にしているかしら」


 ローレンス家から脱しているという事実に少なからず安堵した。一度しか話をした覚えはないのに、彼も気にかけてくれていたらしい。


「一つ提案がある。彼女をここへ招くのはどうだろうか。聞く限り、君にとっては家族も同然だったんだろう? 手配が遅くなってすまなかったが」

「それって……」

「もちろん君達の意思を尊重する。故郷を離れるのは容易いことじゃない。余計な世話だったら遠慮なく言ってくれ」


 真っ直ぐな眼差しはあまりに真摯だった。彼はもう、ルーチェを喜ばせる方法をとっくに知っている。


「本当に、よろしいのですか?」


 尋ねる声が震える。エリオットはどこかほっとしたように微笑んだ。


「レネシュは働き者を歓迎するからな」



 ――城で夫婦の穏やかな時間が流れるのと、同じ頃。


 町の中心部に位置する劇場では、公演に向けた準備が慌ただしく進められていた。


 レネシュを中心に活動する劇団『金獅子座』。様々な土地へ出張することがある彼らも、よく設備が整ったこの劇場で演じられるのを毎回楽しみにしている。

 しっかりと清掃が行き届いた楽屋で、めいめいが化粧や衣装、小道具の準備を。

 鏡台に向かう役者のひとり、金髪の美少年……と見紛う、看板『女優』。端正な顔立ちと裏腹、行儀悪くもあぐらのような体勢で次々と化粧道具を持ち換えていく。座面にのせた裸足を見れば、年若い団員から『おじちゃん』と親しまれる座長も、いつものように「困った子だなあ」と眉を下げるはずだ。


「モランちゃんやっぱり手慣れてるね~」

「とーぜん。今日の演目なんて寝ながらでもできるよ」

「うふふ、さすが主役様」


 今回の劇は、古くから民衆に楽しまれてきたレネシュの開拓史をもとにしたもの。彼らの十八番ではあるが、どのみち彼女モランが舞台に立てば、公演の成功は約束されたも同然だった。


「そうだわ。ねえ、みんな聞いてよ。この前ね、町で領主様をお見かけしたの」

「まあ! お元気そうだった?」

「ええ、ワイナリーの視察にいらしてたみたい。相変わらず気難しそうなお顔をしてらっしゃったけど」

「うらやましいわぁ」


 はしゃぐ仲間達の会話に、モランはあまり参加しない。聞き流しながら目元に色をのせていく。彼女が『美しく立派な領主様』に興味がないことは、周りもよくわかっていた。


「それでね! たまたま見ちゃったのよ」

「見ちゃった?」

「ガラスの花の売場にいらしたのを!」

「嘘でしょ?!」


 仕上げとばかり耳飾りをつけようとしたモランの肩が、ぴくりと跳ねる。


「……モランちゃーん」


 仲間達から泣きそうな声をかけられ初めて、彼女はくるりと後ろを向いた。にこやかな笑顔を貼り付け、喜劇役者よろしく大仰に肩をすくめるのも忘れない。


「なぁに? あの領主サマが愛の花を買ってたって? あり得ないよ」

「でもあの御方を見間違えるわけがないわ!」

「やれやれ。じゃ、直接ボクが訊いてきてあげよっか」

「本当?!」

「ん。ちょうどもうすぐ休暇だし」


 跳ねるように立ち上がるとしゃらしゃらと衣装の装飾が鳴った。自信たっぷりに笑う彼女はもう、物語の主役、好奇心に導かれて旅立つ少年の姿になっている。

 役者と領主。本来なら言葉を交わすことさえ難しいが。


「任せといてよ。『兄さん』はボクに甘いからね!」

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