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ジョイスの話を聞いて以来マデリンに対してモヤモヤしていた私は、その後、マデリンから会いたいと連絡が来た時にちょっとためらいました。
でもジョイスの話を聞いただけで一方的に決めつけるのもよくないと思い、やはり会うことにしました。
「お待たせ、セシリア!」
相変わらず遅刻してきたマデリンです。
「ごめんなさいね、遅れちゃって。久しぶりの外出だから何を着ようか迷ってしまって」
「あらマデリン、先週王宮のパーティーに行ったのではないの? ジョイスに聞いたわ」
マデリンはハッとしたような顔をしましたがすぐに言葉を続けました。
「ああ、そういえばジョイスに会ったわね。元気そうだったわ。久しぶりのパーティーだって言っていたけれど、私も凄く久しぶりだったのよ。だからついはしゃいでしまったわ」
「マデリン、どこにも行けないと言っていたけどリリアナ達と旅行やショッピングに行ってるんでしょう? 観劇にも行ったり。楽しく過ごしてるみたいね」
「違うのよ、セシリア。侯爵家には付き合いというものがあるから断れないのよ。それにリリアナ達は仲良くしてみるととても明るくて前向きで、一緒にいたら元気がもらえるのよ。だから旅行にも行ったりしてるの」
私には愚痴しか言わないのに、リリアナ達とは明るく接しているなんて。私のことは、一方的に愚痴を捨てるゴミ箱とでも思っているのでしょうか。
「マデリン、若い俳優と不適切な関係だという噂も聞いたんだけど本当?」
腹が立ったので思い切って率直に聞いてみました。
「まさか、セシリア! そんな事ないわ。ただの根拠のない噂よ。もちろん、才能ある人だからご飯を食べさせたり、服を買ったりしているけれどそれだけよ。誓ってそんな関係ではないわ」
「本当? 子供達に知られても大丈夫な関係なの?」
するとマデリンはしばらく考え込んだ後急に涙ぐみ、ハンカチを取り出して目を押さえ始めました。
「ごめんなさいセシリア。本当は、そうなの。私達、愛し合っているのよ」
「マデリン! 本気なの?」
「ええ。あなたも知っているでしょう、私と夫の間には愛なんてないってこと。子供を作っただけで後は放ったらかし。ただの政略結婚よ。私は彼と出会って初めて真実の愛を知ったの」
「真実の愛?」
「そうよ。私は彼のことを、彼は私のことを愛しているわ。いつか夫と別居して彼と一緒に暮らしたいと思っているの」
「一緒に……って、離婚して彼と再婚するつもり?」
「いいえ、離婚はしないわ。私は一人では生きていけないし、子供達も育てなきゃいけないもの。夫と結婚したままで、私専用の別宅を持てたらと思うわ。彼はお金がないからそこに住まわせてあげたいの」
「真実の愛って言ったって、結局は不倫関係でしょう?」
「法律上はね。でもね、セシリアも知ってるでしょう? 私は結婚生活が辛すぎて心を病んでいるって。今も薬が手放せないのよ。でも彼と会うことで、精神が安定していられるの。今の私には彼が必要なのよ」
「そんな……」
「だからセシリア、私と彼の関係、誰にも言わないでね。約束よ」
マデリンが言うには、彼との関係を人に話したのは初めてなんだそうです。
「セシリアに知られちゃったことでかえってスッキリしたわ。彼の話を聞いてもらえて嬉しい」
それから長々と彼との馴れ初めや惚気話を聞かされました。
帰り際、マデリンは
「セシリア、また来月会いましょうね。また話を聞いてね。あなただけなのよ、信頼出来るのは」
と言って帰って行きました。
私はマデリンと別れた後、いろいろと今までのことを考えました。
思えば私は長いことマデリンの愚痴聞き役しかしていない気がします。
マデリンの愚痴を聞き、慰め、励ましの言葉を掛けるだけの役割。
私の話を聞いてくれたことがあったかしら?
私の都合を聞いてくれたことがあったかしら?
マデリンといて何か楽しいことがあった?
マデリンの話を聞いてあげるのは私しかいないと思わされていたけれど、単にマデリンは人を選んでいただけなのかもしれません。
リリアナ達とは華やかな楽しい付き合いを。
夫や義母には従順で穏やかな家族としての関係を。
そしてその人達への不満や愚痴を私に話して同情を引き、慰めてもらう。
でも私は、誰にも言わないでという約束を律儀に守ってマデリンの愚痴を心の中に溜め込んでしまい、もう爆発寸前です。
このうえ、不倫の秘密を一緒に抱えることは出来ません。このままでは私が壊れてしまいそう。
私はその夜、思い切って全てをブライアンに打ち明けました。
聞き終わった後ブライアンは静かに言いました。
「本当の友達なら不倫は止めるべきだよ」
「でも結婚生活が辛くて心の病気になってしまうって。彼がいないと病んでしまうと言うのよ……」
「夫に何か原因があったとして、それで不倫をしていいという理由にはならない。それならば離婚をして、一人になってから堂々と恋愛をすればいいだろう。夫の財力と若い彼氏とのときめき、それを両方欲しがる欲張りな人間としか僕には思えない」
「あ……」
私は目から鱗が落ちたような気がしました。
「それに、もし君がマデリンを容認するのなら、僕は君もマデリンと同じく不倫を是とする人間だと思うだろう。今の法律のもとでは不倫は罪なんだから」
ブライアンの言葉は私の胸に響きました。
「ありがとうブライアン。私が間違っていたわ。友達なら全て受け入れてあげなければと思っていたの。でも私とマデリンの関係は対等な友達ではなかったのね。ただの依存なんだわ。かまって、慰めて、優しくしてと一方的に依存されていたのね」
私はマデリンと話をしようと思いました。きっちりと、最後の話を。
翌週、私は初めて自分から連絡を取り、マデリンと会うことにしました。
マデリンはいつものように遅刻して来ました。
「セシリア、連絡くれて嬉しいわ! あなたに話したいことがあったの」
そう言ってすぐに夫や義母の愚痴を言い始めました。
「待って、マデリン。私、あなたに話があるの」
「なあに? それより、早く彼とのデートの話も聞いてもらいたいわ」
私はいつものように曖昧な笑顔で誤魔化すことなく、真剣な顔で真っ直ぐにマデリンを見つめて言いました。
「マデリン。あなたがその彼との関係を続けると言うのなら、私はもうあなたとは会わないわ」
「何ですって? 何言ってるの、セシリア? 」
「何って、言った通りよ。私は不倫は許されることではないと思っているの。だから、あなたにやめて欲しいと思ってる。それが出来ないのなら、もう友達ではいられないわ」
「酷いわ、セシリア! 私がどんなに辛い生活を送っているか、知ってるでしょう? なのに、やめろって言うの? それに不倫じゃないわ。私達、純愛なのよ」
「ならば先に離婚するべきよ。今のあなた達は完全に不倫だわ。私はそんなあなたとは付き合いたくないの」
マデリンは顔を真っ赤にしました。
「わかったわ! あなたがそんな人だと思わなかった。私の気持ちをわかってくれていると思っていたのに、偽善者だったのね! 私こそ、もう会いたくないわ。二度と私を呼び出さないで!」
自分のお茶代をテーブルに叩き付けると席を立ち、足音荒く店を出て行きました。
(終わった……)
私は大きく息を吐き出しました。何故だか、とても肩が軽くなった気がします。
(結局、マデリンの方では私のことを友達とは思っていなかったのね。愚痴を聞いて構ってくれる都合のいい人間だっただけ。でも偽善者というのは当たってるわね。私は、ただ『いい人』と思われたかっただけなのだから)
私はテーブルの上に散らばったお金を集めながら、十年に及ぶ『いい人』生活が終わったことに安堵を覚えました。