第56話 後悔をしないために
トビアスに前の人生のことを話してから、リディアは不思議な気持ちでいた。
これまでリディアは、前世の愚かな自分を、今の家族や友人に知られることを何より恐れていた。
前世を知る者は、自分しかいない。
だから、他の誰かに知られるはずもないし、知られる必要もない。
ずっと、そう思っていた。
けれど、フィオナが何者かに狙われている可能性に気づいてしまった。
そして、その危険を知っているのは、今のところ自分しかいない。
もし、またフィオナが狙われたら。
自分一人の力だけで、それを阻止できるとは到底思えなかった。
フィオナを守らなければならない。
けれど、正体すら分からない相手から、たった一人でどうやって守ればいいのか見当もつかない。
その重圧が、知らず知らずのうちにリディアへ重くのしかかっていた。
けれど、トビアスにすべてを話したことで、その重荷がほんの少しだけ軽くなったような気がした。
知られたくなかった、前の人生の自分。
傲慢で、愚かで、フィオナを傷つけた自分。
それを知られてしまったことなど、今はもうどうでもよかった。
人生をやり直しているなどという、到底信じてもらえそうにない話を、トビアスは受け止めてくれた。
そして、フィオナを守るために協力すると言ってくれた。
一人ではない。
そう思えるだけで、これほど心が軽くなるとは思わなかった。
安堵と喜び、そして感謝。
さまざまな感情が入り混じり、リディアはどこか救われたような心地だった。
そんなことを自室で考えていると、エマが一通の手紙を持って入ってきた。
「失礼いたします。トビアス様からお手紙が届いております」
「トビアス様から?」
リディアは礼を言って手紙を受け取ると、すぐに封を開いた。
『ベアトリクス嬢の件について、父上に相談した。王国裁定院からも許可を得られたよ。明日の午後、ベアトリクス嬢のもとへ行こう』
(トビアス様……!)
こんなにも早く動いてくれたことが嬉しかった。
(ありがとうございます)
心の中で礼を言いながら、リディアは手紙を大切に折り畳んだ。
そして、そのままアルヴィスのもとへ向かった。
部屋の前に立つと、少し緊張しながら扉を叩く。
「お父様、リディアです。入ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、リディアか。入りなさい」
「失礼いたします」
部屋へ入ると、アルヴィスは机に向かい、何かの書類に目を通しているところだった。
書類を机へ置き、リディアへ視線を向ける。
「それで、どうしたんだ?」
「先日、魔法学園で起こった事件について、お話があります」
「ああ、あの件だね。確か、ベアトリクス嬢が拘束されていると聞いているが」
「ええ。ベアトリクス様が拘束される前に、少し気になることがあって、彼女とお話ししたのです」
リディアは右手の中指にはめた指輪へ視線を落とした。
「その時、マグダレーナ先生からいただいたこの指輪が反応しました。ベアトリクス様には、精神干渉魔法を受けた痕跡が残っている可能性があります」
アルヴィスの表情がわずかに変わった。
「精神干渉魔法……?」
「はい。それで、私が今調べている解除魔法を使えば、何か分かるのではないかと考えています」
アルヴィスはすぐには答えなかった。
しばらく考えるようにリディアを見つめてから、静かに口を開く。
「……私は、あの事件についてはすでに全容が明らかになったと聞いている」
「はい」
「だが、リディアはまだ解決していないことがあると考えている。そういうことかな?」
「そうです」
リディアはしっかりと頷いた。
「昨日、トビアス様にも相談しました。トビアス様からアイゼン公爵様へ話を通してくださり、王国裁定院から面会の許可もいただけたそうです。明日の午後、ベアトリクス様のもとへ伺うことになりました」
「なるほどな……」
アルヴィスは腕を組み、しばらく黙り込んだ。
やがて、小さく息を吐く。
「私の本音を言わせてもらえば、正直、この件にはこれ以上お前を関わらせたくない」
「……お父様」
予想していなかった言葉に、リディアは戸惑った。
「精神干渉魔法が関わっている可能性があるというのなら、何者かが裏で動いているということになる。どう考えても危険すぎる」
「それは……」
「父親として、危険だと分かっている場所へ娘を送り出したくはない」
アルヴィスはまっすぐにリディアを見つめていた。
リディアは自分の手を強く握った。
ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「……どうしても、駄目でしょうか」
リディアは父の目をまっすぐ見返した。
フィオナが再び狙われるかもしれない。
それを知りながら、何もしないことなどできない。
「ここで何もせずにいたら……私は、ずっと後悔して生きることになってしまいます」
アルヴィスは黙ったまま娘を見つめていた。
やがて、静かに尋ねる。
「……どうして、そこまでしてベアトリクス嬢を調べたいんだ?」
「……」
リディアは答えられなかった。
アルヴィスにも、すべてを話すべきなのだろうか。
前世のこと。
そこで自分がベアトリクスと同じ事件を起こしたこと。
そして、ローレンツへの疑念。
前世で見た家族の失望した顔が頭をよぎる。
口を開きかけては、言葉を飲み込む。
そんな娘の様子をしばらく見つめていたアルヴィスは、諦めたように肩の力を抜いた。
「……分かった」
リディアが顔を上げる。
「今は話せない事情があるんだな」
「……申し訳ありません」
「理由は、今すぐでなくてもいい。いつか話せるようになった時に聞かせてくれればいい」
「ありがとうございます」
リディアは深く頭を下げた。
アルヴィスはしばらく何かを考えていたが、やがて静かに頷いた。
「王国裁定院から正式に許可が出ていて、トビアス君も一緒なのだろう。それなら、今回の面会は構わない。ただし、決して無理はするな」
「はい。では、明日、トビアス様と共にベアトリクス様のもとへ行ってまいります」
「ああ。気をつけて行ってきなさい」
もう一度礼をして、リディアは部屋を後にした。
自室へ戻ると、すぐに机へ向かう。
アルヴィスからも了承を得られたこと。
明日は予定通り同行できること。
それを短い手紙にしたためると、リディアはエマへ渡した。
「これをトビアス様へ届けてもらえる?」
「かしこまりました」
エマが手紙を受け取り、部屋を出ていく。
一人になったリディアは、右手の中指にはめた指輪を見つめた。
明日、ベアトリクスにかけられた精神干渉を、本当に解くことができるのだろうか。
解除魔法は何度も練習している。
けれど、実際に精神干渉を受けた人へ使ったことは、一度もない。
(トビアス様がくださった機会を、絶対に無駄にはしない)
不安がないわけではなかった。
失敗するかもしれないという緊張もある。
それでも、もう一人ですべてを抱え込む必要はない。
そのことが、今のリディアには何より心強かった。




