第48話 パートナーのお誘い
春になり、リディアは16歳になった。
今年も、王家主催の恒例の夜会が開かれることになっていた。
学園では、どんなドレスを着るのか、誰と夜会に出席するのかという話題で持ちきりだった。
なかでも注目を集めていたのは、容姿端麗で隣国の皇子でもあるカイの相手役だった。
その相手に選ばれたのは、Bクラスの侯爵令嬢ベアトリクス・ヘルツベルクである。
ヘルツベルク家は、王国有数の魔道具開発で知られる名門侯爵家だった。カイが国内の魔道具開発の現場を視察した際、ヘルツベルク家が案内役を務めた縁で、夜会のパートナーに選ばれたとのことだった。
その話を耳にしたリディアは、心の奥がわずかにざわつくのを感じた。
先日、廊下で自分の陰口を言っていた令嬢たち。その中の一人が、ベアトリクス・ヘルツベルクではないかと薄々感じていたからだ。
(あのときの令嬢の一人がベアトリクス様だという確証はないのだから、変に意識する必要はないのよね)
そう頭では分かっていても、リディアの心はすっきりとしなかった。
一方、リディア自身はというと、ドレスのことはエマに任せきりで、パートナーについても家族と参加することになるだろうと思っていたため、特に考えてはいなかった。
そんなある日、リディアは学園の廊下でトビアスに呼び止められた。
「リディア様、今年の王家主催の夜会のパートナーは決まってる?」
「いえ、決まっておりません。恐らく、家族と参加することになると思います」
「そうか、ご家族と……」
トビアスは少しだけ言葉をためらったあと、真っ直ぐにリディアを見つめた。
「もしよかったら、僕のパートナーになってくれないだろうか」
その灰緑の瞳を見つめ返した瞬間、リディアは頬が熱くなるのを感じ、思わず視線を逸らした。
「……は、はい。一度父に確認いたしましたら、正式にお返事させていただきます」
いつもより少し緊張した様子のリディアを見て、トビアスは申し訳なさそうに眉を下げた。
「……リディア様、申し訳ない。迷惑だったかな?」
「違います。その……逆です。……嬉しいです」
その言葉を聞いた瞬間、トビアスの顔いっぱいに笑みが広がった。
その笑顔を見た途端、リディアの胸はとくんと高鳴った。思わず息をのみ、耳には自分の鼓動だけがやけにはっきりと響いていた。
「良かった。じゃあ、返事を待ってるね」
そう言って、トビアスは鼻歌まじりに教室へ戻っていった。
廊下に残されたリディアは、頬の火照りがおさまるまで、窓の外をぼんやりと眺めていた。
その日の夕方、屋敷へ帰ったリディアは、父アルヴィスにトビアスから夜会のパートナーに誘われたことを報告した。
アルヴィスは「もちろん構わない」と快く承諾した。
以前の夜会でリディアを守って以来、トビアスはすっかりアルヴィスのお気に入りになっていたのだ。
父の許可を得たリディアは、自室に戻ると、トビアスへ承諾の返事をしたためた。
これまで何度もトビアスと手紙をやり取りしてきたにもかかわらず、こんなにも緊張しながら手紙を書いたのは初めてだった。
何度も書いては読み返し、言葉を直してしまう。便箋を新しいものへ替えたのも、一度や二度ではなかった。
たった一通の手紙を書くのに、これほど時間がかかったことはない。
ようやく書き終えた手紙を見つめながら、リディアは小さく息を吐いた。
その後、母エレノアとエマにも、夜会のパートナーがトビアスに決まったことを伝えた。
「まあ、そうなの。良かったわね」
エレノアは、どこか意味ありげに優しく微笑んだ。
一方、エマは両手を合わせて嬉しそうに声を上げた。
「きゃー! 素敵です! ドレスはトビアス様に合わせて、最高の一着をご用意させていただきます!」
「あまり張り切りすぎないでね」
「リディア様とトビアス様の大切な夜会なのですから、張り切らないというのは難しいですよ」
目を輝かせるエマを見て、リディアは困ったように笑った。
それ以来、リディアはトビアスのことを考える時間が増えた。
(私をパートナーに誘ってくださるということは、少しは私のことを好ましく思ってくださっているということよね?)
あのとき見せてくれた満面の笑みが、何度も脳裏によみがえる。
(そういえば、以前にも誘ってくださったことがあったわ。その頃から気にかけてくださっていたのかしら。それとも、お父様を尊敬しているから、その娘である私にも親しくしてくださっているだけ……?)
考えれば考えるほど、落ち着かなくなった。
けれど、本人に尋ねる勇気はない。
(それに、私はまだ、トビアス様だけではなく、カイ様のことも気になっているのだから……)
自分の気持ちさえはっきりしていないのに、トビアスの気持ちを知りたがるなど、都合が良すぎるのではないだろうか。
そんなことを自室で考えていると、扉が控えめにノックされた。
「リディア、俺だ。部屋に入ってもいいかな?」
聞こえてきたのは、兄アレクシスの声だった。
「どうぞ」
扉が開き、アレクシスが部屋へ入ってくる。
「お兄様がわざわざお部屋にいらっしゃるなんて珍しいですね。どうかされましたか?」
「今度の王家主催の夜会の件なんだが、カレン嬢はもうパートナーが決まっているのかな?」
「カレン様ですか? 恐らく、まだ決まっていないかと……」
カレンは何人かの男性から誘いを受けていたようだが、すべて断っていると話していた。
そこまで考えたところで、リディアは大きく目を見開いた。
「お兄様! まさか、カレン様をお誘いするのですか?」
「ああ、そのつもりだ」
アレクシスが当然のように答えると、リディアはぱっと顔を輝かせた。
「それなら、急いだ方がよろしいですわ! カレン様は大人気なのですから、お誘いのお手紙は風切鳥で送ってくださいね! 今すぐお部屋へ戻って書いてくださいませ!」
「今すぐ?」
「今すぐです!」
勢いよく言い切った妹を見て、アレクシスは思わず笑った。
「ははは、分かったよ。そうしよう」
「必ずですからね!」
「ああ、大丈夫だよ」
アレクシスは笑いながら部屋を後にした。
そして翌日。
教室へ入ったリディアは、どこか嬉しそうな表情を浮かべたカレンの姿に気づいた。
目が合うと、カレンの頬がわずかに赤くなる。
リディアはすぐに昨夜の手紙のことを察し、カレンのもとへ歩み寄った。
二人は何も言わずに微笑み合うと、そっと手を握り合った。
「カレン様、当日が楽しみですわ」
「ええ……。まるで夢のようです」
カレンは幸せそうに微笑んだあと、少し不思議そうにリディアを見つめた。
「リディア様から、お兄様へ何かお伝えしてくださったのですか?」
「いいえ、私は本当に何もしておりませんわ。お兄様がカレン様をお誘いすると決めたあと、早く手紙を書いてくださいと急かしただけです」
「そうなのですね……」
カレンは照れたようにはにかんだ。
「ドレスは何色が良いと思いますか?」
「カレン様はどのような色でもお似合いになるので、迷ってしまいますね」
アレクシスの礼服に合わせるなら、落ち着いた色が良いだろうか。けれど、カレンの雰囲気には明るい色もよく似合いそうだ。
リディアが頭の中でカレンに様々な色のドレスを合わせていると、そこへフィオナがやってきた。
「リディア様、カレン様、おはようございます! 夜会のドレスのお話ですか?」
「おはようございます、フィオナ様。ええ、カレン様のドレスについて話していたところです。フィオナ様は、もうお決まりですか?」
「はい。私は次期聖女として夜会に参加することになっておりまして、教会の方が用意してくださる白いドレスを着る予定です。パートナーはローレンツ様が引き受けてくださいました」
「次期聖女として参加されるのですね」
「今回は国外から身分の高い方々もいらっしゃるそうで、夜会の始まりに、皆様の前で祈りを捧げることになっているのです」
「では、またフィオナ様の祈りを拝見できるのですね。楽しみにしております」
カレンが嬉しそうに声を弾ませる。
けれど、リディアはわずかな違和感を覚えていた。
(あら? フィオナ様が祈りを捧げる王家主催の夜会なんて、前の時間軸にはなかったはず……)
前の時間軸では、この時期の夜会でフィオナが次期聖女として祈りを披露したという記憶はない。
(私の人生だけでなく、様々なことが少しずつ変わり始めているのかしら)
リディアが考え込んでいると、フィオナが不思議そうに首を傾げた。
「リディア様、どうかされましたか?」
「いいえ、何でもありませんわ。夜会でお二人にお会いできることを、楽しみにしておりますね」
リディアは胸に芽生えた小さな不安を振り払うように微笑んだ。




