第20話 職人を迎えるために
ドワーフの職人たちが、三か月の試験滞在という形でエルヴィン領へ来てくれることになった。
その知らせは、王都のタウンハウスから北のエルヴィン領へと戻ったあとも、しばらくリディアの胸を高鳴らせ続けていた。
ミスリルの鉱脈。
そして、それを実際に形にすることのできる職人の手。
まだ何も始まってはいない。
けれど、これまで夢のように語っていたことが、ようやく現実へと近づき始めている。
(とはいえ、来ていただくだけで満足していては駄目ね)
リディアは、アルヴィスがドロガンに送った書簡の返事を抜粋した内容の紙を机の上に広げていた。
そこには、滞在中の住まいと仕事場について、いくつかの希望が記されている。
まず、住まいは石造りであること。
地下の部屋があること。
家具は自分たちで作るため、頑丈な木材や石材を用意しておいてほしいこと。
そして鍛冶場についても、領地に着いてから自分たちの手で作りたいとのことだった。
(人間ではなく他種族の方々だから人間のつくりのままだと使いづらいわよね。彼らが不自由なく暮らし、思う存分に槌を振るえる場所ができればいいのだけど)
その日の午後。
リディアは父アルヴィス、兄アレクシスと共に、ドワーフたちの住まいと鍛冶場にふさわしい場所を見に出ていた。
夏のエルヴィン領は、王都ほど息苦しい暑さではない。
空は高く澄み、緑の濃くなった木々の葉が、涼やかな風に揺れている。
遠くに連なる山並みは青くかすみ、陽射しを受けた草地には、白や黄色の小さな花が点々と咲いていた。
「鍛冶場となると、火や音の問題がある。街のすぐそばは避けた方がいいだろう」
アルヴィスが、少し離れた丘の麓を見ながら言った。
「ですが、あまり離れすぎても不便ですわ。冬に雪が深くなれば、行き来が難しくなりますもの」
リディアが答えると、アレクシスも頷いた。
「鉱石や石材を運ぶことを考えると、道を整えやすい場所がいいね。水場も近い方がいい。鍛冶場を作るなら、冷却用の水は欠かせないだろうから。」
「そうだな」
アルヴィスは地形を見渡す。
屋敷から少し離れた場所に、緩やかな傾斜を持つ丘があった。
その麓には小川が流れ、近くには馬車が通れる程度の道もある。
鉱山へ続く道を整えることを考えても、悪くない位置だった。
「この辺りなら、街からも遠すぎない。音も多少は離れるだろう」
リディアは小川の方へ視線を向けた。
水面が夏の光を受け、きらきらと輝いている。
そのそばで、いつかドワーフたちが炉を組み、ミスリルを見極めるのだと思うと、不思議な実感が湧いてきた。
「ここなら、よさそうですわね」
「私もそう思う」
アルヴィスは穏やかに頷いた。
「ただし、鍛冶場の細かな造りはドロガン殿たちに任せよう。こちらが勝手に整えすぎると、かえって使いにくいかもしれん」
「はい。住まいと材料、それから最低限の土台を整えるところまで、ですね」
「そういうことだ」
父の言葉に、リディアは深く頷いた。
候補地が決まると、次に問題となるのは、ドワーフたちのもとで学ぶ職人たちだった。
アルヴィスとアレクシスは、領内の鍛冶職人や石工、細工師、魔道具の部品を扱う職人たちを集め、話し合いを重ねた。
ドロガンたちはあくまで三か月の試験滞在だ。
その間に、どれほどの技術を学べるかは分からない。
けれど、何も準備せずに迎えてしまえば、貴重な機会をただ見送ることになる。
「人数は多すぎても、ドロガン殿たちの負担になる」
アルヴィスはそう判断した。
最終的に選ばれたのは、六人。
腕の良い鍛冶職人が二人。
石材の扱いに長けた石工が一人。
細工師が一人。
魔道具工房に出入りしている若い見習いが一人。
そして、まだ若いが飲み込みの早い鍛冶見習いが一人。
「六人なら、ちょうど良いかもしれませんね」
アレクシスが名簿を見ながら言った。
「武器だけではなく、装飾品や魔道具、工具にも繋げられる。ミスリルを扱うなら、鍛冶だけでは足りないだろうから」
「ええ」
リディアも頷いた。
「ミスリルの価値は、剣や鎧だけではないと思いますわ。魔力の通りを活かせば、魔道具の部品にもなります」
「すっかり研究者の顔だね」
アレクシスが楽しそうに笑う。
「お兄様、からかわないでくださいませ」
「からかっていないよ。頼もしいと思っている」
さらりと言われ、リディアは少しだけ頬を赤らめた。
自分の考えが、少しずつ領地の形に関わっていく。
そのことが嬉しくもあり、同時に身の引き締まる思いでもあった。
それから、準備は急ピッチで進められた。
ドワーフたちの住まいを任されたのは、領地で一番腕が立つと言われる建築家だった。
彼はドロガンから届いた希望を何度も読み直し、唸りながら図面を引いた。
「石造りで、地下室つき。頑丈で、雪に耐え、かつ作業道具の搬入がしやすい家……。なかなか面白い注文ですな」
建築家はそう言いながら、目を輝かせていた。
土台と外壁には、強度の高い花崗岩が使われた。
分厚く積まれた石壁は、北の雪風にもびくともしないほど重厚で、屋根は雪が自然に落ちるよう、王都の建物よりも急な角度で組まれている。
入口は広く、荷物を運び入れやすいように作られた。
地下室へ続く階段は幅を広めに取り、道具や鉱石を運ぶことも考えられている。
暖炉は大きめに設けられ、冬の寒さにも耐えられるよう、壁の厚みも十分に取られた。
家具はドワーフたちが自作するとのことだったため、屋内には最低限の寝台と作業台だけが置かれ、別に頑丈な木材や石材、金具などが積まれていく。
(本当に、少しずつ形になっていくのね)
完成へ近づく石の家を見上げながら、リディアは胸の奥が熱くなるのを感じていた。
同時に、歓迎の準備も進められた。
酒は、できる限り多くの種類を用意した。
麦酒。
葡萄酒。
冬越し用の強い蒸留酒。
それから、ドロガンが約束として念を押していた、クリスタルスティングの蜂蜜酒。
まだ正式に流通させられるほどの量はないが、歓迎の席に出す分なら十分に用意できる。
「お酒の種類はこれくらいで大丈夫でしょうか」
リディアがぽつりと言うと、アレクシスは瓶の状態を確認しながら笑った。
「酒の種類に関しては大丈夫だと思うよ。むしろ量が足りるか心配なくらいだ」
「足りないのは困りますわ」
「領地の酒がなくなってしまうかもね」
兄の言葉に、リディアは思わず笑った。
そんな中、マグダレーナ先生との授業の際にも、ドワーフ職人たちがエルヴィン領へ来る話をすることになった。
「ドワーフの職人が、エルヴィン領に?」
マグダレーナ先生は、珍しく分かりやすく目を輝かせた。
「ええ。三か月の試験滞在という形ですが、ミスリルの鉱石を見ていただけることになりました」
「それは素晴らしい機会ですわ。ミスリルを実際に扱えるドワーフの職人など、王都でも簡単に会えるものではありませんもの」
普段は落ち着いた声音の先生が、少し前のめりになる。
リディアはその反応に、少し驚いた。
「先生も、ミスリル加工にご興味がおありなのですね」
「もちろんです。ミスリルは魔力の通りが非常に良い素材ですから。魔道具の回路、魔術式を刻む針、魔力を安定させる補助具……応用範囲は広いですわ」
マグダレーナ先生は、すぐに真面目な表情へ戻る。
「もしよろしければ、私も一度、その職人たちにお会いしてみたいですわ」
「きっとドロガン様たちも、先生のお話には興味を持たれると思います」
「ふふ。そうだと嬉しいですね」
その笑みに、リディアもつられて微笑んだ。
ドワーフの技術。
マグダレーナ先生の魔法知識。
エルヴィン領のミスリル。
それらが結びついた時、どんなものが生まれるのだろう。
考えるだけで、心がひそかに弾んだ。
そして、迎える当日。
エルヴィン領の空は、朝からよく晴れていた。
夏の日差しは明るいが、王都よりも空気は澄んでいて、風にはどこか涼しさがある。
リディアは屋敷の前に立ち、馬車が来る方角を見つめていた。
隣には父アルヴィスと兄アレクシスがいる。
少し離れた場所には、選ばれた六人の職人たちも、緊張した面持ちで控えていた。
(いよいよ、来られるのね)
王都の鍛冶場で交わした言葉を思い出す。
まだ完全に認められたわけではない。
三か月の試験滞在。
気に入らなければ王都へ戻る。
ドロガンは、そうはっきり言っていた。
だからこそ、この最初の印象は大切だ。
やがて、道の向こうに馬車の影が見えた。
車輪が石畳を踏む音が近づき、ゆっくりと屋敷の前で止まる。
扉が開き、最初に降りてきたのは、灰色の髭を胸元まで伸ばしたドロガンだった。
続いて、王都の鍛冶場で若い声を上げていたトールン。
最後に、寡黙な職人らしいグレンが、無言のまま荷物を抱えて降りてくる。
「長旅、お疲れ様です」
リディアが礼を取ると、ドロガンはぐるりと周囲を見回した。
「おう。王都よりも落ち着いていて良い場所だな」
「ありがとうございます」
「空気も悪くねえ。炉の前に立つなら、王都の夏よりはこっちの方がましそうだ」
ドロガンはそう言って、にやりと笑った。
それから視線を動かし、用意された石造りの家を見る。
しばらく黙って眺めていたかと思うと、太い腕を組んだ。
「おお、なかなか洒落た建物じゃねえか」
その言葉に、リディアはほっと胸を撫で下ろした。
ドロガンは建物へ近づき、壁や屋根、入口の幅を順に見ていく。
トールンも興味深そうに周囲を見回していた。
「ヴァルディア王国内でも、北の地域だと少し建築が変わるんだな」
「ええ。王都より雪が積もりますので、屋根の傾きや壁の厚さも、雪と寒さに耐えられるようにしてあります」
「なるほどな。屋根の角度が急なのはそのためか」
ドロガンは納得したように頷いた。
その横で、グレンが無言のまま壁の岩を撫でるように触る。
「……頑丈そうだ」
短い一言。
だが、それを聞いた建築家が、少し離れた場所でほっとしたように息を吐いたのを、リディアは見逃さなかった。
「地下室もあるんですよね?」
トールンが、少し弾んだ声で言う。
「はい。道具や材料の保管にも使えるよう、広めに作ってあります」
「親方、これなら炉道具の置き場にも困らなさそうですね」
「ああ。大丈夫そうだな」
ドロガンはそう言ったあと、リディアの方へ視線を戻した。
「ずいぶん気を回したな」
「皆様に不自由なく過ごしていただきたかったのです」
「ふん。まだ住み心地は分からねえが、少なくとも形だけの客間よりはよほどいい」
ぶっきらぼうな言葉だった。
けれど、そこに悪い響きはない。
リディアは静かに微笑んだ。
その夜。
エルヴィン家では、ドロガンたち三人を迎えるための歓迎会が開かれた。
とはいえ、格式張った晩餐会ではない。
大きな暖炉のある広間に、肉料理や燻製、黒パン、チーズ、根菜の煮込み、それから何種類もの酒が並べられた。
銀の皿に美しく盛りつけるというよりは、温かい料理を気兼ねなく取れるようにした宴だ。
アルヴィスは穏やかに杯を手にしながら、ドロガンたちの様子を見守っていた。
ドロガンに堅苦しいのはやめてくれと言われていたのだ。
「約束通り、本当に用意してやがったな」
ドロガンは、琥珀色の蜂蜜酒が注がれた杯を手に、満足そうに笑った。
「もちろんです。歓迎の席には必ずご用意するとお約束しましたから」
「はっは! こういう約束を守る貴族は嫌いじゃねえ」
そう言うなり、ドロガンは杯を傾けた。
一口。
そして、もう一口。
王都の鍛冶場で見た時と同じように、彼の眉がわずかに動く。
「この蜂蜜酒、なかなかイケるだろ」
ドロガンが上機嫌に杯を掲げると、トールンが目を丸くした。
「親方がそこまで気に入る酒って、珍しいですね」
「お前も飲んでみろ」
促され、トールンも蜂蜜酒を口にする。
その瞬間、彼はぱっと表情を明るくした。
「うわ、甘いのに後味がすっきりしてる。これ、肉に合いますね」
「だろうが」
ドロガンはなぜか自分の手柄のように胸を張る。
グレンも静かに杯を手に取り、一口だけ含んだ。
しばらく黙っていたが、やがて短く呟く。
「……香りがいい」
たったそれだけの言葉だった。
だが、ドロガンは満足げに笑った。
「グレンがそう言うなら、かなり気に入ったってことだ」
リディアは、その様子に安堵した。
蜂蜜酒を気に入ってもらえるかどうかは、思っていた以上に気になっていたらしい。
食事が進み、酒の杯も何度か満たされた頃。
ドロガンが、ふと蜂蜜酒の瓶を眺めながら呟いた。
「……この蜂蜜なら、紫の苔を漬けても良さそうだな」
トールンが「ああ、確かに」と頷く。
「腹にも良さそうですね。香りも強すぎないし」
グレンも無言で、ほんのわずかに頷いた。
リディアは、その言葉に一瞬だけ目を瞬いた。
「紫の苔、ですか?」
「おう。ドワーフの間じゃ、胃にいいんだ。酒に漬けると、仕事終わりにちょうどいい」
ドロガンは何気ない調子で言った。
おそらく彼らにとっては、ごく普通の知識なのだろう。
だが、リディアの頭の中には、以前読んだ薬草と鉱山植物に関する記述が浮かび上がっていた。
リディアは一瞬迷ったが、黙っているわけにもいかなかった。
「……ドワーフの方々にとっては胃薬になるものかもしれませんが、人間にとっては猛毒です。管理には慎重になさっていただけると助かります」
その言葉に、トールンがぎょっとしたように目を見開いた。
「え、人間には毒なんですか?」
グレンも杯を置き、少しだけ眉を動かす。
ドロガンは、驚いたというよりも面白がるように目を細めた。
「あれが人間には猛毒なのか。そりゃ知らなかったな」
そして、豪快に笑う。
「じゃあ、分けてやるのはやめにしとくか。親切のつもりで倒れられちゃ、たまらねえからな」
「お願いいたします」
リディアが真面目な顔で言うと、ドロガンはますます可笑しそうに笑った。
歓迎会の終盤。
料理の皿が少しずつ空き、広間の空気が穏やかに温まった頃、アルヴィスがドロガンへ声をかけた。
「ドロガン殿。明日は、採掘済みのミスリルを実際に見ていただきたい」
それまで上機嫌に酒を飲んでいたドロガンの目つきが、すっと変わった。
杯を置き、背筋をわずかに正す。
「ああ。まずは石を見る。話はそれからだ」
その声には、先ほどまでの陽気さとは違う、職人としての重みがあった。
「石は嘘をつかねえ。良い鉱脈なら、叩く前から音が違う」
トールンの目が期待に輝く。
グレンは無言のまま、静かに杯を置いた。
酒と料理で緩んでいた空気が、ほんの少しだけ引き締まる。
リディアは、その変化を胸の奥で受け止めた。
明日、彼らはエルヴィン領のミスリルを見る。
彼らの手によって、その価値が見極められる。
(ようやく、本当に始まるのね)
ドワーフたちの笑い声と、暖炉の火が弾ける音が、夜の広間に重なって響いていた。
けれどリディアの胸に残っていたのは、歓迎会の賑やかさだけではない。
ミスリルの鉱脈。
職人の手。
エルヴィン領の未来。
ばらばらだったものが、またひとつ繋がろうとしている。
銀白の鉱石が、これからどのような形へ変わっていくのか。
それが、この北の地にどんな未来をもたらすのか。
まだ何も分からない。
けれどその夜、リディアの胸には、確かな期待が静かに灯っていた。
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