第18話 どんかんヒロイン爆誕
社交界デビューから数日が経っても、王都の話題はエルヴィン公爵令嬢一色だった。
「大真珠貝の絹」を纏った彼女の姿は、いつしか「白銀のバラ」や「深海の妖精」という二つ名と共に語り継がれている。
何より、あの夜――アイゼン公爵家の嫡男トビアスに始まり、第一王子クラウス、第二王子ルーカス、そしてその側近ヴァルデック公爵家子息のセドリックという、この国の至宝とも言える顔ぶれが次々と彼女をダンスに誘った事実は、貴族たちの間に凄まじい衝撃を撒き散らしていた。
そんな喧騒をどこ吹く風で、リディアは今日も王宮の一角にある訓練場にいた。
「——はあッ!」
鋭い気合と共に、クラウスの木剣が空を切る。
それをセドリックが危なげなく受け流し、後方からはルーカスの放つ小さな光弾が飛ぶ。三人の稽古は、将来の国を背負う者としての峻烈さが入り混じっていた。
(剣……。今は魔法の勉強を優先しているけれど、護身のためにも少し習っておいてもいいかもしれないわね。カレン様も剣が得意だと言っていたし)
「……素晴らしいわ。お三方とも、一段と動きが鋭くなった気がします」
リディアは訓練場の脇に用意された天幕の下で、優雅にお茶を楽しみながら拍手を送った。
デビューの夜、トビアスの後に彼らと踊ったのは、リディアにとっては「友人としての儀礼」に過ぎなかったが、その縁でこうして稽古を見学する機会が増えていた。
「そう言ってもらえると、励みになります」
稽古を終えたクラウスが、汗を拭いながら歩み寄ってくる。
かつてのリディアなら、この距離感に心臓を跳ねさせ、なりふり構わずハンカチを差し出しただろう。けれど今の彼女は、ただの「友人」として、用意されていた冷たい飲み物を勧めるだけだ。
「あの、よろしければ私も次回から参加させていただきたいですわ。剣を握ったことはありませんけれど、魔法なら少しは自信がありますのよ」
「リディア嬢と一緒じゃ、ハラハラして集中できないよ」
「まあ。失礼ですわね、足手まといにはなりませんわ」
「……そういう意味では、ないのだが」
クラウスは苦笑しながら、それ以上説明するのを諦めた。
「はぁ……。さすがに今日は疲れたな」
「当たり前ですよ。稽古の前も、お一人で黙々と素振りをなさっていたではありませんか」
「殿下、休みも大切ですよ」
ルーカスとセドリックの呆れ顔に、リディアも頷く。
「クラウス様。あまり無理をなさらないでくださいね。お体が心配ですわ。私など、あの日皆様と数回踊っただけで、翌日は足が棒になってしまいましたもの」
「耳が痛いな。……もっとも、あの日は別の意味でも気力を削がれたのだが」
「別の意味、とは?」
「君にダンスを申し込もうとした瞬間、アイゼン卿に横槍を入れられたのが、よほど悔しかったらしい」
「なるほど。それで、いつも以上に打ち込んでおられたのですか」
セドリックが納得したように笑いながら、リディアの隣に腰を下ろした。
「横槍だなんて。あの日、皆様は他の令嬢たちに囲まれてお忙しそうでしたもの。挨拶代わりに踊りに来てくださるなんて、思ってもみませんでしたわ」
「リディア様……。あれをただの挨拶だと思っているのは、世界中で君一人だけだよ」
ルーカスが小声で呟きながら、天を仰いだ。
「あら。まるで私が、お話に出てくる鈍いヒロインみたいな言い方ですわね」
不思議そうに小首を傾げるリディア。
(そうだよ! ど・ん・か・ん!)
ルーカスは心の中で、全力で毒づいた。
「しかし、いつも図書館に入り浸りのトビアスがダンスを踊れることには驚いたな」
セドリックが思い出したように呟く。
「私も驚きましたわ。なかなか掴めない方ですよね」
「やるべきことはしっかりやられているんだろうな」
「トビアス卿は、堅苦しいアイゼン家のイメージとは少し違うよね。飄々としていて、どこか自由な雰囲気がある」
ルーカスは、トビアスの神出鬼没な振る舞いを思い出し、ふふっと小さく笑った。
リディアにとって、この三人は「前世の確執」を乗り越えた先にある、穏やかなお茶飲み友達だ。
クラウスの金髪に西日が透けるのを見て、(相変わらず綺麗な顔だわ)とは思うが、胸に恋の火が灯ることはない。
彼女が求めているのは、彼を繋ぎ止めるための執着ではなく、共に笑い合えるこの静かな時間だった。
「リディア嬢。……巷では、君への求婚状がエルヴィン公爵邸に山積みになっていると聞いたが」
クラウスが、少し焦燥感の混じった視線を向けてくる。
「ええ。お父様が「こんな紙屑、暖炉にくべる価値もならん!」と、すべて片付けてしまいましたわ。
あの日、殿下たちが順番に私を誘ってくださったせいで、皆様、私にそこまでの価値があるのだと勘違いをなさってしまったみたいですわね」
実際、リディアの美しさもさることながら、王子たちが代わる代わる踊ったことで、彼女の価値は「公爵令嬢」から「王家のお気に入り」へと跳ね上がっていたのだ。
「君は……本当に、興味がないのだな」
クラウスが苦笑し、切なそうな瞳でリディアを見つめた。その視線に、かつての冷酷さは微塵もない。
「私はただ、自分を大切にしてくれる方々と、穏やかに過ごせればそれで十分なのです」
にっこりと微笑むリディア。
(そう。愛されようと必死だったあの頃より、今のほうがずっと、この人たちを近くに感じるわ)
当のリディアが、その「近さ」の正体に気づく日は、まだ遠そうだった。




