33 二人の姫君
しばらくの間俺たちはベンチを離れることをしなかった。遊園地と言う賑やかな喧騒に包まれながらもこうして僅かな微睡みを得られるというのは、奇妙なものだ。
頃合いを見て二人に声をかける。流石にいつまでもこうしてベンチで休んでいる訳にもいくまい。折角遊園地に来たんだ。ここでしか出来ないような思い出を作らなければ勿体ないだろう。
「マキナ、どこか行ってみたいところはあるか?」
俺は入り口でもらった遊園地のパンフレットをマキナに手渡す。受け取ったマキナはページをパラパラとめくり、やがて一点を見つめだした。
「これ……」
そっとパンフレットを指さす。それを目で追うとそこには豪奢な城のような建物の写真が載っていた。
マキナは指で写真のすぐ横にある文字をたどり言う。
「シンデレラ?」
パンフレットにはそう書いてあった。恐らくシンデレラの物語に登場する城をモチーフにした建物なのだろう。
マキナは顔を上げキョロキョロと当たりを見渡す。そして目当ての物を見つけたようだ。
「私、あそこに行きたい」
マキナの指さす先にはパンフレットの写真と瓜二つな城がそびえ立っていた。その姿は正しくシンデレラの城と呼べるほど幻想的で、日本には似つかわしくないほどに美しかった。
シンデレラ。それはかつてマキナが迷子の少女を助けたときに一緒になって読んでいた物語だ。
マキナには余程印象に残っていたのだろう。勿論、俺の中でも忘れる事の出来ない出来事だ。何の因果か、それが今再び俺たちの目の前にある。
「すごーい、本物初めて見たー。でっかー」
本物ではないけどな。
五十実は目の前の巨大な建造物の迫力に感嘆の声を上げていた。その横でマキナも同じように建物を見上げている。
全長50メートルはあろうかという巨大な城は人を否応なしに高揚させる。周りにも好奇心に目を光らせた子供や大人たちが次々に中へと誘われていた。
「ここにシンデレラと王子様が住んでいるの?」
マキナの質問の純朴さに思わず苦笑してしまった。なるほど、そもそもマキナは絵本の物語を実話だと思っていたのか。
夢を壊すようで少し心苦しいが俺はここには本物のシンデレラや王子はいないことを告げる。するとマキナは少しばかり残念そうな表情でそうなんだと相槌を打った。そんなマキナの表情を見て何か思ったのか五十実が俺の解説に文句をつける。
「ちょっとー、先輩ー。そこは嘘でも"今はいないけど住んでるよ"くらい言えないんですかー? 乙女の純粋な夢を壊さないでくださいよー」
「悪いな、俺はマキナに嘘は吐きたくないんだ」
もっともらしいことを言って誤魔化した。実際マキナに対しては嘘を吐きたくない。その理由は自分でもよくわかっていない。優しい嘘の一つでも思いつけば良いのになんて、思ってしまうとはな。
ふとマキナを見ると俺と五十実を交互に見つめていた。まるで何かに期待しているかのようだ。俺はその期待に応えるべくマキナの手を取る。
「じゃあ、行くか」
「うん、行こう」
柔らかな笑顔がまた咲いた。マキナの期待に俺はちゃんと答えられたようだ。屈託のないこの笑顔にどうも俺は弱いらしい。またそれは五十実も同様だった。マキナから差し出された手を取った五十実はマキナに負けないくらい眩しい笑顔を向けていた。
城の内装は外観と引けを取らないほど絢爛なものだ。煌びやかな装飾や鏡のように磨かれた大理石の床。眩いばかりのステンドグラスや至る所に吊るされたシャンデリアなど、非現実的な空間はまるで本当に物語の世界に迷い込んだかのように錯覚させる。マキナと五十実は奥へ進むたびにすごいだの綺麗だの素直な感想を述べていた。
「あ……」
マキナの歩みがとある絵の前で止まる。見るとそこにはシンデレラと王子と思わしき人物のイラストが掲げられていた。
仲睦まじく手を取り合い笑う姿は幸せの象徴しているようだ。周りには大勢の従者が二人を暖かい笑顔で見守っている。恐らく、ハッピーエンドとはこういうもののことを言うのだろうな。
しかし、そこにシンデレラの家族らしい人物は描かれていなかった。
「……幸せそうだね、シンデレラ」
マキナはそっと呟いた。俺の目から見ても幸福を噛みしめているようにしか見えない。だが、以前のマキナの解釈を思い出すとそれも皮肉めいたものに見えてきてしまう。
マキナはシンデレラの物語を呼んだ後、シンデレラの家族のことを気にかけていた。家族とは仲直りできたのか、その後どうなったのか。絵本には王子と婚約して幸せに暮らしたとしか書いていなかった。あの絵本の内容だけだと継母たちとは碌に和解せずに終わっているのだ。この幸福の象徴はそれを裏付けているようにも見える。それはとても、幸せそうだった。
マキナは優雅に微笑むシンデレラの絵にそっと手を伸ばし、触れることなく手を引く。その仕草からは知りたいという欲求と知りたくないという恐怖心が伝わってくる。そんな姿を見た五十実がマキナの横に並んだ。
「マキナはシンデレラになりたいの?」
素朴な疑問だと思う。シンデレラは少女たちの憧れだ。シンデレラのようになりたいと思う人は少なくないだろう。
だが、マキナのシンデレラに対する解釈は普通の人とは違う。シンデレラを可哀想だと言った。家族と仲良く出来ず、逃げるように王子と結婚したシンデレラを可哀想だと言った。
「私は……、知りたい」
マキナはそう答えた。一体何を知りたいのか、その先を待つ。そしてマキナはそっと目を閉じ言う。
「……シンデレラはもっと幸せになれたんじゃないかって。家族と別れることなく、わかり合うことが出来たんじゃないかって、そう思うんだ。魔法使いも、それくらいおまけしてあげればよかったのにね」
もっと幸せに、か。そう思えるのがマキナの純粋さなのかもしれない。正直羨ましいとさえ思える。
五十実もマキナの発言の意図を理解したのか、そうだねと優しい口調で言った。いつもだったら一言二言多い五十実も俺と同じ感想を抱いたらしい。
マキナにはシンデレラが継母たちを嫌っていたという考えが一遍もないのだ。その純朴は俺たちにはあまりにも眩しく映っていた。
シンデレラの絵を離れ再び城の中を探索する。その中で五十実はとあるブースに目を付けたようだ。
「マキナ! あれ! あれ見てみよう!」
五十実はマキナの手を引き城内の一室へと入っていった。遅れまいと俺もついていくとそこは数々のドレスが飾られたドレスルームのようだった。
入り口付近の説明書きを見てみると、どうやらここにあるドレスを着てシンデレラの気分を味わうことが出来るらしい。これは女子が喜びそうだな。現に目の前に妙に浮かれている変なのがいるし。
「すごーい! こんなの普段絶対着れないよ! 世間体的にも経済的にも!」
物凄く現実的なことを言う五十実。だからこそ憧れがあるという意味なのだろうか。王族のドレスのような服を手に世間体とか言わないでほしい。
五十実とマキナは二人で展示されているドレスを物色していた。こうなってくると男の俺は少しばかり居心地が悪いな。周りの客もほとんどが女性客だ。場所が場所なのだから仕方ないと、入り口付近で二人が満足するのを待つことにする。
何気なしに遊園地のパンフレットを眺める。本当に見るところが多いな。全てを回ることは到底できないのでどこか良さそうなところに目星をつけておくか。二人が喜びそうなところと言えばどんなところなのだろう。あの二人ならどこでも喜びそうなものだが、出来る事なら時間の許す限り最高に楽しんでもらいたい。そして俺自身、そんなことを考えて楽しんでいる自分がいることを否定しない。
まったく、随分と変わったもんだ俺も。数か月前までの自分ではありえない光景だった。この変化に、俺は喜んで良いんだよな。
しばらくの間二人を待っていると五十実から声がかかる。大分とはしゃいでいたようだがやっと落ち着いたかと振り向くとそこには……。
「……どう? アラタ」
美しい姫がいる。俺は一瞬そう錯覚した。
そこに居たのは紛れもなくマキナだ。だがその姿は先程までの装いと大きく変わっていた。
淡い桃色のドレスに身を包み白銀のティアラを頭に乗せた姫君は確かに俺の良く知るマキナだった。だがその美しさに息を飲んでしまう。
俺は咄嗟に綺麗だよと淡白な感想を返してしまう。他にいくらでも言うことがあるだろうに、それでも言葉として出てきたのはそんな他愛ない言葉だった。
「やったねマキナ! マキナの可愛さに先輩もたじたじだよ! いえーい!」
「……? いえーい」
たじたじという言葉の意味をよく理解していないのかマキナは一瞬首をかしげたが、五十実のテンションに流されハイタッチをしていた。
贔屓目なしに見てもマキナは可憐な容姿をしている。その卓越した美しさと現実離れしたドレスの相性は抜群で、まるで本当に物語の世界から出てきた姫のようだ。五十実も同意見らしくマキナの姿を眺めてはだらしない顔をしていた。
「いやー、ほんとよく似合ってるなーマキナー」
「マイ、ちょっとだけ恥ずかしい……」
五十実が歴戦の写真家かのようにスマホを構えマキナの写真を撮りまくっている。それに対しマキナは少し照れるような表情を見せていた。
やがて満足したのか五十実はスマホを仕舞い俺へと向き合う。何故かどや顔だった。
「どうですか? 先輩。前も言いましたけどやっぱりマキナにはこういう柔らかくて明るい色が似合うんですよ。これでばっちり証明しましたからね!」
今回ばかりは同意せざるを得ないかもしれない。それが妙に悔しかった。
五十実が調子に乗るのでマキナへ水を向ける。気付けば周りの客もマキナへ注目しているようだ。それに気が付いたマキナは余計恥ずかしそうにしていた。
注目されて戸惑う、恥ずかしがる。以前のマキナには見られなかった感情だ。これもまたマキナに生じた変化なのだろう。
「……シンデレラは恥ずかしくなかったのかな」
そう呟くマキナ。俺はその言葉に思わずこう返した。
「シンデレラはシンデレラ。マキナはマキナだ。そうして恥ずかしがっているのはそれがマキナらしさだからなんだろう。無理してシンデレラの気持ちになる必要なんて、ないんだよ」
俺はどうしてそんなことを言ったのだろう。自分でもよくわかっていなかった。
それは恐らくマキナにはマキナらしくあってほしかったからなのだろう。マキナらしさを失わないでほしかったからなのだろう。我ながら不器用な回答だったと思う。
それでも、マキナには俺の意志が伝わったらしくマキナは俺の手を取った。
「……そうだね。私はシンデレラとは違う。私はシンデレラみたいに可哀想な子じゃない。だって、私にはアラタやマイがいる。魔法使いに頼る必要なんて、最初から無かったんだ」
だから、ありがとう。アラタ、マイ。
満面の笑みだった。それは俺たちの心に咲いた一輪の花のようで、決して枯らしてはならない、尊ぶべき俺たちの大切な家族だった。
マキナは"もう十分"というと元の服に着替えるため試着室に戻っていった。
今回の件でマキナは何かを掴めたのだろうか。俺の言葉は正しかったのだろうか。それは俺にはわからない。
ただ、マキナはシンデレラを理解しようとしていた。架空の人物の夢物語をマキナなりに懸命に解釈しようとしていた。
マキナにとってシンデレラとはどういう存在なのだろう。今の俺では全てを理解することは出来ない。だからこそ不安は残る。
けれど、先ほどマキナが見せた笑顔はそんな不安は無用だと言っているようも見えた。魔法使いなんかいなくても、俺はマキナを幸せにしてみせる。そう心に誓いを立てる。
そして、俺にはもう一人幸せにしなくてはならない人物がいる。
「お前は着なくても良かったのか?」
俺の隣でマキナを待つ五十実に話しかける。五十実はこちらへ向くといつものような意地の悪い笑みを向けてきた。
「あれぇ? 先輩もしかして私のドレス姿見たかったんですかぁ? それならそうと言ってくださいよー。先輩が買ってくれたら先輩の部屋で着て見せてもいいですよ?」
「絶対買わねぇから心配すんな」
結局こいつは変わらないな。まあ、それが五十実が選んだことなのだろう。普段と変わらずにいる事、それが五十実が選んだ道なのだ。五十実がそのつもりなら俺もいつも通り接するだけだ。
俺が試着室へと目を戻すと、五十実はそっと呟くように言葉を付け足した。
「ドレスなんか着なくても私はもう十分幸せだよ。新」
俺は思わず五十実の方へ向く。しかし五十実は俺の方ではなくマキナのいる試着室を見ていた。その横顔にはほんのりと赤みがさしているようにも見える。
俺はそれ以上追及することなく"そうか"と返した。
五十実は変わらないと言ったが俺の見当違いだったようだ。こいつはこいつで変化している。本当の気持ちを伝えられるようになっている。だったら、俺もそれに真摯に答えなくてはならない。
二人ともドレスなんか着ていなくても俺にとっては守るべき大切な姫君だった。




