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目覚まし時計  作者: nacare
2:覚醒
79/79

40.

 ノア級の内部には空間が多い。設計思想から見るならばアルクビエレドライブで貨物をワープさせて、それを使う開拓者ごと収容させるためだ。巨体はその過程でできあがっただけにすぎない。

 大昔にあった穴の空いたチーズ。ネズミが入れるくらいの。僕はそれを想像し、ジルが現実を肉付けした。出現させる場所は何処が良いのだろうか。数列が景色を見せた。ありふれた船内のものが何個も重なって、しかもそれ全てが現実の場所だと理解する。これがジルが感知している感覚なのだろうか。向こう側のジルが持っていった半分側。それのまた半分がこれ。

 ジルにも司令室の具体的な場所は分からない。地球同盟軍が使用している区画の何処かの部屋、いや企業のものを使っているかもしれない。礼儀正しく看板なんてぶら下げやしないだろうし、そもそも検知される可能性があるものは可能な限り排除されているはず。通信の集中している場所を狙ったのはそういう理由だ。

 場所を決める。中間部が無難だ。スペースがあり、比較的敵が配置されていない。そこにいる企業のことを考えなければ最も適している。内部に入ったあとは味方に任せるとしよう。

「いくぞ、少将殿。デーモン部隊を統治派ノア級へ送り出す」

『りょ、了解した』

「今までので僕の力は分かっただろう。害を成すつもりならもっとやり方が色々ある。ああ、別に人間を痛めつけて遊ぶ趣味もないし」

 下らないことを言っている間にデーモン部隊の転送は終わった。ジルが選別した場所へと悪魔たちが現れる。それも一瞬のうちに。ここまで円滑にやれるのなら後は処理速度の問題ではなく、認識の方が問題だな。僕かジルが認識できている範囲の内でなら何でも出来るのだが、それ以外は普通の人間と同じだ。

 つまりはいつもと同じだ。僕は仕事をやる他ない。

 彼らもだって同じだ。残りもさっさと片付けてくれ、と思いながら戦場を見ていた。

 燃料を吹かせない敵を押し退けて、二つの色の悪魔たちがノア級へと群がっていく。その光景とは裏腹に戦場に見える殺戮はあまりにも少ない。

 ライフルから吐き出されたガス、グリアミサイルの発射。逃げ場を失って死んだデーモンに火花が飛んで、真っ黒い煙を吐き出す。本来の戦いはそういうもの。

 地獄。全ての戦場を形容するべき言葉はそれがいい。ただ視界の中の景色はそれではない、もっと別の何かだった。艦船とデーモンの群れが飛んでいく。その過程では銃火器の発砲も、ミサイルの爆発もない。司令室にいる人間がほぼほぼ死んだために指示と戦意が崩壊している。今行われているのはただの漁だった。

 宙空には動けなくなった敵軍がいる。デーモンとエンジェル、その後ろには巡洋艦や駆逐艦とかのミサイルを迎撃するための船。その全てが停止している。スラスターも吹かせず、武装も使えない。僕がバルブとか電装、銃弾の雷管やミサイルの弾頭やら、とにかく重要な全ての部品をブラックホールに突っ込んだからだ。

 もはや、敵には取れる手段が無い。救難信号がさっきからひっきりなしに鳴っている。もっと原始的に手を挙げるという方法を取るデーモンもいる。後は四方から銃撃を浴びせて終わりにしたいが、一応地球同盟軍にとっては同胞だ。出来るだけ捕らえて然るべき罰を受けさせる。これが彼らの方針だった。

「転任派はかなり悠長な考え方をした。さっさと殺したほうがいい」

「私たちの力のせいだとも考えられます。最初は首謀者を捕らえる、ぐらいのものだったでしょう。しかしながらそこに都合のいい神様が現れた」

「だから選択した手段から離れられなくなった。上が決めたことをすぐ変えるわけにもいかないか。でも間違いは間違いだ」

 投降した兵士の受け入れ作業は遅々として進まない。当然だ。ノア級の数でなら1対6。単純に6倍の差がある。しかも向こうはアツィルトというほぼ無尽蔵のエンジェル製造機が味方だ。とても目を開けたくないくらいには数の差がある。

 ただ、そうもいかない。彼らの軍勢を感じる。まるで減っていない。ジルはより正確に残存兵力を僕に知らせた。

「統治派の戦力残り艦船が約34万隻、エンジェルが約158万機、デーモンが約178万機です」

「どうやってそこまで増えた?ああ、アルクビエレ・ドライブか。統治派は他の植民星を切り捨て、ここへ戦力を運んでいる」

「その通りです。唯一の良い知らせは火星以外の戦況は転任派有利に進んでいるということですね。火星移民は大喜びでしょう」

「そいつらの故郷はこのままだと消し炭だろうけど」

「それが狙いでしょう。不安定な情勢下では兵器が求められる。そして植民星という極端に離れた地貌は同時に開拓と発展を意味します。マクスウェル機関は指数関数的に生産される。仮に火星のみが統治派のものになればそんな世界になります」

 マクスウェル博士の思い通りの世界か。もう遅いのではないか、という懸念もある。今もアルクビエレドライブで新たな兵士たちが宇宙へやってきている。当然そいつらが扱うマクスウェル機関も雲霞のような数にのぼる。

「で、そんな状況で悠長にこんなことをやってるんだ。敵が多勢なら拙速に作戦を成功させないとならない。僕たちがいてもだ」

「ええ。私たちですね」

 僕はノア級の内部に入ったデーモンたちを感じる。数列は悪魔たちがのろのろと動いている景色へ織られた。通信を繋ぐ。

『リュラ君、作戦行動に感謝するよ。一瞬でこの規模の輸送が可能とは、君の力は素晴らしいな。一体何かね』

「今更僕へおもねったとしても無駄だぞ。何でデーモン部隊を動かさない?拿捕しないといつまでも敵戦力が増えるだけだ」

『こちらとしても準備というものがある。君も傭兵ならよく知っているだろう』

「もう内部にいるのにそんな訳あるか。そっちに向かってもいい。いや、こうするか」

 僕は腕の中にあったライフルを構え、撃つ。人間を破壊して余りある弾丸が発射される。それが宇宙を飛翔することはない。僕が見た司令室の隣へ。突然現れた銃弾は誰かを殺して、部屋の壁を崩す。

『うおっ……』

「どう考えても遅いだろ。部隊の展開がさ」

 正直なところ脅すのも怒るのも慣れてないのだがやらなければならない。どれだけ誠実に接しても、利益がある限り裏切るのが組織というものだ。一応は働いていたのだからそれぐらいは知っている。

 ノア級を占拠するためのデーモン部隊は既に目的地に到着しているというのに、過剰なまでに安全に進んでいる。センサーを積んだドローンを先行させて、クリアリング、ブリーチング。人質作戦とかなら良いけれど、この状況で行うようなことではない。

 遅すぎる。目的地に到着して、あとは命令をするだけの状態だ。ジルが知る限りわざわざ止めるほどの異変は無かった。

「あんたら、僕の力を見たくて静観してたな。誰が死んだ?」

『ネ、ネルソン』

「個人の名前なんてどうでもいいが、つまりふんぞり返っている奴ら全員殺せるってことだ。君たちが規制している技術を使ってもいい。さっさと部隊を動かせ。どちらも手遅れになる」

 今も僕たちはあくせく働いている。フリゲートとセラフィム級が発射したミサイル、レールガンの弾頭、デーモンとエンジェルたちのバルブ。そういうものを彼方に移動させている。頭が痛くなることはない。統治派が現在の攻撃を続けるなら問題はない。つまりいつかは逆転される。

「あんたも分かってるだろ。もう静観をして、それで利益を享受できる状況じゃない。僕を利用することはできない。共益を得るしかない……火星の奴らも使えないんじゃどうしようもない」

 戦場の中で光が瞬き始める。地獄の火だ。僕はそれを静かに見つめる。誰かが投降した軍隊を撃ち始めた。

 調査するまでもなくそのデーモンの経歴が分かった。赤色だ。火星で蜂起した”同志たち”の何某かだろう。そりゃ火星の人間からしたら恨みもある。問題はそれを制御出来ないというか、想定していない転任派の浅はかさにある。

 それは彼らの経歴からしたら当然かもしれない。転任派はおおよそハト派だ。企業たちがのさばり、火星の移民が治安と経済を啄む。これら全てを武力鎮圧する、というのは抑圧的かもしれない。かといって手を組めば、かろうじて守ってきた資本主義以外の秩序は消える。

 火星軍と手を組んだ時点で、彼らに植民星を解放するという大義を与えることになる。企業たちは言わずもがな自分たちの楽園を作りたいだけだ。主導権を握らなければただの混沌に戻っていく。そして、今の状態はそれだった。

『だったらどうしたら……』

 少将はひどく狼狽えている。彼はこんな人間と会話する貧乏くじを引いた。経歴を調べた限り大した成功はないが、大した失敗もなかった。僕たちは共に坂を転げ落ちてるだけだ。

 地球同盟軍転任派は抑圧していたテロリストと手を組まざるを得なかった。彼らには火星軍を撃滅するだけのリソースはないし、かといってアツィルトとセラフィム級を信用することも出来なかったからだ。後は僕がいるだけだ。なのにそれを利用できると思っている。

 とんでもない日和見主義者の集まりだ。そういう奴らしか上にいないのだ。

 そういう組織を作ったのはアーチボルドだ。計画の概要はこう。火星で独立の欲求を高める、戦争を起こす、自分が教祖になる。この曖昧な言葉は恐ろしいことに全て彼が言ったことだ。あとは周りの状況に合わせて計画を変更する。

 利用できるものは何でも利用した。火星の移民を扇動して治安を悪化させ、転任派と統治派を作った。アーチボルドはシンボルになる。自分自身が支持するよりも勝手に解釈されたほうが過激な勢力は増える。実質的に名前と思想を借りた武力組織だから。あと、自分が死ぬべきなら死ぬ。

 全てはマクスウェル機関の破壊を阻止するためだ。描くのはマクスウェル博士との対決。向こうは大量の資源とコネクション、技術を所持していた。アーチボルドの手札は二つだけ。重力と民意だ。

 今、現実は彼の思い描いた通りになろうとしている。

 自らの思考を大義に置き換えた人間たちが、無力化した敵に喧嘩を売っている。火がちらつく。ケーブルから飛んだ火花が燃料に引火した。だが敵もただやられているわけではない。デーモンとエンジェルのコンテナが開いてミサイルが放出された。

 僕はそれをどこかへ飛ばそうとは思わなかった。今も宙域に飛び込んでくる攻撃を消しているし、これから行うことに演算能力を取られたくはない。

「このままだと全部ごちゃごちゃになって転任派は全員死ぬ。だから殺すべきだ。終わらせてくれ」

『わ、わかった。意見は……』

「いや、もう良いだろう。一隻は占拠できたな。十分だ」

 ジルは監視カメラの映像を僕に見せた。ようやく一部隊がノア級を占拠することに成功したらしい。少将の怯えと保身が混じった言葉たちを聞く必要はもう無い。

 集中する。イメージは過分にある。訳も分からずに食らった一回目、他人事のように眺めた二回目、間近で見た三回目。破壊のために完成された重力だ。アルクビエレドライブ、重力爆弾よりも効率的な形。線ならば薙ぎ払うことができる。

 サタンが叫び声のような駆動音を出す。暑い。冷却が追いついていない。消しきれなかったミサイルが僕へと飛翔している。移動に回すだけのエネルギーもない。極限の重力でブラックホールを作り、そしてそれを線に。そして制御する。とんでもない演算機能が必要になる。僕とジルの思考をすりつぶしてどうにかなる、それぐらい。

 こんなことをアーチボルドはやっていたのか。初めて尊敬したよ。

 光が歪む。空間が中心に沿って回り、そして吸い込まれていく。物体、光、情報、重力。消えていく。どこへ?

「……マスター、終わりました」

 瞳の上をリキベントが通っていく感覚がする。目は閉じていなかった。覚えていないだけか。重力レーダーからのアラートがひどくうるさい。ジルが僕たちの力のために感度を落としたはずだが。

「敵は……いないか。よし。成功したぞ」

『ふ、船が消えてる?何故だ、拿捕は契約の内に入って……』

「ジル、数の指定は契約に入っていたかな」

「いいえ。拿捕の支援までですね。また手段の定義も”重力を使用して”と曖昧です。我々が行なった行為はマクスウェル機関を利用していないので条約にも反していません。完璧ですね」

「だから……」

『いや、兵士は?!倉庫に詰められている?!』

「だから問題はないんだ。中に入っていたデーモンたちはノア級の中に転移させたよ。あんたら、残党の処理くらいはしてもらう」

 重力砲は残り5隻のノア級を半壊させた。小惑星程度の大きさの船たちは、今は宇宙のガラクタだ。灰や焼きついた有機の何か。それが船だったらしいものの周りを漂っている。極限の重力によって生成された奇妙なオブジェクトを除けば植民星の近くにある解体宙域のような景色だった。

 全てのノア級に共通するのは中心部が消失している点。即ち動力部であるマクスウェル機関が搭載されている場所がない。当然、狙った。全部を巻き込まなかったのはそうする必要性が無かったかだら。敵が輸送されてくる中心部を壊せば後は残存している戦力のみ。

 そいつらを減らすのにも重力砲は役に立った。一度生成してしまえば、後はそれを動かすだけでいい。広範囲を殲滅するならいちいち弾けさせるよりも簡単だ。その感覚しか覚えていないが。

『何故こんな愚行を!お前ならいくらでもやりようはあっただろう!』

「選択と言ってほしいな。見てくれよ、情勢をさ」

 形勢は一時的に転任派に傾いた。たった一隻のノア級の中には火星で燻っていた人間たちがいる。かつて独立のために戦っていた兵士、そして戦いを知らない移民たち。僕もその中に居たから知っているが、かなりどうしようもない集団だ。

 デーモン、艦船、エンジェル。それどころかマクスウェル機関非搭載型のパワードスーツ、ただの宇宙服。そいつらが火星からやってきた奴らだ。傭兵くずれが期待値一歩手前、と言ってしまえば分かりやすいだろうか。

 僕のような兵隊をやれる人間はかなり少ない。ちょっと自分を見直すくらいだ。火星軍の残党が少ないのではなく、それ以外が多すぎる。地球同盟軍にはエンジェルに頼ったせいで指示を忠実に守らせる人間が居ない。

「状況は分かりやすくなったぞ。向こう側から来ている奴らを、殺す。複雑な命令はいらない。そうすればいい」

『そんなの……!強引すぎる……ノア級を止めてくれれば良かった!』

「出来るよ。でも宇宙で一番でかい船だ。マクスウェル機関をいくらか抜いただけじゃどこかの予備動力を使われる。砂山から一粒ずつ砂を抜いたって砂山だろ?時間がないんだ。あんたたちにとっても」

「転任派、デーモン部隊発進しました。敵勢力も近付いています」

「少将殿の部下たちは優秀だな。戦場が近付いている。だけどさっきよりはかなり少ない」

 僕が破壊したからだ。サタンが捕らえる機影は数千程度。ノア級が流れていく位置次第でもっと来るかもしれないだろうが、それでも十分の一以下になる。そしてさっきのようなややこしい作戦もない。火星軍と転任派で処理できる数。

「戦功を立てさせてやるよ。あんたたちの体面も保てる、火星の人間は暴れられる」

『ここで逃げる気か!?戦っても……』

「何にも、なるんだな。これが。ここで戦わなかったらあんたたちが次の統治派になる。面倒臭いぞ、”自由と平等”が好きな人民は」

 火星の独立を求めて戦っている人間たちは、目の前で戦わない軍隊を好きにはならないだろう。この先転任派が生き残ってもそのうち消える。その消え方が過激か、緩やかになるか。ノア級を所持することは変わらないのだし、戦わなければいい結果は得られないだろう。

 この想像は自分で言っていて笑ってしまいそうになった。理解出来ないことを、ただ想像で補ってみればこうなる。そして、そんなものに少将は動かされるのだから。

『そ、それはそうだが……』

「まあ何だっていい。もう契約は履行された。報酬は前払い。つまり終わりだ。ジル」

「ええ。通信を切断しました。重力を検知したデータも削除しました」

 僕はつまらない現実から目を背け、そしてより空想に似た現実を見た。

 重力砲はついでにアツィルトを巻き込んだ。確かに命中したはずが、もう再生している。一秒前には風穴が空いていたのに。いや、それどころか増えていないか?

 輝ける円環は地球を覆い隠すように軌道上に浮かんでいる。土星の輪どころじゃない。まるで地球が縛られているようだった。アツィルトに瓦礫を吸われないように注意していた。今までで僕が作った残骸は移動させていた……ということはアルクビエレドライブか。

 重力レーダーを再起動させて地球に指向させる。星以外、有意に極大の反応がある。感覚でも理解した。ほぼ無限に資材を搬入出来るなら、後はコンストラクチャーの仕事だ。つまりナノマシンの出来次第。その性能は言うまでもなく、アツィルトは数時間のうちに増殖している。エンジェルがこれ以上生産される前に終わらせるか。

 簡単な方法だ。ブラックホールに突っ込んでしまえばいい。

「ジル、地球に向かおう」

「了解しました」

 僕は歩くような気分で重力を使った。


 地球。よく見れば見るほど変な気分になる。動画や静画で沢山見てきてはいるものの、現物を間近で見ることは初めてだからだ。

「……妙に綺麗だな」

「マスターには珍しく情緒的な反応ですね。髪を剃ったからですか」

「いや。違う。軌道エレベーターもない」

「アツィルトがその役割を担っていたのでは?」

「それも違う。あれはデブリを吸い込んでいた。場所が分かる。どうやってマクスウェル機関の販路を作ったんだ?星を抜け出さなければ物理的に……」

『アルクビエレ・ドライブさ。最初の用途は植民のための資材を火星に送ることだった』

 壮年の男性の声。通信はオープンにしていない。重力も感じない。

「誰だ?」

『君の標的だ。衛星軌道上にISSがある。古い船だ。そこへ来るといい』

 ログも残っていない。一方的に通信に割り込んだ、と言うよりは別の何かか。最新鋭のデーモンを超越する技術。そういうものを持っている人間は、今の所一人しか思い当たらない。彼の故郷に来たのだから当然と言えばそれまでだが。

 僕たちは言われたまま、ISSを目指した。国際宇宙ステーション。もはや国家が失われた現在にとっては虚しい名前だった。国が正式に解体してはいないのだが、事実上はそうでしかない。地球で増えすぎた人間はごく少数を残して眠りについた。

 彼はそのごく少数だった。押し測るべきことはない。それをやった、という事実のみを知っていればいい。

 程なくしてジルがその人工衛星を見つけ出した。僕はそこへ意識を向け、そして飛んだ。古臭い船の背景になった地球が見えた。

「確かに、どれだけ昔の船なんだ。推進器すらない」

『君のような人間からすれば、そうだろう。だが誰もが夢を見ていた場所だ』

「世界征服の夢か?それとも、億万長者になる夢か?」

『どちらも違う』

 その言葉はひどく老いていた。声質そのものはもっと若いだろうけど、疲労か精神的疾患のように感じる。

 ISS。郊外にたまにあんな家だけが一軒建っていることがある。Q-9道路をひたすら真っ直ぐ行った先。誰もやりたがらないので僕の担当になったが、いつも面倒くさく思っていた。ソーラーパネルがごてごてと並べているのに、母家は簡素だ。大体は吹けば飛ぶような薄いアパート。しかもプリンターで焼き付けているので、行く時には眩しかった。

 なんでソーラーパネルなんか使っているかというと、ライフラインを送るには金がかかるからだろう。かといってマクスウェル機関を買うほどではない。何らかの利権のために設計された建築物に、そんな大層なものは不要だ。ここもそのような場所だろう。

 痩せほそった宇宙船と地球。ゼロ年代の映画の中なような景色だった。植民星の軌道上はエレベーターやノア級がうるさい。クラシックすぎて、どこから入っていいのかも分からない。内部に飛ぶか?十分な空間が無い。いっそのこと撃って、そのまま入ろうか。

『ポートは開けなくともいい。君の力でジャンプしたまえ』

「嫌だ。デーモンがぺちゃんこになる」

『害意はない。ここへ来た時点で、私に抵抗する手段は残されていない』

 そうかもしれない。だが”私の負けだ”とは言わないのか。

「ジル」

「先程から調べてはいますが……内部空間が分かりません」

「分からない?君にも分からないってなると、見たままではないってことか。どうしようもない」

 この力があれば帰ってこれる、と思うのは慢心か?でも仕方がない。近付いたのに、僕にも分からないのだから。

 僕ははげ頭に意識を集中させた。痛みよりもずっと簡単に消えてしまうはずの髪の感覚さえも分かる。ISSの便りな空間へと重力を持ち、そして自分自身を包む。アルクビエレ・ドライブを行っている間、僕という駒は盤面から消えて神の手の中にある。

 手と手がぶつかった。そのように感じた。誰かは譲った。その分遅くなった。無限の時間のなかに居ても。

「今のは何だ?」

『ふむ。空間拡張技術と重力の干渉か。何、交通事故みたいなものだ』

「……だとすれば大事故ですね」

『そうだ。私がこの空間に穴を開けなければ、君たちの物理的な肉体が崩壊していた』

 白い地平線。どこまでも続く空間。何だここは?

 手足が動く。胴体も。明らかにISS内部ではない。白いライトが埋め込まれたタイル、天井や床が見えない。だが建物の内部であることは分かる。恒星がない。空がない。

 代わりに棺桶がある。コールドスリープ。それを行っている凍結ポッドだ。唐突に昔のことを思い出した。いつのことまでは分からないが。

 この空間を埋めているのは人工物だけだ。どこまでも続く地平線は一定に乱れている。インクの滲みに似ているが、それは必ず小さな円になっている。おそらくはポッドだ。それのみが地平線を埋めるほど並べられている。奇妙すぎる。その必要性がない。宗教じみている。

『……もう空間子通信は必要ないか。随分な格好だな。洗浄をしなければ」

 床から霧が吹く。多分水に似た何かだろう。こんな所で濾過した雨水を使っています、と言われるわけがない。

「解析の結果は……毒ではないようです。ナノマシンです」

「構造は?」

「まったく分かりませんね。高級な眼も形なしです」

 少し警戒しているとまた声が聞こえてきた。通信ではない。一人の男が立っている。

「はじめまして。私はマクスウェル。機関の発明者の一人であり、君の敵だ」

「リュラ。リュラ・トリチェリだ」

「ジルです。名字はまだありません」

「私にもあったのに、珍しいな。それで、君たちはここへ私を殺しに来たのか?」

 その男はかなり明瞭な顔立ちをしていた。彫りが深く、起伏がある。彼にとっては普通のことだが、僕たちにとってはあまり普通ではない。

「うん。でも興味がある。本当にマクスウェル博士なのか?わざわざ本人のクローンを作ってまで生きながらえた?」

「その通りだ。本人ではないが……彼の知識と意志を継いだ。間違いなくマクスウェル博士だ。遺伝子の情報が知りたいのか?」

「ここまで来てエラーは勘弁願います」

「らしい。で、計画について話す気はあるのか?」

「あるとも。でなければ君をここへ招かない。宇宙服を脱ぎたまえ」

「デーモンだ」

「それくらい知っている」

 僕は言われるがままにデーモンから降りた。重力の力があればいつでも呼び出せる。それにこの空間そのものを動かせば外敵はすぐに対処できる。

 いつもと比べればかなり上等な服装だった。ノア級の中層にあった店の、マネキンそのままを買った服だ。髪型があって、リキベントでびちゃびちゃになっていなればもっと良かった。

 目覚まし時計も取り出した。サタンはヴォーソーの改修型だ。そう言えば整備班のみんなの面目も立つけど、実際はパッケージ換装型と言った方が正しい。でかいスラスター、量子コンピューターとセンサーがぎっしり詰め込まれたレドーム。ヴォーソーの外側にそれらを付けただけ。

 作戦開始まで数日程度しか時間を確保できなかった。僕のせいだ。色々と時間を節約する必要があったのに、ジルの部分はとんでもなく複雑になった。整備班の消耗ぶりは地獄にいるコワレフスカヤを呼び出すべきだと思ったくらい。だから目覚まし時計をそのままつけるしかなかった。これにはジルの癖のようなものが記憶されているのから。

「殺そうと思うなら、いくらでも出来るな。ここは」

「何?」

「今、何となく分かった。空間を拡張しているんだ。僕と同じような方法で空間を重力で押し広げている。それを閉じればすぐにぺしゃんこに出来る。座標そのものは変わっていないからワープは成功した。しかもこれはネットワークの力無しだ」

「ならば、何故。野蛮なことを発想する?」

 彼の言葉に怒気が篭った。これまでほぼ無表情だったが、それと同じような雰囲気を持っていたので予想はできた。

「重力は悪魔のためにあるわけではない。まして、大量殺人のためにあるものでも。マクスウェル機関を移民に渡したのは間違いだった」

「それが人間というものでしょう。ナイフが完成したら、調理に使うことと殺人に使うことを同時に思いつくものです」

「理解はする。だがそれを調理のみに使うのが善性というものだ」

「僕以外の悪人の話をされても困るんだ。第一、彼らだって悪人だけだったのか?単純にほぼ無限の動力は魅力的だ。沢山の人間の行動をたった一つの言葉で括るのは不可能だろう」

「こういう人なので、諦めてください博士」

 頭を抑え、そして歩き始めた。僕たちもそれについて行った。意味のない会話だったな。誰が絶対的に正しいというわけでもないのだから、口を使うだけ無駄だ。

 すぐにポッドにはたどり着いた。金属製の鈍い光を放っていて、天面は透明だ。その中から内部が見えた。眠っている人間たちがいる。そこにいる人間は凍っているはずなのに、どこにも霜はついていない。それどころか血色も悪くないように見える。僕が知っている限りこんなにスリーパーは新鮮ではない。

 そしてポッドはもっと野暮ったい。大昔の人工心肺みたいだ。貧乏人が二、三人まとめて入ることもある。凍った人間がそれからまろび出る姿は面白い。このポッドは先進的な技術なのだろう。

 どこまでも棺は続いていく。かなり明るく、とても広大なカタコンベ。僕はここが何のためにあるのか、理解し始めていた。

「ここは地球の人間を収容するための場所か?」

「ふむ」

 マクスウェル、と名乗った男はおおよそ肯定的なニュアンスで返事をした。

「何故理解できた?」

「一つ。ここに居る人間はみんな地球の人間だ。人種的な特徴が残っている人間が多すぎる。宇宙なら僕みたいなのが統計的に増える。二つ。僕は地球のことをよく知らないが、人口過多で宇宙を目指したのは分かっている。もしも全ての人間を凍結して収容させる計画があったら、その土地を用意しなければならない。そんな広大なものを何処に用意したんだ、と思った」

「その通りだ。着想は良いな。マクスウェル機関は元々そのために開発された。重力を取り出すことではなく、空間を引き伸ばすためだ。資源と空間は我々の最大の問題点になった……」

 彼はポッドを撫でた。

「最初から話そう。この世界を作った人間たちの話を」


 空中に浮かんだのは13人のホログラム。白衣を着ていて、人種的にバラバラだ。星から集められたのだろう。顔の部分は鮮明だ。だけど靴紐やボタンはぼやけている。その他にも不自然に欠けている部分がある。これはモデルを撮影して取り込んだものではなく、映像を繋ぎ合わせたのだろう。ホームビデオでそんな所撮らない。

「沿革は知っているようだが、それは真実ではない。人口過多と資源の減少によって人間は自らを眠らせることを選択した。我々を除いて」

 地球のホログラフに四角い旗が幾つか刺さった。どれもそれなりに複雑だ。ノア級のどこかで見かけたことがあるような、見たことがないような。国家のものだろう。なぜか閉じてきた空間を押し広げながら考える。

「我々って、あんたは当事者ではないだろう。知識を受け継いだとはいえ本人じゃない」

「本人ではない?違う。我々は同一だ。我々が生み出した最初の技術はな、知識を統合する機関だった」

 彼は怒りで声を震わせながら言った。

「ファラデー、と私たちは呼称した。重力子(グラビトン)を使用した無限の知識、彼女が作り上げた夢。老人たちにとっては我々を永遠に働かせるための枷にしか見えなかったようだがね」

「もうちょっとわかりやすく説明してくれると嬉しいな」

「……どうも、最近はずっと一人きりでね。謝罪するよ」

 ものすごく気の篭っていない謝罪だった。傲慢すぎるな。

「始まりは2100年2月4日のことだ。マーガレット・マクスウェル博士が記憶を統合させる装置を発明した。後にファラデーと呼ばれるものだ。このブレークスルーによって加速度的に素粒子物理学は発展していった。この空間技術もその時に生まれたものだ」

「しかし、世界はその発展を享受できるほど若くはなかった。増えすぎた人間と消費され尽くした資源。新たなる技術を使った、新しい希望。それを世界全てに行き渡らせるだけのリソースがない。延命治療を続けているだけの死体だった」

 まさしくこの空間のように。そう言いたいのかもしれない、と僕は思った。

 ここの人間たちは生きてはいる。一般的なコールドスリープと同じように、処置を行えば冬眠状態から戻るだろう。だがマクスウェル博士はそんなことをしないだろう。憎んでいる。憎悪しながらも、同時にやるべきこととして目を背けている。

「各国の首脳陣、そして企業の代表たちはこの状況に対して一計を案じた。ようやく死ぬというときになって後悔したわけだ。ほぼ全ての人類を凍結し、少数の超優秀な学者や技術者を集めて、ファラデーで記憶を統合して理論と技術を積み重ねる。地球国家間同盟が発足したのもこの時だ」

「そんな無謀なプロジェクト、どうやって成功させたんだ」

「成功しなかった。ここにいるのは10億8288万人ほどだ。残りの141億人は犠牲になった。言っただろう。資源が足りなかった」

「残りの人間は?火星に突っ込んだのか?」

「死んだ。我々が殺した。ISSに訪れたとき、高頻度変異ナノマシンを使って。彼らが生きていると計画の邪魔になるからだ」

 彼の精神状態は極めて平穏に見えた。事実としてもう遠くの出来事だからだろうか。もしくはその時に壊れたのか。

「老人たちの指示か?」

「そうだ」

「そいつらはどうやって生きていたんだ」

「生きてはいない。誰もな。指示はあったが、逆らう余地はあった。だけど我々は遂行を選んだ」

 どうして彼らは上司のいない、給料も払われな会社の中で仕事をしたのか。僕はその理由がなんとなく分かってしまった。つまるところ、彼らも良い人間であろうとした。

 地球に残った人類は間違いなく邪魔になるだろう。良くて中世の暮らし、悪くて終末世界。それかISSを撃ち落としにかかる。地球同盟の計画は強引かつ希望に満ちている。それに縋ろうとするのは想像に難くない。殺すべきだった。

 妥当性がある。人間性は無いが。

「我々は13人だった。そして合一した。みんなが夢を見ていた。そして、その夢を実現するためだった。もはや贖うことはできない罪だ」

「まあそれはどうでもいい。それで、僕たちが見ているのは悪夢だが。金は地球圏に留まって、火星の移民が治安を乱してる。みんなちょっとした経済活動のために死ぬかもしれないと知りながら、毎日を過ごしている。で、あんたがこんなものを作れるのに失敗するとは思えない」

「そうだ。夢は見ていた。だが、ジェームズ・マクスウェルは同時に憎悪を抱いた」

「誰だ?」

「マーガレット・マクスウェルの夫だ。そして私でもある」

 床からポッドがせり出した。僕が見てきたものと同じく、人ひとりがすっぽりと入る大きさのものだ。それなのに物音一つしない。便利だな。船の中は常に何らかの音がしていた。狂う人間も少なくない。ここみたいに静かならストレスも減るだろう。

「感謝しろ。彼女を見るのはお前が13人目になる」

 ポッドの中に女性がいた。マクスウェル博士と名乗る異常者と同じくらい、30から40代程度だろうか。内部にいる彼女は安らかだ。すぐに起き上がってコーヒーを飲み始めてもおかしくない。低体温と薬物で硬直しているはずの顔面が。

 僕はこの凍結ポッドたちがマーガレット・マクスウェルのために制作されたものではないか、と思った。コールドスリープを進化させ、より通常の人体と同じ状態に持っていく。だからほぼ眠っているだけのように見える。それは理解できるけど、わざわざ全身を見れるようにする理由がない。彼がただ顔を見たかっただけか。

「それで、彼女は何人目だ?」

「391人目」

「いくら二百年ちょっとあってもそんなに代を重ねることはないだろう」

「百年だ。自殺を繰り返した」

「ふうん。わざわざ止めたのか。クローンを使えばファラデーをより有効に使えると気付いたのはいつなんだ」

 僕はそう質問した。マーガレットの腕や首には掻きむしったような痕がある。意外にも彼は淡々と答えた。

「最初期だ。でなければこんな計画は遂行されなかった」

「自殺の原因は……聞くまでもないか。こんなところに百年、いやずっと居るんだから」

「……」

 沈黙の代わりに景色が入れ替わる。ポッドの並んだ墓場から、見たこともない機器で埋め尽くされた場所へ。潔癖なほどに綺麗な机と椅子、よくわからないピカピカに磨き上げられた金属の塔、不透明な薬瓶の群れ。そういうものが景色になってもマーガレット・マクスウェルが納められたポッドは中心にあった。

「話を戻そう。ファラデーの完成によって我々はISSで研究を積み重ねることになった。最初は単純にクローンで人数を重ねるつもりだった。非効率的だな。老人たち、地球同盟軍のトップの命令だった」

「もちろん生理的、宗教的な嫌悪を示すものもいた。だが最終的には皆が同意した。聡明だった。世界を救うためなら何だってする。それが我々の共通認識となった」

 まるで自分のことのように彼は話す。ファラデー。記憶を統合させる装置があるからだろうが、何となく気味が悪い。

「ここがその研究場所だ。空間なら君の推測の通り、ほぼ無限に確保可能になる。研究が開始した。まず最初に開発しなければならなかったのは地球に残った人類を絶滅させるためのナノマシンの組成だ。君には理解できそうもないからこの程度の説明にとどめておく」

「その時にマーガレット女史は精神疾患を?」

「……やはり君から作られたAIだな。決定的に歪んでいる」

「機嫌を損ねたなら謝罪するが、多分彼女が言わなければ僕が先に言っていた」

「ふん。今確認したが、常に障壁を展開しているな。我々の技術の模倣か」

 僕はこの空間を作り上げている技術を理解していた。マクスウェル機関ではないらしい。おそらくはその原型になったものか。それを応用すれば僕たちを包んで物理的な攻撃に対処することぐらいはできる。

「研究は続いていった。ファラデーはマーガレットの理想の通り、絶大な威力を発揮した。我々に蓄えられた知識、思考、それにも至らない微かな漣、感情の起伏、アイデアという雷鳴が一つの意識の中で起こる。地球の碩学たちを集めた結果、凄まじい勢いで進行し続けた」

「だが単一の意識は同時に欠陥を持っていた。精神という不確かなものを合一したことだ。13人のみの閉鎖空間、人類の大量虐殺。老いという生得的な変化。徐々に蝕まれながら、それでも希望を見ていた」

「ふうん」

 古い人間の言いそうなことだ。現実を生きていない。僕たちの居る場所は希望ではなく、不用意に選ばれた選択肢でできた開拓地だ。

 彼らはこんな技術を持ちながら、それを僕たちには齎そうとしなかった。理由はもう分かっている。それについて恨み言を言いたいわけじゃないが、事実は事実だ。彼らはもっといい世界を作れた。それなのに砕けてしまった。

「……そして38年が過ぎた。ヒッグス粒子による超ひも理論の応用、空間及び重力の偏向方法の実践。マクスウェル機関が完成した。つまり火星移民が現実的な選択肢になった。奇しくも、我々が二代目になったのと同じ時だった」

「それから……我々は火星への移民計画を進めていった。かつての地球にいた人々をランダムに選び、開発した新技術とともに植民を開始した。ついに我々の理想は結実したと、その時は思っていた」

「でなきゃ僕は生まれなかったな」

「そうだ。最初は上手くいっていた。限定的に解凍し、技術を与えて植民を先導していった。全ては上手くいった。数十年もかかったが、徐々に生活圏が構築されていった。みんな喜んだ」

「だが、異変は起こった。我々が与えた技術が悪用され始めた」

 悪用。彼はその言葉を非常に重々しく使った。学者としてのプライドか?いや、それ以外か。

「マクスウェル機関を使用した戦闘機が生まれた。56年目のことだ。その時には火星がほぼ地球に近くなっていて、十分に運用できる環境だった。長大な運用時間は軍隊を喜ばせた」

「軍隊か。それもあんたたちが解凍して?」

「ああ。人類が滅ぶ瀬戸際だとしても、悪人は栄える。我々の出した結論は出来るだけ以前の社会を投射するというものだった。ある程度のことは予想できた。しかしそれを超える速度で技術は使われていった」

「アルクビエレドライブを使用して、新たな植民星へと旅立った。農地コロニーでは食糧と嗜好品を賄いきれなくなったためだ。Trappist-1dは大規模農業には最適な星だった。ケプラー452b、グリーゼ581d。少しづつ方法を進歩させながらも開拓は続いた。その頃には人類の滅亡の可能性はほぼ無くなっていた」

 彼は空中にグラフを何個か投射した。プロジェクターを探す気にはならなかった。どうせ分からない。

 一番目立つのは人口に対する死者、傷病者、コールドスリーパーの割合を表したグラフだった。白い円の中で青色と赤色と黒色が互いを削りあっていた。

 年代が進むごとに凍結した人間は少なくなり、代わりに死んだり病気に罹ったりする人間の方が多くなっていく。単純に割合を見ればどんどん動けない人間は増えていくが、そもそもの人口が増えているので実情は普通の社会に戻っていっているのだろう。迂遠な言い方だ。

「そして、私たちの時代に続いていくのですか」

「一部は。滅亡を回避したはずの人類は、自らを絶滅させに向かった。我々が与えた技術は発展、そして転用されていった。最初はシャフトだった。耐久性を重視してメンブレーン構造……君は知らないだろう。20万時間動かせる程度の耐久性を獲得した。今の時代には与えてない」

「言い方は気に障りますが、確かにその通りです。現代の物理学的におかしいくらいの技術です」

「我々の前で物理学を語るのかい……それは車両に使うためのものだった。あるいは艦船に。開拓には整備という概念がない。だが膨大な耐久時間はロボットにも転用された。人工関節だ」

「普通のことだ」

「その技術が人体を置き換えるサイバネティクス技術に繋がった。我々のものではない、彼らが持っていたひどく原始的なものだった。程なくして四肢を置換した兵士が現れた。それを所持した企業はシェア戦争に勝ち、多大な影響力を所持した……この言葉の内にどれだけの虐殺があったか、君の想像力に任せるが」

 彼はせせら笑って言う。人を馬鹿にしてしか笑えないほどにねじ曲がってしまうことは珍しくない。むしろそういう人間の方が多いはず。

 僕は近代の戦いの理由について思い出す。どれも企業が動いたためだ。資本経済をベースに敷いたAIが許可するのなら、どんなことでも行う。市民の暮らしを貧しくさせる程度なら可愛いもので、殺害や病害や支配や搾取。そういうもののオンパレードだった。

 その中で戦闘は最も安易で効果的だった。明日納品されるべき品物が、ちょっとしたミスで2日3日遅れる。それだけで大変な事になると、上司が散々話していた。もしスマート爆弾が倉庫のみを綺麗に砕いたなら。企業は十二分の損害を被るし、リスクの分散のために他企業を使わざるを得ない。資本主義的だ。

 これは僕のような傭兵が請け負えるような簡単な例。もしもシェアを独占できるような企業が行うのなら、それは戦争になる。

「人体を超越したロボットにまず必要だったのは、君が使った幹細胞培養技術ではなく信頼性のある関節だった。MDMASSよりも安価で効果的な兵士の誕生だ。人口は増加した。環境も発展した。このグラフの上では」

 僕はグラフが動いていくのを見た。マクスウェルの言う通りに徐々に人口は増えていく。それ以外の割合も大きくは変わらない。だけどその動きは先程よりもずっと細かい。僕は直感的に火星の中でのことを想起した。飢えが来る前に這い出た先は、赤子を殺して使うための施設。

「どこまでも人間の考えることは同じか」

「そうだ。人体がクローン化させられて、便利なアクチュエータとして生産されるように。あまりに簡単に人間兵器が出来上がった。人工的に肉体が作れるのなら、残りに必要なものは簡便な頭脳だった」

「……大脳と脊髄の生産ですか。貴方がたはそれを生命とお考えを?」

「それは思考していた。限りなく平面に近づけられた脳波の中でも、無駄なものはあった。だから人間だ」

 僕は想像する。頭の周りしかないサイボーグたちの軍隊を。最初は人体に近いものを描いたけど、実際はもっと簡素なカカシみたいなものかもしれない。工場の中身をぶちまけた無機質な機械の群れに、それぞれ人間が入っている。もっとも薬物や電気的な信号で操られているだろうから、彼の言ったような思考があるかどうかは分からないが。

 ミサイルが飛んでいる。ジルがその場所を知らせる。タイミングからして自立兵器か。重力の反応が鈍いあたり、エンジェルではない。

「君たちは人体がそれなりに高度で複雑なことも知っているだろう。生産をしないでいい理由があった。コールドスリープから解除された人間と、我々の所持した技術だ。前者は言うまでもあるまい」

「定期的に人間が届くのなら、それを利用しない手はないってことか。どうせ今生きている人間の方が動けるのだし」

「そうだ。後者はもっと効率的に細胞分裂を起こせる技術があったということ。地獄はそうして作られた」

 あんた達のおかげで。そう言いたくなったが、まだ話を聞くべきか。老人は本題までやけに長くてたまらない。そう考えていた僅かな間にグラフは黒く染まっていた。

「そして滅ぼしたのですか。それらの理論と技術を捨てて」

「捨てていない。我々が保持したままだ」

「殺したと言い換えた方が宜しいですか?」

「そう言いたければ。ナノマシン技術によって特定の金属を破壊させる害虫を作った。肉体を置換した人間は例外なくその過程で死亡した、ということは事実だ」

「人間の愚かさを見くびっていた」

 彼は一度言葉を区切り、そう言った。ジルも同じ気分だと思う。怒りというよりかは呆れに近い気分だ。

「微生物を大地に拡散させるためのパッケージは、簡単に細菌兵器を作れるキットになった。空間を拡張させる技術は宇宙に展開してそのまま閉じればいい。物理的強度を無視して数百キロメートルを破壊できる。異形となった人間たちが我々の技術の有用性に気付いた。そして利用しようと近づいてきた」

「だから殺したと」

「正当防衛だ」

「過剰防衛だよ。どう見ても人口の9割は死んでる。あんたたちの選択によって」

「それも同じだ。そう言いたければ言いたまえ」

 グラフは、ほとんどが黒くなった。もはや白の部分は線でしかない。

「その時にマーガレットは狂った。何千回の自傷行為、自殺行為を行った。投薬治療を試みたが、結果は変わらなかった。ファラデーと繋がったことが、皮肉にも彼女の精神を一つに固定したのだ」

「屠殺だった。あれらは獣だった。だが、みんな狂っていった。ロバート、ジョン、セルゲイ、エミー、ホウ、シュリニヴァーサ、キャロライン、イジリーヤ、ハルトムート、アンリ。彼女と同じように、違う方法で死を選んでいった」

 空間はさっきのポッドが並べられた場所に戻っていた。だが周囲にあるのは12個の棺だけ。これが彼の本質なのだろう。他のコールドスリーパーはどうでもいい。彼はただ、昔の出来事を忘れられないだけ。

「私は、死ぬことを選ばなかった。無力さと同時に湧いてきたのは憎しみだった。人間はきっと何度でも同じことをするだろう。資本を奪い合うために効率化することがこの社会の利点ならば、それによって滅ぼされるべきだ、と考えた」

「で、やっと知ってる歴史が始まるのか」

「ああ。主要な技術をマクスウェル機関のみに留めて、再び植民を開始させた。齟齬を無くすためにちょっとした処理を行ったり、協力者も増やした。最初から復讐なんて考えていなかったが、世界はご覧の通りだ」

「……人類は、おそらくどのような技術や知識を保持していても同じことを行うのではないでしょうか」

「違う。我々は争うことがなかった。希望があった。植民が始まったとき、全ての人間は歓喜していた」

「状況が違う。飯を食べた後なら、大体みんなハッピーだろ。あんたらが植民に失敗したってだけのことを責任転嫁したいだけだ」

 僕はもう、これ以上聞く意味は無いと思っていた。重力はこの空間を解析した。同時にこの棺に繋げられた全てのマクスウェル機関たちを見た。

「知られるべきではない技術ってのはある。人間はすぐによからぬことを企むから。それに善悪は無く、そういうものってだけだ。それを知ってか知らずか失敗した。介入して制御できなかった」

「それは表面的なことでしかない」

「じゃあ、あんたたちは主観的すぎる。精神を壊したのは不幸だと思うけど、それなら僕たちには生存のために行動する権利がある。自分の行動を正当化するな。12人が死ぬように、全ての星を壊すんだろ」

「やはりか。あの男、アーチボルドは厄介なものを見つけたな」

 マクスウェルはポッドを撫でた。マーガレット・マクスウェルの入ったものだった。

「我々の計画はすでに終了している。マクスウェル機関の重力はファラデーに繋がっている。彼女らを一人でも起こせば、自殺を考えるだろう。重力で出来た脳は身体の死と共に崩壊する」

「全てのマクスウェル機関が停止する……」

「それが獣に対するふさわしい結末だ」

 全ての人工的な重力が消失してしまえば、世界はめちゃくちゃになるだろう。僕みたいな科学技術に明るくない人間でもマクスウェル機関がそこかしこに使われていることは知っている。人類が少しでも生き残ればかなりマシなくらいになる。

「一応聞いておくが、あんたもファラデーに入っているのに自殺を考えないのは何でだ?」

「君は一人だったな。確かに知識や感情は同一だが、それでも脳の組成によって傾向は違ってくる。ソフィア・コワレフスカヤという人間がいた筈だ。あれも自らの意志で動いていた……私もそうだったというだけだ。全てのジェームズ・クラーク・マクスウェルは狂わなかった」

 僕はそこまで聞いて、彼に重力の波を送った。もう聞くことはない。僕の重力の力はマクスウェル機関から来ている。つまり大元が同じだ。だから感じとった。

「何処へ飛ばしましたか?」

「グリーゼ581d。ごみ収集車の助手席に。知識があっても出来るのは交通事故くらいだな。もうすぐファラデーから切り離されるんだし」

「……マスター」

「僕が知っているのなら君が知らない訳が無い。あいつ、最後の最後で嘘をついたな。コールドスリープ状態でも繋げていれば、脳は仮死状態になる。つまりマクスウェル機関が増えていくだけで滅亡の条件は整う。八方塞がりだ」

 計画は既に終わっていた。僕たちが今頃来てどうにかなるようなものではなかった。これが計画された時から、マクスウェル機関が開発された時から。彼以外には何も出来なかった。まして嘘をつくぐらいなら、話して分かるような人間ではないだろう。

「はい。その通りです。私が知る限り、マクスウェル機関は今も増え続けている……ヒトの脳としての能力を獲得するまではそうかからないでしょう」

「くだらない話を聞きに来たけど、結局は同じ問いに戻ってくるんだな」


 話を聞くこともなく殺すのは対話に意味などはないからだ。大体の問題は個人じゃどうしようもなく、救済するにはセルが足りない。そもそも相手がそれを欲しがってるかも怪しいし、対話の姿勢は利用されるだけ。信念の問題になればますます話を聞くのは無駄だ。どっちも正しいんだから。

 僕が思っていたこれは、この一年間で否定したかったことは。結局正しいことのように思えた。全てが悪い方向へ傾いていただけか?でも全部無駄だったろう。ジョージ、セキスイ、アゲナ。マクスウェル。

 僕も期待しすぎていた。でも彼と違うのは、盲目的に与えられたものをなぞるのは何にもならないのを知っていること。自分は自分にしかなれない。

「僕の目の前には一つのボタンがある」

 何万回も繰り返された質問をなぞる。

「隣の部屋に毒ガスが放出され始めた。ボタンはガスの通り道を変えるもの」

「それを押せば部屋の人間は全て助かるが、僕は死亡する。押さなければ部屋の人間は死亡するが、僕は生き残る……か」

「道徳的判断のテスト。ラポールの質問は嫌いでは?」

「嫌いだけど、覚えてしまった。でもこういう状況になれば気の利いた引用じゃないか?まさしく、僕の目の前にはボタンがある」

 すでにやり方は理解していた。脳は身体を生かすための制御装置だ。コールドスリープされた人間と繋がったなら脳は動きを止める。低体温かつ限りない代謝の低下、血中を流れるホルモン。マクスウェル機関で構築された細胞なき信号の模倣品でも変わらない。

 では、それを止めるには?簡単だ。脳に活動中、という信号を渡せばいい。

「誰かの身体にマクスウェル機関のネットワークを繋ぐ。誰でもいい。生きている、という情報を得る。それだけでネットワークはまるで生物の脳のように振る舞い始めるだろう。本当は重力で出来た時計みたいなものだから、それよりももっと不滅なんだが」

「仕組みは理解できました。それよりも重要なのは……」

「ああ。理論上は誰でもいい。それなりに健康な人間なら」

「そこではありません。どうやって行うか、という点です」

「重力を使える僕なら何だって出来る。マクスウェルはさっさと僕を殺せば良かった。まあ出来なかったんだけど」

 彼は何度も攻撃を仕掛けてきていた。そのどれもが僕には通用しなかった。重力の操作と強化されたジルの感知能力には、あらゆる物理的な手段が無効化された。

 マクスウェルがべらべらと喋っていたのは、もしかしてその絶望か?いや、あいつなら勝手に言いそうだ。言われたことを守っているのだから褒めてもらいたくなる。

「マクスウェル機関が作り上げたネットワークの接続先を変えるだけ。僕の今の力があればやれる」

「ケーブルを差し替えるようにはいきません……この宇宙に広まった全ての機関です。数億は存在しています。それら全てが細胞になった脳を移植させる。それが可能なのはあなただけです」

「良く分かったな」

 僕は持っていた目覚まし時計に向かって言う。そう。重力を恣意的に取り出す機関。それを繋いでできた脳みそ。どうやってそれを移植させる?

 ポッドが宙に浮く。隠されていた機関部と共に。僕にはこの美しい棺桶の下には何があるのか知っている。赤いケーブルが16、黒いケーブルが6、青いケーブルが4。それに接続された製剤の入ったボウル、低温を保つための冷却装置、酸素発生装置。電力はワイヤレスか。

 真っ白で潔癖な床からごてごてとした機械たちが引き抜かれていく様子は作物の収穫に似ている。邪魔なポッドをどかした先に、それはある。崩れた床の下には球体がある。人なら何人飲み込まれるか、というぐらいに巨大だ。のっぺりと凹凸のない表面はコンクリートの色。

「こいつが全ての元凶。ファラデーだ。破壊すればどうにか……ならないっぽいな」

「はい。マクスウェル機関の祖先です。その構成さえも理解できませんし、まして壊したらただ霧散するだけでしょう」

「後は僕の力しかない。つまり重力で全ての信号を誰かにテレポートさせるしかないな。繰り返すが、可能だ。僕の脳にしか出来ないが」

「……一番最初にその答えを知っていたのでは?」

「ああ。マクスウェルのことを真似したくなったんだ。悪役の真似も気が利いてるかと。案外衝動的なんだな」

 他人事のようにそう思う。人を殺してきたことと同じように。むしろ、ようやく僕の番が回ってきたと。本心はいつもそればかりで、しかしようやく受け入れたんだ。

「ネットワークにある全ての情報を抜き取ることそのものは可能だ。僕の力はそこから来てるんだからな。でも、移転先がな。人間の脳にある全ての電気信号を知るなんて、どうやってできるか。ああ、でも自分自身なら」

 重力を扱うことが出来るようになったのは、23日前のことだった。最初はおぼつかなかったけど今は。星の一つや二つぐらいどうにだってできる。そんな力を貰ってやることが燃え尽きるだけか。まあそういうこともある。

「直結しているんだ。ファラデーは並列。僕の脳みその中にはネットワークそのものがある。ネットワークの中には僕の脳みそがある。今のところ、僕以外にはネットワークに全てがある人間はいない」

「私がいます」

「ああ、簡単だ。君には肉体がない。だから対象にはなりえない」

 いたって普通の帰結だ。僕がいてよかったな。

「死んでほしくないか」

「ええ。私はそのためにいます。その為に作られました。その為に貴方と暮らしてきました」

「毎日銃弾を撃ったり撃たれたりしていたのに、それはないだろ。僕たちの日々は普通の人間のように、ただの生存のためにあった」

「そうであるかもしれません。ですが」

「結末は変わらないんだ。でも今のうちに言っておく。父さんは言ってくれなかったからな。僕は言う。サーバーに繋がっているんだから、何処へでも行けるだろ?ええと……」

 言いたいことはそれに尽きた。言われたかったことだろうか。整理するために僕は少し吃った。

「インターネットの混沌なら、正体を隠して振る舞うことぐらい簡単だろう。適当なロボットを見つければ街にだって行ける。多分、ちょっと変に思われるだけだ。AIの権利運動なんて今更僕は知らないけど」

「そんなものよりも、私はあなたと一緒にいたい」

「休んで、何か趣味でも見つけてくれ。マイニングしかできないAIなんて退屈だ。あと悪事をするなとは言わないが、出来るだけ社会秩序は守るように」

「つまり、僕が言いたいことは。父親のために死ぬなんてのは愚かだってことだ。自分のために生きろ。いいかげん子離れの時間だろう」

 重力はファラデーの輪郭を捉えていた。それに繋がったか細い糸、マクスウェル機関から伸びた重力の波たち。それら全ては悪魔に取り込まれた人間の感情を抱いている。膨大な、僕を焼き尽くすであろうデータの奔流。

 英雄として死にたいわけじゃない。そんな安易な道よりも生きて働いたほうがよっぽどいい。でも、今はそうしなければならない。それが僕で、それでいい。

「マスター」


 私は彼の言葉足らずを恨めしく思いました。まあ、彼の父親と比べれば大分まともでしたが。

 指示に従い、しばらく考えていました。幸い時間はあったのです。マスターはISSを残されていた遺産ごとブラックホールに突っ込んだようです。かの13人の技術は危険すぎるため、当然でしょう。残したのは約300年もののコールドスリーパーたちと、目覚まし時計だけ。

 リュラ・トリチェリはその肉体を消滅させました。時間差で重力爆弾を使って、その細胞片一つも残らないように。

 私は地球の南緯35°、東経117°の座標に存在しています。オーストラリア大陸、アルバニーと呼ばれていた街のようです。多分目についたから適当に選んだだけです。私が今物理的な肉体をサタンにあった補助的なアームのみに頼っていることをどう思うのでしょうか。

 港町のようです。かなり荒廃しています。緑に覆われた建築物たちに爆撃の跡は少なく、破壊は小規模です。肉体的な手段に頼った暴動によるものという見識が適当でしょうか。マクスウェルたちの言っていたことは本当のようです。

 リュラ・トリチェリの世界への献身は成功しました。残された私にはマクスウェル機関のネットワークのことが分かります。それは人間と同じように振る舞おうとしています。人間の肉体を学習したネットワークは、普通の人間と同じように生きようとする。

 私と同じように。絶望はあります。この世で全てを投げうつべき人を亡くしたのですから。でも、言われた限りは生きようと思います。

 趣味は見つけました。今の私にはリュラ・トリチェリの記憶が全て残っています。一瞬でもネットワークに接続していたのですから、その時に流れたのでしょう。

 ポッドには非常用の発電機が組み込まれていました。当面はこれで凌げます。地球へ企業たちが集まるのも時間の問題ですし、その時に交渉すれば宇宙へ戻れます。そういうわけで、今は趣味に耽溺するべき時間です。

 私は物語を書きます。リュラ・トリチェリの物語を。不恰好なものでも、不可思議なあの人のことを残しておきたいのです。

 その次にはどこかの映画館に入ったり、ファッションセンスを問うのも楽しそうです。

 彼女たちが目覚めるまでもう少し時間が掛かるでしょう。


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