葡萄弐
「お~い、本当にいるのかい?」
ウンチクが役立つことはなく、部長が実は命を狙われていたという事実に気付くこともなく、平和に時間は過ぎていた。
「部長、ちゃんと探してください」
「ひどいね~、ちゃんと探してるよ~」
泥にまみれていた。
二人して、泥にまみれていた。
「部長、水筒取ってもらってもいいですか」
「Ok、了承した」
時刻は既に昼過ぎだろうか。
無駄に高い気温と湿気。
遥か高い太陽が自分たちを見下ろしていた。
平和に時間は過ぎていったというのは、その間、何も起こらなかったということの裏返しだ。
あれから三時間。
部長が、既にメダカさがしに加わってから浪費した時間だった。
「ほい、キャッチ」
「ありがとうございます、部長」
クルクルと回転がかかってきた青い水筒をキャッチ。
その水筒を知らず知らずのうちに強く、握りしめていた。
*
大体何か所目だっただろうか?
もう、数知れないくらい探した気がした。
もう服は汗と泥でぐしょぐしょだった。
メダカを捕まえるための目の細かい網を片手に、軍手をはめた手で汗をぬぐう。
汗は止め処目なく湧き出てきて、体内の水分を容赦なく奪っていく。
補給した水分はどれくらいの間、体内にとどまっていられただろうか。
「もう、ここにはいないんじゃないの?」
部長のその一言。
案外、疲れていたのかもしれない。
メダカなどという普通に、いつもは簡単に見つけられる日常的に存在する魚が全然見つからないという焦りだろうか。
それとも、長時間の炎天下の作業の影響からくる軽度の日射病にでもかかっていたのだろうか。
いいや、言い訳をするのは駄目だろう。
「本当に、こういう場所にいるので合っているの?」
その部長の問い。
「いるはずですよ」
その部長の問いに振り向きもせずに答えた。
記憶によれば、用水路や小さな小川にいたはずだった。
そういう小ぢんまりとした場所にいたはずだった。
どこか、侮辱されたような気がした。
「ねぇ、もう場所、変えてみない?」
微妙に諦め気味のその言葉が気に入らなかったのだろう。
「別に、部長はもう帰ってもいいですよ」
そう言った。
「別に、探す気がないなら、好きに帰ってもらってもいいですよ」
そんな風に言った。
どれだけひどい言葉だったろうか。
どれだけ最低な言葉だったろうか。
部長は自分から、こちらを助けてくれると言って、助けてくれていたというのに。
部長は自分から、メダカさがしをしようといってくれたのに。
身勝手で、
身勝手で、
身勝手な
最低な言葉だった。
そんな言葉を、部長はただ、黙って聞いていた。
何も言わずに部長はただ、黙って聞いていた。
やがて、部長は黙ってこちらへと近づいてきた。
「なんですか、部長……って、痛っ」
おでこに思いっきり凸ピンされた。
思いっきり、寄せられた顔と顔。
「はぁ、ばっかじゃないの。こうすけ」
何を言っているのか理解できなかった。
彼女が何を言おうとしているのか、分からなかった。
「あんた、焦ってるんでしょ」
彼女は、少し呆れたようにそう言った。
「私の知っているこうすけっていう男は、なんだかんだで女の子に優しいものなの」
そうとも言った。
その迫力に思わず気圧された。
その信頼に、気づいていなかった。
「知ってるよ。どうせ、穂苗ちゃんの事なんでしょう。霞ちゃんから聞いたわ」
霞というのは、幼馴染の巫女さんで葛城神社の巫女さんをやっている。
彼女は我が家の宿がどういう宿か、知っている。
我が家の宿に泊まった神様の末路を知っている。
「メダカ、絶対に欲しいんでしょ。持って帰らないわけにはいかないんでしょうが」
部長も部長なりに必死で探していたのだ。
部長も、必死で穂苗の願いをかなえようとしていたのだ。
「私も、あの子の友達だしね」
たった、一回しか一緒に遊べなかったけどと彼女は少し、寂しそうに付け加えた。
視える君たちが羨ましいなと彼女は笑った。
*
「居た。居ました!!」
空はもう、夕暮れ時の鮮やかなオレンジに染まっている。
神社の脇の用水路の流れが緩やかになったところ。
雑草が生い茂った日影になっている場所に、そいつらはいた。
チロチロと動く、小さな影。
細い流線型の身体。
軽く茶褐色がかかった鱗。
「どこ、どこ!!」
「ま、待ってください。部長」
興奮したように駆け寄ってくる部長。
微妙にこちらの声に反応したのか動き出そうとしている。
「と、とにかく……えぇと、あ……」
「慌ててるって、こうすけ。とにかく網でしょ」
落ち着けない。
やっと探し出したメダカ。
絶対に逃がすわけにはいかないのだ。
「じゃぁ、先輩はあっちから……」
「慌ててるよ~、こうすけ」
落ち着くのは部長の方が早かった。
ポンポンと後輩の肩をたたくと、前々から決めておいた位置へと移動していく。
その手にはメダカ用の目の細かい網。
自分の手にも、同じように細かい網。
O K。
そっと、用水路の先。
そこにメダカに気付かれないようにそっと入った部長が手信号を送ってくる。
あちら側は既に網で封鎖したの合図。
その合図を確認すると、自分もそっと用水路に入っていく。
挟み撃ち作戦だ。
こちらからメダカの群れを段々と追い込んでいき、部長の側の網へとかけようという作戦である。
少しずつ追い込んでいく。
少しずつちゃぷちゃぷと網をメダカの方へと動かしていく。
ちょろちょろと暢気に泳いでいたメダカが気付いたように、頭の向きを反対側に向けた。
波紋の動きから、敵の接近に気付いたのだろう。
あとは、少しずつ追い込んでいくだけ。
あとは、少しずつ反対側へと導くだけだ。
とんでもない、緊張感が走った。
失敗するわけにいかないという緊張感が走った。
どれくらいの時間が経っただろう。
「かかった~!!」
部長の歓喜の声が響いた。
思わず、膝から崩れ落ちた。