筍参
「準備出来ましたか、穂苗さん?」
「出来てますです」
玄関。
つっかけただけの木造りのサンダル風の下駄は最近の流行なのだとか。
約束通りの午後九時に彼女は姿を現した。
動きやすいように少し丈が詰められた和服姿。
文様は涼しげな団扇文。
色も華やかな薄鼠色。
「綺麗ですよ」
「誤魔化さないでくださいです」
髪には、小さな花の髪飾り。
いつもと違う外出着。
美しくもつつましいそれらは、少女の持つ魅力を静かに、だが、十分に引き出している。
頬には薄くおしろいが塗られ、唇にも軽く紅が塗られている。
幼く見える顔立ちを、大人ぽっく見せるそれら。
しかし、それらを無駄にするかのように少女の頬は子供のようにプク~と膨らんでいた。
あまり、他人に要求をしない。
基本的に神様らしくない遠慮がちな少女にしては珍しい。
そんな態度であった。
「幸助」
「なんですか?」
草履を片足ずつ引っかけるように、履いていく少女。
身長の低い彼女にとっては、玄関の段差は結構な障害になりえるらしい。
手を取って、それを履くのを手伝っていく。
「なんですかじゃないです」
草履を軽くトントンとやって、少女が履き加減を確かめていく。
それを横目にガラガラとドアを開ける。
夏とはいえ、もう十分に夜である。
玄関先の提灯だけがボヤ~とおぼろげに光を放っている。
「ちゃんと、聞いてますです?」
「聞いてますよ」
手に取るのは、非常用の懐中電灯とそれから虫よけスプレー。
「虫よけスプレー、つけます?」
「聞いてないじゃないですか!」
すこし、悪戯気味な気持ちと共に虫よけスプレーをそっとチョンと飛び出た狐耳のほうに吹き付ける。
「ふわっ」
以外に冷たい。
吹き付けた後の独特の冷たさに素っ頓狂な声が上がった。
「やめてくださいです」
「すみません」
顔を赤くして怒る彼女の顔は可愛いらしかった。
悪戯っ子ぽく、笑うそれに愛想を尽かされてしまったのか。
「幸助はバカ者です」
開け放たれたドアから少し怒りながら、出ていく彼女。
「ごめんな、穂苗」
そんな彼女の後姿にそっと声をかけた。
「調子に乗った」
その言葉に穂苗が振り返った。
少し怒ったような、少し呆れたような顔で彼女は言った。
「幸助は本当にバカ者です」
そうもう一回、繰り返した。
*
「十五夜でもないのに、月見とはなかなかの洒落だな。こうちゃん?」
その声の主が誰かなど、振り帰らなくてもわかる。
「別に何の用ですか? 葛城様」
微妙な呆れと鬱陶しさ、そんな感情が混ざっているのに気付いているのだろうか。
「な~に、こうちゃんが他の神様に手を出していないか気になってね」
気づいているなら、たぶんこの神様ならわざと無視しているのだろう。
というか、気づいている上で、無視しているようにしか考えられない。
彼女はそういう神様だ。
宿から帰る途中であった。
自分の手には小さめの重箱とこれまた、小さな陶器の瓶に入ったお神酒が入っている。
月見の途中の一時帰宅。
食料の補充であった。
穂苗が待つところまで、戻る真っ暗な小路の途中。
「どうしたんですか、葛城様? ここの宿屋に来た神様にはお会いにならないのが通例だったのではないですか?」
「なんか反応が冷たいな、こうちゃん。別にお前らの邪魔をするつもりは無いぞ」
声はどうやら、上の方から聞こえる。
あの重苦しい十二単姿で一体、どうやって木の上なんかに上ったのだろうか?
「別に、穂苗とは何もありませんけど?」
「ほぅ、もうそんな風に名前まで呼ぶような仲になっていたのか?」
自分の答えに少し満足したような声。
何か不愉快だ。
どこか、高みから見下ろされている気分になる。
実際、相手は神様で、高みから見下ろしていたりするのだが。
「結局、何なんですか?」
いつまでも姿を見せない相手はやはりイライラする。
葛城様は一体、何でここに来たのだろうか?
早く、彼女の元に戻りたいというのに。
いったい何の茶々を入れに来たのだろうか?
そんな自分の感情を察したのだろう。
「こんばんは、こうちゃん」
道の脇。
小路の両側に並び立つ樹。
その一つから、落ちてきて、
いつの間にか、目の前に当たり前のように彼女は佇んでいた。
「こうちゃん、あの子を私に会わせてくれないかな?」
その目は、普段の彼女に似合わないくらい真剣だった。
*
「お帰りなさいです、幸助さん」
あれから、それなりに飲んだのだろう。
微妙にトロンととけた目を向けて、穂苗は言った。
杯に似合わない小さな口なのでちびちびとやっているのだが、いがいにも彼女の杯を空にするペースは結構速い。
もう、結構酔いが回ってきたのだろうか。
「何か持ってきたのですか?」
自分の両手に抱かれた小さめの重箱を見て、興味津々なことを示すように尻尾がぴくぴくと動いた。
簡単な宴席だった。
旅館の裏にある小さな丘。
そこに広がるちょっとした草原に大きめのビニールシートを引いただけ。
月見の宴席の肴は定番の御団子に、小さく四角く切った甘くない西瓜。
このまだ少し若い甘くない西瓜がお気に入りなのか、穂苗はさっきからこの西瓜を爪楊枝でつまんでは日本酒をちびちびやっている。
「ただの饅頭だよ、持ってきたのは」
「お饅頭ですか?」
重箱のほうを興味津々で見ていた穂苗へと重箱を渡す。
「あんこ入りはありますですか?」
「一番右端っこの三つ」
「全部食べていいですか?」
「いいよ、食べちゃって」
自分はまだ、未成年でお酒を飲めないので良く冷えたサイダーだ。
クーラーボックスから取り出したそれをとくとくとお猪口に注ぐ。
「ふわぁ……」
彼女があんこ入りのおまんじゅうが好きなのは、分かっていた。
あんこ入りの饅頭ばっか、食べているし。
重箱から取り出して、感嘆のため息を漏らす。
小さな口でパクッとかじる。
小さな狐耳がちょこちょこと動いた。
尻尾が、ちょこちょこと動いた。
おもわず、後ろから…………、
「無防備な少女を抱きしめようだなんてな~、こうちゃん?」
い……痛い。
痛いなんて生優しいものじゃなかった。
そんな程度ではなかった。
頭がガンガン割れそうなどこか覚えがある痛み。
この感覚は忘れられるはずもない。
「こ、幸助さん?」
目を抑えて、うめく自分に穂苗が驚いたように振り返った。
「おひさしぶりだな~、穂苗」
森の方から、声が聞こえた。
それは、目の前の光景とは裏腹な朗らかな声。
暗闇の中からラスボス感たっぷりに出現する姿。
「だ、だれですか……?」
いつもはどこかのんびりしている目が、警戒と困惑をごっちゃにしたような眼になる。
「忘れちゃった? 大和国一宮……」
暗闇の中、影は静かに名乗っていった。




