筍壱
人みな、万物地に還る
物みな、万物地に還る
全ては所詮、塵芥。
すべからく、大地へと還らんことを。
*
御陵村と聞いて、どれくらいの人がその場所をわかってくれるだろうか?
隣町でさえも、そこに村なんてあったかといわれる始末。
すでに地図の隅っこに宴会場の壁の花、いや、染みのようなどうでも良い立場に甘んじているような感じだ。
確かに、田舎だ、
確かに田舎である。
主要交通機関はママチャリこと、籠付自転車。
一つしかない駅の列車の本数はたったのそれぞれ、朝夕の二往復のみ。
コンビニまでは、自転車で大体二時間。
村の集落の中、そのメインストリートにあるなんでも屋さんが唯一の主婦の社交場というか、買い物ができる場所である。
その分、自然がたくさんあると言えば聞こえはいいが、何分古臭いだけである。
まぁ、結局嫌いになれない。
そんな村であるのだが。
*
そんな誰からも忘れ去られた上に、市町村長会議に村長が忘れ去られていた上よばれていないのに誰も気付かなかったという、ある意味誇張しすぎているのではないかと思われる伝説を持つ御陵村の奥地の奥地。
村の集落からママチャリで大体七分ほど。
駅まで、大体坂道をママチャリで十分ほど。
お客様にはちゃんと、四輪車のほうで送り迎えもするらしい。
そんな奥まったところにある、少し大きめの建物。
古めかしい木造の建物は、屋根は瓦葺の二階建て。
長い年月で味を帯びてきたのだろう、深い色合いをもつ木材の壁。
駐車場は少し狭め。
だが、反対に庭は何処までも際限なく広がり、チロチロと隅っこを風流な小川が流れている。
カコーンと、鹿おどしが小気味よいさわやかな音を響かせた。
そんな建物の縁側。
そこに一人の少年がいた。
さっきから、押し入れから大きな布団を出しては縁側へと広げ、そして、庭の洗濯物干しへと掛けていく少年。
160に届くか、届かないかといわれている身長は少年が気にしている通り、平均的な同年代の男子よりは十分に低いものであろう。
少しやる気のなさげな感じ。
それは、なんというかこの行為に意味を見出していないということだ。
服装は、適当につっかけたような青い寝間着代わりの着物。
着たことのない人でも簡単に着られるような、旅館などに置いてあるようなもの。
少し着崩してある感じが着ていることを慣れさせているようにも思える。
そんな少年こと、神尾幸助。
この家の跡取り息子であるはずであった。
機械的に、決まった手順のように、干していった大きな布団を無駄に色あせ、薄橙になってしまった布団たたきで軽く叩いていく。
それが終わると、洗濯機で洗ってきた枕当てを軽く、洗濯ばさみで引っかけていく。
最後に布団を出してきた広い和室の部屋を、いつも通りの手順で箒をかけて終了。
全てを終えると、もう興味もないという風に綺麗に磨き上げられた廊下に置いておいたホッチキスで纏めてられた資料のようなものを覗きながら、厨房の方へと歩いていく。
『河童の捕まえ方』と題されたところどころに自分で書いたのであろう可愛い絵がはさまれた分厚い資料は、あのやたら騒がしい部長に押し付けられたものだ。
微妙に感じる熱気に今日も暑くなりそうだという予感がした。
微妙に感じる雰囲気に今日は、何か嫌な予感がした。
廊下の先にある、厨房。
大きな、鍋用ガスコンロまで備え付けられたそこは十分に広い。
幸助は父親との二人暮らしだ。
しかし、その父親は買い物にでも行ったのか父親専用の大きな荷台付ママチャリごと、姿を消していたことは確認している。
どうせ、自分しかいないのだ。
昨日の残りと思われるきんぴらごぼうを電子レンジに放り込むこと、一分か、二分。
淡々と、いつまでも終わりの見えない資料の分厚さに少し辟易していたところだ。
きんぴらごぼう様の帰還を待つことなく、ピンポーンと甲高い音がなった。
もう一回、ピンポーン。
特徴的なあの音。
どうやら、音源は玄関のほうらしい。
もう、玄関の呼び鈴くらいしかあるまい。
幼馴染か、あの小五月蠅い部長か。
幼馴染なら歓待で、部長なら迷惑顔で迎えようじゃないか。
どうせ、こんな田舎。
訪ねてくる人なんてたかが知れている。
「今、行きま~す」
広げてあった、資料を簡単に片づける。
聞こえるはずもないと思うが、声を出す。
一直線に玄関へと向かった。
木造の重厚な引き戸。
九十度に回すと、開閉する単純なカギが二つ。
そのカギをかちゃり、かちゃりと回す。
せいぜい、鶏強盗が関の山のこんな田舎に出て来るはずもない強盗を警戒するように、掛けられているチェーンをチャカッと外す。
しょうがない、これも安全管理のためである。
家の家業の所為だ。
しょうがない。
そんな厳重な施錠が施されたドアを解放する。
最初に目に入ったのは、もふもふの金色の毛におおわれた綺麗な三角形の耳。
ドアが開いたことに気が付いたのか、その耳がぴくぴくと動いているから決して偽物ではないということが分かる。
幼馴染でも、部長でもないということだけは確かだ。
こんな耳に見覚えはない。
訪問者の背は丁度、自分の胸くらいまでだろうか。
その訪問者の背中の後ろには、これまたもふもふの金色の毛におおわれたその小さな背に匹敵するであろう尻尾が見え隠れしている。
知り合いでないということだけは確かだ。
うん、この尻尾にも見覚えはない。
こんな、典型的な狐耳に狐尻尾なんて、知らない。
「って、は…………?」
ガランと大きな音がした。
大きすぎる良く響く音。
ドアを勢いよく閉めた音だ。
そのまま、本能的に二つの鍵を時計回りに九十度。
開を示す縦から、閉を示す横へと変換。
強盗防止用のチェーンまで、しっかりと掛けておく。
よし、準備は整った。
とにかく、思考を整えようか。
自分の家系がこういうものが見える体質だというものはよくわかっている。
そのせいでどこかの神様に気に入られたりしているわけだし、心霊スポットとか絶対にいけないわけだ。
そして、挙句の果てに自分はあのおバカで能天気な部長に捕まった。
うん、思考は整った。
あのおバカで能天気な部長はあとでやはり、殴るしかない。
よし、カギを二つ、カチャカッチャと回す。
せいぜい、新聞の毎日体験版を投げ込んでいくという少々しつこい勧誘が関の山のこんな田舎に出て来るはずもない押し売りを警戒するかのように掛けられているチェーンをチャッと外す。
そんな厳重な再施錠が施されていたドアを解放する。
最初に目に入ったのは、もふもふの金色の毛におおわれた綺麗な三角形の耳。
ドアが再び、開いたということに気付いたのかびくっと動いたその耳は、紛れもなく本物であろう。
幼馴染ではないことは確かだろう。
こんな耳に見覚えがあるはずがない。
訪問者の背は丁度、自分の胸くらいまでだろうか。
その訪問者の背中の後ろにある、その小さな背丈に匹敵するであろう尻尾がドアが開いたということにだろうか、びくっと逆立った。
知り合いではないことは確かだろう。
こんな尻尾に見覚えがあるはずがない。
こんなテンプレートみたいな狐耳に狐尻尾なんて知るはずもない。
「あ…………」
気づいた。
さっき、一回、ドアを閉めたのは何だったのだろうか。
一回、冷静な考えを得るためだったのではなかったのだろうか。
何てことだ……どうでも良いことしか考えていなかった。
しかし、さっき、閉めたのにもう一回、ドアを閉めるわけには行かない。
礼儀的にできるはずがない。
そのまま固まること、数十秒。
そのまま、時が止まること数十秒。
時が止まっているはずなのに、なぜか時間が進んでいる。
「…………」
目があった。
狐耳少女だ。
その顔は、妖魔神仙の例にもれず戦慄する程の美少女だった。
美しいというよりは可愛らしいという言葉の方がお似合いな少女。
お人形というような例えは通じず、確かな感情を載せるその顔は可愛らしいと形容するほかにないだろう。
「ん…………」
その顔は何故か、真っ赤に染まっているように見える。
まるで、真っ赤なゆでダコみたいだ。
「ん…………」
まるで、何かを察してほしいというようにこちらのほうをじっと見てくる瞳。
「あの、どちら様ですか……?」
しかし、自分の口から出てきた言葉はそれだけだった。
神様に、尋ねてこられる用なんてなかった。
「穂苗大稲田神……ここに泊まることになっている、大和国元七宮穂苗大稲田神です」
恥ずかしそうに俯いて言われたその言葉でやっと、思い出した。
この家は宿屋だった。
この家は少し特別な宿屋。
夏の間だけ、神様が泊まる宿屋だったということに。
また、この季節が来てしまったことに……。