Tale a2 中央広場の知らせ(1)
「もうこんな時間か……」
朦朧としながら目を覚ましたグランは、時計を確認してそう言う。
ただの寝過ぎだ。
顔を洗うと、すぐに支度を終え、宿を出た。
彼はまず、当初の予定通り図書館に向かった。昨日、エルケルと一緒に建物の前まで行ったから、場所については大丈夫だ。
しかし懸念点が一つ、グランにはあった。
それは文字を読めないことだ。図書館に行っても、文字が読めないのであれば得られる情報もない。だから――。
「すみません。私、教育関係の仕事をしているのですが、言語の勉強に適した教材はありますか?」
グランほどの風格の人間が識字に難ありということを、誰もが信じるわけがない。正直に話して不用意に目立つのは避けたいところだ。
ゆえに、図書館の管理者であろう女性に身分を詐称して尋ねてみた。
「はい、ありますよ。少しお待ち下さいね」
少し待たされてグランはある一室に通された。そこには本の一冊もなく、代わりに等間隔に並べられた机と椅子、その上に青紫色の半球状の物体が置かれていた。
「こちらは学習室になります。この魔道具を起動すれば専用の学習プログラムにアクセスできますので、是非使ってみて下さい。教育関係の書物が読みたい時は、部屋を出て先ほどの中央ホールにお越し下さい」
「丁寧にありがとうございます」
「では、ごゆっくり」
女性が部屋を後にすると、グランは適当な場所を選んだ。他に利用者はおらず、人目を気にする必要はなさそうだ。
早速、魔道具を使ってみようとする。しかし起動スイッチもなければ、スクリーンもない。
「どうすればいいんだ?」
グランは戸惑いながらも、魔道具に手を置いてみた。
「おっ、電源が入ったか」
魔道具は淡く光り、その後で空間上に画面が現れた。
「仮想ウィンドウか」
グランは特別驚きはしなかった。クロス・ファンタジーでも、仮想のウィンドウを操作していたからだ。
しかし、使ってみようという彼の意思とは無関係に画面に文字が羅列され始めたことには驚いた。
これは魔道具であり、パソコンではない。魔道具を起動したから、学習プログラムが作動しただけのこと。
「読めない……ふっ」
グランは眼前の未知に苦笑いする。
文字が画面いっぱいに現れた後、仮想ウィンドウ上にカーソルが出現した。魔道具に触れている間は、意識と連動して動くようだ。
魔道具と言えども、操作感はパソコンそのもののようで、クリックできそうな場所が三箇所ばかりあった。
どれを選べばよいかも分からず、グランは律義に一番上の項目を押す。
この教材はストラティアの現在汎用的に使われている言語に関する物だ。三つの項目はそれぞれ初級、中級、上級と難易度をそれぞれ表していて、グランは偶然にも初級を選ぶことができていた。
初級コースが始まると、ウィンドウ上に再び文字が羅列され始める。
同時に、補助的な音声も聞こえて来た。
『言語学習プログラム、初級コースを開始します』
(……!)
グランの体は一瞬ビクッとした。
声は部屋中に聞こえていたわけではなく、頭の中に語りかけるように響いていた。テレパシーのような感覚を経験するのは、彼にとって初めてだ。
音声は丁寧に言語の読みから書きまでを教えた。発音と言語表記が分かってしまえば、後は慣れるだけだった。
修了テストのようなものもコースの終わりに実施されて、初級コースのテストをグランは満点で通過した。
いつの間にか言語学習を楽しんでいたグランは、好調に中級と上級の内容も修めた。達成感と肩凝りと疲労感が同じくらいのしかかった。
(流石に疲れた……。だが、良い時間だった)
満足した顔でグランは学習室を出る。思えば休憩らしい休憩を取っていなかったなと、今日の残り時間を謳歌しようと決めた。書物を読み漁って自分の今後を考えるのは、明日にでもできると言い聞かせて。
「ありがとうございました」
グランは自分を案内してくれた女性にお礼を言った。
「随分と長い時間籠もられていましたね。どうでしたか?」
「はい。とても質の良い物だと感じました。今日学んだことを、ぜひ参考にしたいと思います」
「それは良かったです。あの魔道具は魔術師協会により日々改良されていまして……」
「魔術師協会ですか」
グランは、教材の製作者の欄にその言葉が書かれていたなと思い出す。
魔術師協会とは、魔術の体系管理に務める、アルスエリア王国を中心に広がる組織だ。
「よろしければ、忌憚のない意見をお願いしたいのですが……」
グランはこの程度のことで良ければと、アンケート用紙に率直な感想を覚えたての文字で記入した。
「なるほど……。ありがとうございました」
女性はざっと目を通すと、アンケート用紙を回収ボックスに入れた。
「また来るので、その際はよろしくお願いします」
「はい、お待ちしています」
外に出れば日はまだ沈んでいなかった。美味な料理の香りが漂っている。
朝から何も食べていなかったと、グランは途端に空腹に襲われた。
(今日は一人で色々行ってみるか)
言葉が分かってしまえば、ひとまず怖い物はなかった。昨日は何と書いてあるのか分からなかった看板も今はスラスラ読めてしまい、自分はこの地で生きていけると、一時はそんな自信に満ちた錯覚が湧いて来た。
雅な飲食店に入ると豪華なランチを食べ、街中を気の向くままに歩き回った。
「ふぅ……」
グランは一息つきながら、我に返る。
「俺、この状況を楽しんでないか? ……明日からは切り替えていかないとな」
小声でそう言い、同じ宿にもう一泊するため歩き出す。
その途中、前方から一人の鎧姿の男を捉えた。
彼はグランに気付くなり軽く手を挙げて合図した。
「これはグラン殿。こんな場所で奇遇ですな」
「エルケル殿こそ。任務の帰りでしょうか?」
「ええ。グラン殿は調べ物があるとかで図書館に行ったのでしたっけ?」
「はい」
「文字の読み書きができないのに、大丈夫でしたか?」
「基礎的なことはすべて覚えました。問題ありません」
グランは謙遜して、そう答えた。
「ええっ!? たった一日の内の数時間で!? ……これは参りましたな。グラン殿が素晴らしい素養をお持ちだったからでしょう」
「世辞は結構ですよ」
「世辞だなんて、とんでもない」
二人とも微笑んだ。少しぎこちなさを含ませながら。
「……そうだ、この後お時間ありますか?」
切り出したのはエルケルだ。
「私は構いませんが、エルケル殿こそ大丈夫ですか? 副団長ともあろう人が街中をふらつくのは色々と面倒だったりしませんか?」
グランが尋ねると、エルケルは今度は心から笑った。
「私の心配ならば無用です。副団長と言っても、特別有名ではありませんし。……大衆の記憶に残るような御仁は、私の知る中ではあの人ぐらいです」
「あの人?」
エルケルの言葉に後悔を感じ取ったグラン。僅かな表情の変化を見逃さなかった。
「はっ……いや、なんでもありません。さあ、行きましょう」
「ええ」
足早に歩き始めるエルケルを、グランは引っ掛かりを覚えながら追いかけた。




