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第34話 編み棒の鳴る拍子と、城壁の指抜き手甲

 板壁の隙間を埋めた乾燥草が冬の隙間風をしっかりと押し返し、かまどの炎が土間に敷かれた藁の束を柔らかく照らし出す中、外郭防衛特務兵の任用状を懐に収めたソナが雪を払って勢いよく板扉を開け放った。

 仙骨から伸びる艶やかな水平尾を大地と寸分の狂いもなく平行に保ちながら、海洋の護衛兵は手にした木札の控えを卓の上へと丁寧に滑り出させた。


「警備隊の詰所へ赴き、ゲオルグ伍長とマルク殿から詳しい要望を聞き取って参りました。城壁の上で長槍や剣を構える際、指先をすっぽり覆ってしまう普通の手袋では武器の柄を握る感覚が鈍り、咄嗟で命取りになるそうです。彼らが求めているのは指先の自由を損なうことなく、冷気が直接侵入して血管を麻痺させる手首と手の甲を徹底して温める頑丈な防具でした」


 ソナの持ち帰った現場の生々しい言葉に呼応するように、背後で大盾を軋ませていたバルトが冒険者ギルドの倉庫から調達してきた荷袋を卓の上に広げた。

 袋の口から現れたのは過酷な討伐依頼の補修用に確保されていた厚手の牛革の細紐と、荷車の幌に使われるような目の詰まった丈夫な麻布の端切れだった。


「ギルドの資材庫を覗いたら使われずに眠っていた良質な革紐がいくらでも転がっていてな。これなら村の頑丈な羊毛と組み合わせても、雪や泥で簡単に千切れる心配はねえはずだ」


 卓の上に並んだ素材を見つめるミリーの瞳へローランドが自らの無骨な拳を突き出し、戦場で培ってきた実践の知恵を授けるように指を折り曲げて見せた。


「親指と人差し指の付け根に革紐を一本通して手甲がずり上がらねえように固定し、手首の関節には毛糸を二重に巻き上げる構造にするんだ。そうすりゃ槍を突き出す時も手首の動きを邪魔しねえし、隙間から吹き込む冷気も防げる。見栄えの良さなんざ二の次だ、吹雪の夜番を生き延びるための道具を作ってやれ」


 元騎士の具体的な助言を受け取ったミリーは強張っていた表情を緩めて小さく頷き、膝の上で使い古された木製の編み棒を構えた。

 村で培ってきた手仕事を信じる少女の指先が滑らかに動き始めると油分を適度に残した褐色の羊毛糸が革紐の芯を力強く巻き込み、目の詰まった厚手の編地となってかたちを成していく。


 そのすぐ隣でルナは膝の上に大きな毛糸玉を大事そうに抱え込み、糸が絡まないよう丁寧に繰り出しながらミリーの手元をじっと見守っていた。


「ミリーの手はまるで魔法使いのようじゃな。ただの草や毛の束が、みるみるうちに人を温める強い盾へ姿を変えていくのが本当に見事なのじゃ」


 伯爵令嬢の素直な賞賛にミリーは少し照れくさそうに頬を染めながら、手元を休めることなくぽつりぽつりと自らの胸中を明かし始めた。


「……私の住む村は土が痩せていて、冬になると吹き降ろす風が肌を切り裂くほど痛い場所なんです。母から糸紡ぎを教わった時も家族が凍えずに畑仕事へ出られるようにと、ただそれだけを祈りながら夜遅くまで編み棒を動かしていました。王都の問屋から追い出された時は、自分のやってきたことが全部無駄に思えて消えてしまいたかったけれど、誰かの寒さを防ぐ役に立てるならこんなに嬉しいことはありません」


 村の家族を想うミリーの純粋な温もりに触れたルナは、かつて屋敷の冷たい鳥籠の中で誰にも届かぬ歌に涙していた自らの記憶を静かに重ね合わせていた。


「無駄なことなど一つもないぞよ。そなたが家族を想って紡いできた優しさは、この王都の吹き曝しの城壁で震えている誰かの命を確かに救おうとしているのじゃ」


 ルナは腰の小さな銀鈴へそっと指を触れさせ、トマから教わった「命の拍子」を呼び覚ますように親指でチリンと一定のリズムを刻み始めた。

 土間に響く澄んだ銀鈴の音色は、ミリーが木製の編み棒を打ち鳴らす規則正しいカチカチという音と柔らかく重なり合い、厳しい寒風を忘れさせるような弾む音楽となって小屋の隅々を満たしていった。

 二人の少女が心を通わせ、拍子を合わせるようにして編み上げられた防寒具は、昼過ぎには確かな剛性と保温性を兼ね備えた左右一対の「指抜き手甲」となって仕上がっていた。


 完成とほぼ時を同じくして板扉が遠慮がちに押し開かれ、雪を踏みしめて土間へと姿を現したのは、外郭警備隊の交代番を終えたばかりの若い兵士マルクだった。

 制服の袖口から覗く指先を寒さで赤く染めながらも以前のような絶望の色を消したマルクは、卓の上に置かれた褐色の手甲に目を奪われた。


「ローランド隊長、それにソナ殿。詰所で話を聞いて飛んできました。これが俺たちのために作ってくれたという……」

「ああ、お前のその痩せこけた布の上から嵌めてみな。村の娘が現場の動きに合わせて編み上げてくれた本物の防具だ」


 促されたマルクは息を呑みながら手甲へと手を通し、親指の付け根に革紐を引っかけ、手首の二重巻きをきゅっと引き締めた。

 その瞬間、若い兵士の瞳が信じられない驚きに見開かれた。


「……信じられないほど温かいです。手首から甲にかけて風が一筋も入ってこないのに、指先が完全に自由だから長槍の石突きをしっかり握り込める。これなら夜明け前の見張り番でも感覚を失わずに武器を構え続けられます!」


 感激に震えるマルクは腰の革袋を解き、少ない手当の中から捻出した数枚の銅貨と、下町の実家から届いたばかりの上等な乾燥ハーブの小袋を卓の上へと差し出した。


「大聖堂の広場で売られているような派手な飾りはありませんが、俺たち叩き上げの兵士にとっては命そのものです。少ないですがこれは代金です、受け取ってください。詰所の仲間たちにも見せて全員の分を注文させてもらいます!」


 突然差し出された対価を前にミリーは戸惑い、受け取っていいのか分からずに両手を引こうとしたが、ケイが静かに歩み寄り、穏やかな声音で少女の背中を支えた。


「ミリーさん、受け取ってください。これは誰かの憐れみによる施しではなくあなたが培ってきた確かな職能によって生み出された防寒具に対する正当な対価です。あなたが提供した技術によってマルクさんは持ち場を守り抜く力を得て、マルクさんが支払った対価によってあなたは王都で生きるための足がかりを得る。互いの尊厳を守るための正しい交換なのです」


 ケイの理路整然とした言葉にミリーの迷いは解け、震える両手で硬貨と小袋を大切そうに受け取ると、その目から安堵と誇りに満ちた涙がこぼれ落ちた。

 自らの手仕事が開拓村の家族を支えるだけでなく、この見知らぬ王都の片隅で確かに誰かの命の盾として認められた瞬間だった。


 夕暮れが迫るにつれ交代を終えた外郭の兵士たちがマルクの噂を聞きつけて墓守小屋の軒先へと集まり始め、バルトたち冒険者も街道の見回り帰りに一息つこうと暖簾をくぐるように扉を押し開けて入ってきた。

 かつては死者の魂を見送るだけだった寂れた小屋の土間は、寒風に晒された人々が温かい煮込みの湯気に包まれ、靴紐を結び直して再びそれぞれの持ち場へ向かっていくためのかけがえのない止まり木へと姿を変えていた。


 長椅子の端で手帳を開いたケイは、夜道で眺めていたサービスエリアの灯火を思い返しながら、自らの空っぽな器がこの異世界の片隅で誰かの足元を照らす居場所を築きつつある事実を淡々と書き留めていった。


「ルナさん、この記録の仕上げをお願いできますか」


 声をかけられたルナは誇らしげに頷き、卓の羽ペンをインク壺に浸すと、滑らかな筆致で余白へと線を走らせた。

 描かれたのは固く撚り合わされた毛糸玉と二本の木製編み棒、そして冷気を防ぐ指抜き手甲の傍らに寄り添うようにして佇む、誇り高き「八つ目の銀鈴」の絵だった。


 温かな余韻が土間を包み込む中、老門番ゲオルグが雪を払うのももどかしそうに小屋の中へと駆け込んできた。

 老兵の厳格な面持ちにはいつにない険しさが張り付いており、土間の空気が瞬時に張り詰めた。


「隊長、それにケイ殿。城内の密偵から緊急の報せが入った。冬至祭を目前に控え、教皇庁が『祈りの静謐令』をさらに一段階引き上げ、王都全域に対する『聖なる武装解除令』の布告に踏み切る動きを見せている。教皇の聖なる祈りを穢すという名目で国王軍の兵舎から武器を接収し、大聖堂への強制礼拝を命じるつもりだ」


 教皇が振りかざす権威の鎖が、ついに王国の屋台骨である軍そのものを完全に縛り上げようと動き出していた。

 白峰の英雄たちの名誉、理不尽に苦しめられる王都の民、そして手足を縛られた生身の兵士たち。

 長きにわたって燻り続けてきたすべての歪みと対峙する決戦の刻が、冬の嵐とともにすぐそこまで迫っていた。


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