約束と契約ー公爵令息レオナードと伯爵令嬢エステル
エステル・リーボット伯爵令嬢は栗色の髪に、榛色の瞳の大人しそうな可憐な令嬢である。
にこりと、微笑んで淑女の礼を執った。
「殿下のお許しを頂ければ、わたくしからも罪の告白を致します」
「良いだろう。不敬は問わぬ」
今度こそ吊るしあげられるなら、とルボルは許可を出した。
色々追及したい事はあるが、今は犯人探しが先なのだ。
だが、レオナードは皆に愛されるユイカと婚約者のエステルが自分を奪い合い競う様に胸を高鳴らせる。
奪われてはいないという話は間違いだが。
そこは訂正しておこう、と声を上げる。
「エステル嬢、訂正してほしい。何故、君が私の心が奪われてないなどと言い切れる」
「あら。お忘れですか?婚約を決めたあの日に仰られた事。結婚に際して、わたくしには妻の役目を与えると仰いましたわね?」
「ああ、だが…」
「それと、愛人を持つという事も」
瞬間、会場にいる令嬢達から冷ややかな視線が向けられる。
幾ら美しい貴公子といえど、政略の上の婚約だろうと、傲慢すぎる言い分だ。
「だから、君には最初から心など与えていない!」
激高したレオナードに、エステルは不思議そうに同意する。
「ええ、そうですとも。与えられていないものをどうやって奪うのです?」
「……あ……」
評判を落とす発言を暴露され、失言を重ねてしまったレオナードの顔がみるみる蒼くなる。
対して、エステルは穏やかな笑みを向けたまま。
「わたくしも最初は嫌でございましたよ。公爵家の妻となるのが何故伯爵家の私なのか、それは王子殿下と同じくレオナード様に嫁ぎたい令嬢もまた、いなかったのでございます。ですが、寄親でもある公爵家のお達しでございますもの。断りようがございませんでしたわ。本当ならレオナード様の言動を窘めるべきご両親も、同じ考えでしたものね?」
「財と権力があれば、その位は普通だろう」
開き直ったレオナードの言葉に、エステルは扇を広げて口元に当てて笑う。
確かに、この国では愛人も認められている。
かといって、愛人を夜会に連れ歩くのは下品だとされていたし、人々の下衆な噂となるので家名を汚すことになるものだ。
別邸に囲い、同好の士だけの密やかな集まりや夜会で、自慢し合うのである。
特権階級であり、財力のある一部の男達の嗜好でしかない。
「ええ。分かっておりますとも。ですが最低限の礼儀は必要でございましょう、普通は。公爵様は五人の愛人を抱えていらっしゃいますものね?今ご寵愛を受けているフリージア様は、わたくし達とそう歳が変わらない令嬢なのはご存知でいらして?……確か、一歳年上でしたかしら」
父親の赤裸々な閨事情を暴露されて、レオナードは顔を赤くして怒鳴った。
「知らないし、知りたくもない!」
「あら、ご自分は愛人を持つと堂々と仰っているのに?」
穏やかに切り返されて、ぐっとレオナードは答えに詰まる。
しかも、本当に自分と年齢の変わらない少女に父親が手を出しているとは思わなかった。
知りたくもなかったし、その必要もないのに、何故この場で言うのかと腸が煮えくり返る。
だが、エステルは余裕をもって、扇で床に居るユイカを指し示す。
「それにほら、ユイカ様を愛人になさるのかと思っておりましたわ。公爵様と共有なさるのかと」
「………は?」
あまりの言い分に、レオナードはぱかりと間抜けにも口を開けて目を見開いた。
愛人を、父と共有などするわけがない。
そう言おうとして、エステルに先手を打たれる。
「だって、お好きなのでしょう?一人の女性を共有なさるのが。主君のお相手でも手を出すのなら、父のお相手とも……ねえ、そういう話は社交界ではすぐに噂となってしまうのでございますよ」
幾人もの令嬢が、扇の下で密やかな笑い声を立てる。
ほんの静かな小鳥の囀りにも満たない音なのに、レオナードは責め立てられているような気持になった。
いや、確かにその冷笑は、侮蔑の意味が籠っている。
まさかそんな噂が出ているなどとは思っていなかったのだ。
「おい、待て。何の話だ……」
先程もリューリエに指摘されたように、ユイカの不義がここでも話題に上って、ルボルの顔色も優れない。
だが、その追及はいまではない、とばかりにエステルは淑女の礼を執る。
「その話は後程改めて。……それでですね?レオナード様。わたくしの役割はお飾りの妻と言われる存在に近い物でしたが、子を産む事と女主人としての差配をする事を義務付けられておりましたので、公爵夫人からも教育をして頂いておりました。そこで、質問でございます」
「……何だ……」
愕然としたまま問えば、エステルは明るい微笑みを見せた。
今までレオナードに向けた事の無いような、晴れ晴れとした可愛らしい笑顔を。
「もしも、わたくしを妻として、新たに愛する女性を愛人として迎えたといたしましょう。ほんの偶然出会った女性が、誰よりも美しく、尊い血筋を受け継ぐ御方で、どうしても妻になりたいと言われましたら、どうなさいます?」
「っそ、れは……」
会場に集まった令息、令嬢達から冷たい好奇の目線で見られながらも、レオナードは答えるしかない。
本心かどうかは別として、取り繕う言葉を。
「妻である君を優先するに決まっているだろう」
言い切った言葉に、耐えきれないと言うようにエステルは笑い出した。
「ふふっ、うふふふふっ、ああ、可笑しい。今でさえ、婚約者のわたくしよりも優先なさっているご令嬢がいらっしゃるというのに、何てお粗末でございますこと……ふふっ」
衣装も同行も、とリューリエが言っていたように、レオナードもエステルに対して誠意ある行いをしてこなかった。
ユイカに乞われるまま、衣装も宝飾品も買い与え、尽くしてきたのだ。
愛を囁きながら。
「わたくしも最低限に留めていたお茶会にすら、来て下さらないこともしばしばでございましたものね」
「何が言いたい!恥をかかせたいだけか!」
「あら、恥だと分かっていてやっていたのではございませんの?」
急に笑うのを止め、冷たい顔で見られて、レオナードは口篭もる。
恥ではない、と思っていた。
けれど、衆目の前で大っぴらに言う事でもない。
恥ではないと思いながらも、冷たい他人の視線で、それが恥なのだと思い知らされる。
だが、冷たい顔を引っ込めて、楽しそうにエステルは話し始めた。
「まあ、それは良いのです。ね?政略だの愛人だの、貴方の心が決めた枠組みが揺らぐように、公爵様の心もまた揺らいだのでございますよ」
「……は?……何故、そこに父上の話が出てくる」
ドクドクと嫌な音を立てて鼓動が鳴り響く。
話の始めから、父に関しての言動が多いと思っていた。
けれど、どう自分の不始末に繋がるのかが分からない。
「お父上も、貴方と同じだと申し上げたかったの。先程申し上げたフリージア様はね、尊い御血筋をお持ちだったのでございますよ。最近、男子を出産されたから、フリージア様も子供の行く末が気になったのでございましょうね」
「何だ、そんな事か。私と君の養子にしろ、という事だろう」
ほっとしたようにレオナードは言うが、エステルはくすくすと愉しそうに笑った。
そして、侍従から紙片を受け取って、差し出す。
「わたくしね、婚約の時に約束いたしましたでしょう?」
「……何をだ」
レオナードは渡された紙片とエステルを交互に見て疑問を投げかける。
そんな昔のことなど覚えていない。
だが、エステルはふと冷たい笑みを浮かべる。
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