BONUS STAGE 「明るい未来」へと
後宮から本殿への長い渡り廊下に面した庭園に、花弁をひとつの茎にいくつも付けた花が一面。そしてそれによく似た、まるでブドウや小さなベリーのような不思議な花弁がふんわりと集まっている不思議な花が手前に咲き乱れていた。
皇帝が普段詰めている会議の間へ向かっていたリュイはそれらを視界に認めると、思わず足を止め目を細める。
――懐かしい。
フィリアでよく見た花たちだ。
今が命の限りと咲き誇る花々は、年中気候の穏やかなフィリア王国――現在ではただのフィリアだが――ではあちこちに咲いていた花だ。
だが、ここまで丹精して群生させることはない。
王宮ではもっと派手な花が好まれ、この花はどちらかと言えば添え物のようにそれらの足下に咲いていたように思える。
リュイにとしては花が特に好きと言う訳ではなかったが、仕えているクリスタの代わりに某かの御礼状なり、ご令嬢への季節の挨拶状なりに添えるためなど、花に触れる機会があった。
フィリアでは、例えご令嬢方や贈られる方がそれを好んでいたとしても、送るにはメインになるような花でなければならず、この庭園一面に色とりどりに咲いている花を贈ることはない。
だからまるで自分たちが主役である、とばかりに生き生きとファン帝国の強い太陽の輝きの下でも胸を張っているように見え、この花たちに親近感が湧いた。
さっきまでは懐かしさだけだったのに、とリュイは苦笑する。
フィリアでの自分は単なる侍従だった。
第3王子であるクリスタの乳兄弟であるというだけの身分は平民。
それが現在では皇配だ。皇帝陛下の寵愛深き正室。さらに秘匿していた身分――亡きフィリア王の庶子であり正統な王位継承権の所持者――の公開によるフィリア最後の王と言う地位。
まあ、フィリア王という肩書きは事実本当に一瞬一時の事だけで、特に恩恵があった訳ではない。いや、サーシャの夫となるため議会を黙らせ、また国土を帝国領とするのに必要だったのだから恩恵はあったな、とリュイは小さく頷く。
ぼんやり眺めていると、背後に誰かの気配がする。
渡り廊下の手すりに体重を預け前屈みになっている彼の背中に、のし、とその人の重みがかかる。
柑橘も入った甘い果実の香り、これはリュイの主の香り。
「遅いと思って迎えに来てみれば。花を愛でておったとはな」
皇帝アレクサンドラの顎が、屈んでいるリュイの背中に置かれ、彼女が話すとその振動が身体中に伝わる。
腰には彼女の両手がゆるりと回され、 彼がそこから逃げ出すのは許さないだろう。
彼女の腕は白く細いが、鍛えた肉の筋が見える。
袖から見える場所だけではなく、サーシャの身体には傷が幾つも幾つも、長短大小太細かかわらずあちこちに見える。痣のようになっているもの、火傷のように引き攣れているもの。
それらを見る度リュイは(勿体ない)と思ってしまう。手すりと身体を支えていた片方の手を外すと、そっとサーシャの手の傷に自らの指で確かめるように、労るように指でなぞった。
「ふふふ」
擽ったいのか、サーシャが少女のようにあどけなく笑う。彼女がこんな風に笑うのは伽の場などリュイと2人きりの時のみ。
彼女は皇帝として後宮を持ち、リュイはその唯一として立つことも許されたが、彼はその権利を固辞した。
白兎と名を変えたロイスなどはいまだに――リュイとの婚姻が1年過ぎた後、サーシャとの伽で侍っていることを――気にしているようだった。
あれから3年経ったが、サーシャに懐妊の兆しはない。帝国内外の属国友好国敵国からも高貴で見目麗しい男は送られてきている。(女性からも熱い視線どころかせめて侍女にと乗り込んで来ることも良くあるのだが、タウシャが不要とさっくり送り返している)
サーシャとしては本来リュイ(とタウシャ)だけいれば良く、全員に手を付ける必要性はないので、彼らと対峙する時は就職の面接の様相を呈する。
今日は数日後にやって来る他国の側室候補について話し合うため、呼ばれたリュイはそちらに向かっていたのだ。
ふと足を止めただけが、ずいぶん時間を食ったのだろうかと思いつつ、ゆっくり起き上がる。
背中にあった顎は外されていて、後ろからサーシャに抱き締められる形だ。
「筆頭のタウシャがおるからリュイは後宮に部屋を持たずとも良いものを、持つからこうなるのだ」
「後宮の長としてそういうわけにはいきません」
タウシャは側室筆頭でもあるので、後宮の側室たちをまとめるのは彼の役目だが、正室も正室で全てを統括し、主の心を調えるために側室たちを管理する。
だが、そうやって立ち回っていても後宮というものは嫉妬や思惑が渦巻いてしまう。主が男であれ女であれ、だ。
タウシャは元々官僚なので、文書を編纂したり人の下であれこれするのは得意だったが、人をまとめることは意外と苦手であった。
それが特に人間関係だとか嫉妬絡みとなると。そこに性別の差はないと思い知った2人である。
だから彼を補佐するためにも、リュイは正室としての役目も果たすべく後宮に入った。
リュイが入ればサーシャも後宮に主寝室を持つ。
けれどサーシャは本来『誰にも正室や側室について口を出させない』ことを条件に皇帝の座に就いた。
最初はそれでも良かったのだが、1年が過ぎ、2年目3年目となると、ただでも『勝手に』送られて来ていた側室候補が更に頻度が増えることになった。
それもサーシャの『帝国の頂点』と言う地位と何者をも魅了して止まないと取り沙汰される美貌のせいなのだが。
そして正室のリュイはその隣に並んでも遜色ない男ぶりの持ち主ではない。
油断すれば鳥の巣のようになるぶわぶわした髪、目鼻口がとりあえず揃っている程度だ――と本人はそう信じている。
確かに彼は絶世の美男子であるとか、傾国もやむ無しな男前ではないが、彼の亡くなった母に良く似てやや童顔で甘い顔立ちではあるのだ。
一応彼の身体に流れる血の半分は紛う事なき高貴な王族の血で、乳兄弟でも異母弟でもあったクリスタも、血縁上の父親であった先王もやはり見目は良い。しかも先王は遊び人であったが穴があれば何でも良かった訳ではない。リュイの母はそんな最悪な男に見初められるほどには可愛らしい女性であったのだ。
とにかくリュイは、サーシャへの秋波が止まない理由のひとつに正室の自分の見た目が地味であるが故ではないかと常々思っているのだ。
玉からは「嫌味でスカ?」と言われた事があるが。
「何を考えておるのか……まあ分からんでもない」
甘く響くサーシャの声と同時にリュイの背中にあった温もりが、腰に巻かれた腕が離れる。
惜しいと思うリュイの気持ちを知っている、と言わんばかりにサーシャは彼の隣に微笑んで立つ。
「あの花はな、フィリアでよく見た花でな」
サーシャは目を細めた。
「お前のようだと思ったのだ。だからソーニャに頼んで、去年種と庭師を送って貰うたのよ」
「私のよう、ですか?」
「ご覧、リュイ。あの花は確かにフィリアでは添え物だったかもしれぬ。だが今は主役だ」
私にとっては、とサーシャが続けた。
「どれだけ私がお前に心を砕いて寄せても、愛を囁いても、お前だけ特別なのだと寝台で夜にしか啼かぬ黒鷲が啼いても自信を持たぬゆえ」
ふふ、とサーシャが含み笑う。
――夜にしか啼かない黒鷲。
途端にリュイの顔は、ぼぼん! と赤くなる。
「愛いの」
リュイの口唇に、薄いが柔らかなサーシャのそれが重なり、ちゅ、と音を立てて離れた。
優しい瞳に映されたリュイは胸がドキドキと高鳴って、気恥ずかしくなる。伽では自分主導であれやこれやしていて何を今更なのだが、彼は妻であるサーシャに現在も恋をしている。
そのリュイの表情を見て微笑むサーシャが庭園に視線を投げた。
「あの花は香水になるそうだ。役に立たないものではないのだそうだぞ」
「――では、この花は?」
サーシャが言っているのは一面に咲き誇る多くの花弁を持つ花だが、手前にあるこの果実がたくさん付いたようなものは何になるのだろう、とリュイは思った。
「この花は私からお前への贈り物だよ」
「……なるほど」
嬉しいがリュイは花にそこまで興味はない。懐かしい気持と、サーシャから自分に自信を持てと発破をかける意味でのあの一面の花なのは有り難いし、気持ちはきちんと頂いた、とリュイは思う。
サーシャが悪戯っ子のように微笑む。
「何やら『花言葉』なるものがあるのだと言うぞ、リュイは知っていたか?」
「……花言葉、ですか?」
聞きなれない単語に首を傾げると、サーシャはこくりと頷いた。
「フィリアにもなかろう? ソーニャは知らぬと言っていた。帝国にもないのだが、キリエスタにはあるのだと言う」
「キリエスタ、ですか」
キリエスタ国は属国のひとつで、花の育成と輸出に力を入れている国だ。花には妖精だか精霊だかが宿り、国を助け守るのだと言う。その宿る花を看板に掲げて輸出しているのだから、実際人成らざる者たちにすればたまったものではないだろう。だが、売れればそのお銭がキリエスタを守るのだから納得するのかもしれない。
そして去年入った側室がそのキリエスタの者だった。
ちくり、とリュイの胸にトゲが刺さる。
サーシャは肉欲に溺れたり性欲が激しく強い訳ではないので、伽に呼ぶこともまちまちだ。
伽があってもなくてもリュイとは毎晩共寝しているのだが。
それでも月に数度は側室に彼女を譲る日がある。
覚悟していたとは言え、婚姻の儀でやらかしたほどに本来独占欲の強いリュイなので、面白くない気持ちは燻っている。表には出せないが。
ちなみに皇帝本人はここ数ヶ月その気にならぬとリュイ以外と枕を共にしていないので、最愛の夫から嫉妬を受ける謂れはないと思っている。
「……ガッシュですか」
「ああ、そうだ。ガッシュだ」
小麦色のサラサラした長い髪を持つ体格の良い男を脳内に呼び起こしてしまい、とんがりそうな唇を抑えてリュイが聞けば、サーシャは何でもないことのように肯定する。
「アレがな、フィリアの花を植えると私が言うたらば『お前と私のために』と生国からこの花の種を送らせて来たのだ」
「陛下と私のため、ですか?」
「この花は『通じ合う心』だそうだぞ」
「……通じ合う心」
「面白いの、花言葉とは。そんなものに振り回されたくはないが、実際占術師だの何だのに頼った過去がある親を持つ身としては大きな事は言えぬが」
サーシャは庭園に向けていた瞳をリュイに戻し、ひたと見据えた。
「私はリュイを愛している。周りが何を言おうとな」
その瞳に宿る光の強さに、リュイは震える。
ごくり、と喉が鳴る。
男として自信を持てないがために、サーシャに言わせてばかりの己を心の裡で叱咤した。
「ガッシュはな、お前のことを案じておるよ。私よりもお前のことをな――あっ、バリス兄上とは違うからな!」
名前を出され思わず何事かを考えて青くなったリュイに、珍しく慌ててサーシャが言い募った。
「とにかく、だ。お前はもっと私を信じよ。周囲ではない、私アレクサンドラを」
「……サーシャ」
リュイはサーシャを抱き締めた。
そのまましばらく抱き合っていたが、彼女はそっとリュイの胸を押して、彼の手を取りそれを下腹に導いた。
「――待たせたの」
優しい風が吹き、庭園に咲き誇る一面の花からは爽やかな緑の薫りと共にうっすらと甘やかな香りが2人に届けられた。
読んで下さってありがとうございます。
息抜きにちょっとだけいちゃいちゃを。
ムスカリの花言葉「通じ合う心」「明るい未来」




