思ってた初夜とは違う処夜(1
サーシャことアレクサンドル・ファン・メイエットは正餐を済ませるとリュイの手を取って、夜の廊下を進む。
リュイはといえば引き摺られるようにして彼女に付いていく状態だ。
サーシャはドレス姿に高いヒールの靴を履いている。明かりがあるとはいえ薄暗い廊下をカツカツ歩く。あの細い折れそうな踵の靴でよくこんなに早く歩けるものだとリュイが感心していると、後宮の入り口の前で止まった。
サーシャは後宮に彼女の寝室をまだ作っていない。
本来ならサーシャの住まう、皇帝専用の宮殿内の後宮に寝室がなければいけないのだが、サーシャはそれをしない。まずはリュイと正式に婚姻を結んでからにすると言う。
しかも後宮については、リュイが嫌ならば閉じても良いと言うことで、これは彼が『とんでもなく彼が愛されている』証拠だ。
だが、リュイは本来なら断れない正室の話に待ったをかけた。
リュイの気持ちが追い付かない。サーシャもそこは理解しているから待ったを許した。
サーシャにすれば6年に渡る一目惚れからの片想いである。すぐにでも襲って自分と婚姻するように仕向けることも出来たが、そうはしなかった。
彼女は皇帝ではあるが、その前に一人の人であり女である。
女を苦手とするリュイを力ずくでモノにしたとて、彼の中の女性への嫌悪感は消せはしない。むしろ更に悪化させる畏れがある。
そうなった時に惨めなのはサーシャ自身だ。皇帝の権で侍らせてもその心までは手に入らない。運良く他の女に絆されずに来たものの、この先そのように彼の傷を治し心を癒す存在が現れないとも限らない。
そこでどれだけ悔やもうと、相手を排除したとしてもリュイは上辺だけは唯々諾々と応じ、サーシャを顧みることは二度とないだろう。
ならば自分がそれになるしかない。
鳥の雛が生まれて初めて見たものを親と認識するように、リュイの心に深く己を刷り込ませ、他に目を向けられないように育てていくことを皇帝であるサーシャは選んだ。その為に正室についても、後宮と側室についても誰の意見も通さない、という過去類を見ない自分勝手な意見を押し通したのだから。
「楽しい初夜の予定だったのだがなあ。伽の準備もさせたのだが無駄になってしまったな」
「私は畏れ多くてそのような気持ちにはまだ」
「分かっておる、無理強いはせぬ」
サーシャはふふ、と妖艶な笑みを浮かべる。
「今宵は中の者と話をするのだ。リュイは傍におれ」
「はい」
サーシャが後宮の入り口脇に控える兵に頷くと彼らが扉を開け、内側に向かって声を上げる。
「陛下がお休みである」
すると、一人の男が扉の側で待機していたのかサーシャの前に現れると跪き頭を下げた。サーシャは彼を見て微笑むと、リュイに紹介する。
「リュイ、これは玉と言う。髪と瞳の色で帝国皇族の血筋と思うかもしれないが、我が祖母方の血族に近い者でここの専門医だ。名は『北辰』だったか」
サーシャは玉に立つように言うと、彼は立ち上がる。そこで彼女は今度はリュイを紹介した。
「玉、この方が以前から伝えていた我が正室と成るリュイだ。その様に迎えるよう」
玉はリュイにも頭を下げたので、リュイは慌てる。
「あっ、いやまだ予定なので! そのようにして頂くのは心苦しいと言う……か?」
リュイが玉に頭を下げてもらうのを止めて貰おうとすると、彼の表情が不穏なものに感じて固まってしまう。
玉は笑顔のままだが目が笑っていない。サーシャは微笑んだまま彼に注意する。
「玉、脅すな。正室はこのようなやり取りも不慣れゆえ。お前の態度が目に余るようであれば、ここよりもっと大きな病院でも何でも紹介してやるぞ?」
その言葉に彼は黙って頭を下げ、口を開いた。
「陛下、北辰の名は捨てたものでス。それよりも陛下の懇願を無下にすることが許せませンでしタ。他へやることはお許しくださイ」
独特な抑揚で話す玉の言葉にリュイは驚いて言い募った。
「玉さん、違います。あの、無下にした訳ではなく、待ってもらっていて。私ごときが正室、皇帝陛下の皇配なんて畏れ多くて」
言われた玉は開いているかわからないほど細く釣った目を更に釣り上げて笑んだ。今度はちゃんと笑っている――ように見える、とリュイは思った。
「――成程、畏れ多い。ソレは分かります。陛下は黒い真珠、黒い金剛石ですかラ」
「黒い真珠? 金剛石?」
リュイが聞き返すと、玉が答える。
「どちらも貴重な宝石です。それの黒となると更に希少。生涯賭けても見つからないかもしれない例えですヨ」
「……な、ナルホド」
リュイは隣に立つサーシャを見る。高いヒールを履いているため、やや見上げる形になる。
「ふふ、どうだ、考えを改める気になったか? 私は希少だぞ。……と、戯れもここまでだな。玉、跡継ぎの様子はどうだ?」
サーシャの雰囲気と表情が一変する。リュイはそれに息を呑んだ。
玉は飄々と答える。
「アレを後継だなんてトンデモナイ。いまだ宦官として後宮の医師になるのは嫌ダと」
「……ふむ、温情を与えたつもりだったのだが。調べた結果、アレは貴族の細々とした規律を知らなかったのだろ? 王国は割と決まりごとが多いゆえ面倒なのは分からんでもない」
サーシャはリュイに同意を求めた。
「確かに……帝国は意外と上下関係でも砕けていて驚いています」
「ははは、そうか。だが砕けているのは一部だぞ、さすがにその辺の民や兵士にお前たちと同じようには振る舞わさせたりはせぬが」
リュイと玉は頷く。
「玉、アレはお前にとって有用か? アレの親は亡国で薬草の卸をしていたせいか、薬草と薬学知識は王国では並ぶものがいなかったと言うぞ」
「薬草から成ル薬学の知識は確かにありますが、ソレだけです。外科も臓の知識も壊滅的でス、王国は酷いと聞きますが、本当に酷い……薬学はともかく薬草については何かを隠している素振りがありますのデ、有用か無用かは図りかねまス」
「……ふむ。ではあの気難しそうな官僚はどうだ?」
「ああ、あのロイスとか言う男ですネ。大人しいものでス。やや壊れ始めているかもしれません」
「ほう?」
「小娘よりも心を残した者が気になるようデ、ただソフィア様への一連の無礼は反省しております。陛下の思われる通り、上手く乗せられただけかと」
「かと言って罰しない訳にはいかんが……さてどうするか」
「とりあえず、部屋を用意してありますのデ、まずはそちらへ」
玉は先に立って歩き出し、サーシャとリュイがその後に続く。サーシャはリュイの手を離さない。そこに熱が集まっているようで、リュイは落ち着かなかった。
……主に手汗が気になって。サーシャもリュイも手袋をしているので気にすることはないのだが。
女性と手を繋ぐことが出来る日がくるとは、という自分の中の驚きと、繋いでいる相手が女性とは言え皇帝陛下であるという緊張感が入り交じり、非常に複雑な心持ちのリュイである。
そんなリュイを慮ってか、サーシャが優しく微笑みながら話をする。
「実はな、リュイには謝らねばならぬことが2つあるのだ」
「……はあ」
皇帝が謝るような事とは何だろうか、とリュイは思う。有無を言わさず帝国に連れてきたことは『今さら』だしと隣を見れば、サーシャがまるで悪戯を見咎められた子供のように、やや唇を付き出して不貞腐れたような表情をしていた。
読んでくださってありがとうございます。
玉、空気と化す。




