マッド(1
フィリア王国は帝国の属国である。
これは対外的な、表向きの理由だ。
元々大陸の位置的に帝国へ攻め入る時の拠点足りえる王国は、近隣諸国に攻め入れられることが多かった。勿論簡単には彼らも落ちない。
陥落はされないが、帝国が大きくなればなるほど戦も頻繁にあるため、国力はじりじりと削られていく。
一方帝国はその頃に大陸のほぼ半分を手中にし、まとめあげていた。隣国である王国は彼らにとって小さな国だが、他国が王国を拠点として帝国に攻め入るには痛い場所だ。そこで直接攻めて支配するか、属国とする話は度々上がったが、一部帝国内での抵抗が大きく進まない。
当時の皇后が王国出身であったことが大きな理由である。彼女は皇帝の寵を一身に受けるほどであったため、皇后の生国を武と戦火によって侵すことは憚られた。更に『後の世にあっても侵するを禁ず』とまで時の皇帝に言わしめたことは後の世において帝国を縛り付ける鎖となる。
そのため、長く『友好国』として付き合っていたが、友好国というだけでは帝国の壁である王国を守り切れなくなった。助けてと言われてから向かうのでは遅いのである。
かといって友好国という肩書きの手前、王国内を他国の兵がうろうろするのも宜しくない。
そこで二国間で協議し、王国は表向き帝国の属国とすることが決まった。
先の皇帝が決めた禁を破るわけには行かないが、帝国としては王国が属国になるのは弱点をとなる地域を守れる以外にも旨味がある。なので禁を破らず、お互いに得があるようにしなければならない。
帝国としては、王国を属国にすれば他国からの侵略に対する報復措置や賠償補償は必ず帝国を通すことになる上、王国が寝返ったり裏切るのも防げる。
王国側は、他国に向け『フィリア王国は帝国の属国となった』と発表するだけで、文化などを帝国に統一する必要がなく、帝国の軍基地を国境に置いてもらえるので他国と余計な争いはしなくて済むので兵力の節約ができる。
それでも王国は近隣国から攻められることが多く、国境では小競り合いのような戦がしょっちゅうあり、騎士団は帝国軍と共に戦に参加していた。
そのような背景のある中、デグス家長男であるマッドは『フィリア王国の赤獅子』・『勇猛果敢な赤き騎士』と呼ばれる父の後を継ぐのは自分だと幼い頃から思っていて、周囲からもそうなると言われていた。
マッドの父は騎士団団長として目立つために赤い鎧を身に着けていて、肩まで無造作に伸びた赤髪から、人からは赤獅子と呼ばれている。
幼いマッドも父譲りの燃えるような赤髪と碧眼から『小獅子』と呼ばれた。
そのマッドが強く父を騎士として意識し、尊敬し憧れたのは特に戦の凱旋時だった。
騎士団が王都の街道で沢山の人が出迎える中を王宮まで隊列を組んで行く。
その時、彼らは凱旋用に鎧を派手なものに変えるため一旦市壁の外で着替える。
その時幼いマッドの父は必ず彼を呼び、そこから王宮までずっと肩に乗せて行列に参加していた。
マッドはまるで自分も戦に行き、勝利し、人々から賞賛されているような誇らしい気持ちになる。同い年くらいの子供たちが羨ましそうに、眩しそうに自分を見上げる姿に優越感もあった。
実際は帝国軍の兵が中心となって戦い、騎士団は万が一のために控えているだけだ。
過去の皇帝の禁を守っていた帝国の対応は、王国側に度を越えた勘違いをさせるに十分なものだった。
騎士団は団長であるデグスが分を弁えており、帝国の意図もよく理解していたので、仮に騎士団内で帝国を軽んじる風潮や人があった場合、速やかにそれを排除し規律を整えるような人であった。
だが父親は彼の愛する息子が帝国を軽んじているとは全く分かってはいなかった。
マッド・デグスは10歳になり騎士団に入団できる年齢になると直ぐに希望し、その希望は叶う。
彼は鳴り物入りで入隊し、団長の子息でありいずれはその後を継ぐ『小獅子』だ。それが今に『若獅子』となり次の『赤獅子』になる、周囲はそれを信じていた。
――だが、『小獅子』は『小獅子』とすら呼ばれなくなった。
マッドたち最年少組を含めた新人はまず『見習い』という下働きに属する。
そこでは剣の技を磨くのは当然、上司の世話をすることも仕事のひとつだ。
武器や防具の手入れ、団員寮の清掃から洗濯、料理や団内での伝言役など世話は全て彼らの仕事。そうやって下積みを経験し、団員は何を必要としていてどんな生活をしているのかを知っていくのである。
騎士団なら他より贅沢ができるだろう、女にモテるだろう、強ければいいだろうという簡単に物事を考えている者を厳しい下積みでふるい落とす意味もある。
王国に現在騎士団は一部隊しかない。代わりに国が管理する夜警団と市井の民の有志による自警団がある。
帝国軍が国境でその身を犠牲にしているから、王国はそれだけ兵を持たず自警で済む程度には平和でいられる。だからこそ彼らに対する敬意を失わぬよう、騎士団は同じ兵として、騎士としてその名に恥じぬよう誠実にいたいと言う団長の意向がそこにはあった。
だがマッドはその気持ちは分からない。しかも彼は常に父親の威光を我が物のように振りかざしていた。
マッドの名前と容姿から誰も逆らえず、上に言い付けることも出来なかった。
入ったばかりの新人たちは、息子のやっていることは団長の知るところであり、耳に入れればこちらが叱責されると思っていた。
更に元々凱旋以外ではあまり会うことのなかったマッドと父は、彼が入団してからの寮暮らしで以前より会えなくなった。
団長と見習いでは普段会話する暇も権利もないことが彼の不満を膨らませることとなる。
マッドは父の肩に乗って人々を見下ろし、キラキラとした瞳で見上げられる立場なのだ、だから下積みなど必要ない、英雄の息子は特別だ。自分はいずれ赤獅子となるのだからという大きな思い違いをしていた。
更に下積みを嫌がるマッドは我慢強い方ではなかった。
厳格で清廉な父の背中を見てきた筈なのだが、悲しいかな彼の見てきた父の背中は『強いと人から賞賛される』姿だけだ。
父である団長も、マッドのことは『可愛い我が子』ではあるがそれだけだ。躾も、彼の話も、全て妻任せにしてただ息子からの憧れの瞳を誇らしく擽ったく受け止めるのみである。
彼が現在のデグス団長として在るのは、彼の父親が時に厳しく時に優しく、常に導いてきた結果だったのだが、デグス団長はそんなことはすっかり忘れていた。
彼は父親から何も教えられていない、自ら父を見て育ったのだと思い込んでいる。彼は十分父親としてマッドを教育していると思っていて、それが間違いと気付くのは随分後の事だ。
マッドは日々、鬱々として過ごしていた。
騎士団での生活は自分の想像を遥かに下回り、予想を裏切ってばかりだった。
入団した最初の頃はちやほやしてくる者が多く、そこそこ楽しいこともあったが、半年も経てばどうだろう、誰も彼には近付かなくなっていた。
下働きについては、本来今頃なら慣れて誰に言われずとも1日の流れを把握し、空き時間には来る昇級試験に向けて鍛練するようになっているのだが、マッドは他人に押し付けてきたので全くわからないまま。
そんな中である日、マッドは王国が帝国の属国になったと食堂で話をしている者たちの話を耳にすると、彼らに詰め寄った。
「王国が帝国の属国とはどういうことだ!」
「……どういうことだって言っても、元々ずっと属国だったろ? それが名実共にそうなるってだけで……」
「ハッ! 帝国の属国なんておかしな話を騎士団が黙ってるはずがない! 俺の父さんが許さない!」
「……マッド、お前いい加減にしろよ」
食事をしながら話していた内の一人が立ち上がった。周りの数人がやめろよなどと言って彼を押し止めているが、彼は止まらない。
「団長の息子だから何だって言うんだ? 偉そうに言うだけじゃないか。鍛練だけして下働きはしない、文句ばかり。お前、この下働き制度は誰が決めたかしってるか? お前の親父様の団長だぞ」
マッドは彼を睨み付ける。
「睨まれても、ちっとも怖かないね。しかもその団長自ら帝国に従順であれと俺たちに教えてるんだぞ」
「……何だと……!?」
マッドがぎりり、と歯軋りをする。
「勿論理由はある! 帝国軍は俺たち王国騎士団に代わって戦で前に立って命を張って王国を守ってるから。知らなかったろ? 凱旋はな、王国民へのアピールのためだけにやってんだよ!」
「この……っ」
マッドは感情に任せて彼に飛び掛かった。




