19話
澄み渡る、空。
町を気持ち良く通り抜ける、風。
全身を優しく包み込むように暖かい、陽ざし。
なんということでしょう。
こんな晴れやかな日が新たなる生活の始まりの日になるなんて……………とは……ならなかった……。
よくよく思い出してほしい。
今の季節は梅雨だ。そんな都合よく晴れるわけがない。
あっ。あと少しで現実に戻される。もうちょっと現実逃避させてくれればよかったのに。俺は逃げようにも逃げられないっていうのに。
「入ってきなさい!」
その低い声で発せられた言葉が自分に向けられた言葉であることが分かっていた俺は目の前の昔ながらの木製の白いドアを開ける。
ぺちゃ、ぺちゃ。
教室にいる全員の視線が集まる。そして彼ら、彼女らは疑問と興味でその視線を外せずにいた。
ぺちゃ、びちゃ。
俺は教壇に立つ先生の隣まで歩いていくと正面を向いた。
「はじめまして、加藤 アヤト……です……」
それに答えるように教室には嫌な空気と静寂が続く。
それもそのはず。この場にいるほとんどの者が疑問に思うことが目の前にいるのだから。
しかし誰もそのことを訊くことができずにいた。
そんな中。一人の男が動き出した。
「アヤト。なんでそんなにずぶぬれなんだ?」
もう聞きなれたその声はそう言った。
こういった空気を読まず、突発的にアクションを起こしてしまう者をこう言っていたことを知っている。
KYと。
でもこの空気の重くなった状況では逆にありがたい。一人声を出すだけで自分も声を出していいのかもしれないと教室全体の空気が変わっていくからだ。
さすがは正善だ。
っと、ここですでにお察しな方はもうお気づきかもしれませんが、俺は今学校に来ています。それも入学という形で。
話せること全て話し、それを聞いた高瀬は一緒に住むことを提案してきた。
それ自体はありがたかったが、俺は正善のことを甘く見ていた。
次の二言目には「――それで同じ学校に通おう」と言ってきたのだ。
一応あてはないがエゴやテロのことを調べる必要があったため拒否していたが、その学校というのが高瀬の母が理事長を務める学校ということもあり、まさかのあの日中には俺の入学が決まっていたらしい。そして翌日である今日の朝までには制服や教材など全てのものがそろっていた。
だから俺が入学してくることを喜多川は知らなかったため、クラスで一人だけ開いた口がふさがらなくなっていた。
「これは急に降ってきたから濡れてしまっただけ」
すると笑い声が少しずつあふれてくる。
「途中のコンビニで買って来ればよかったのに」
「それにしても濡れすぎだろ」
「乾かして来ればよかったんじゃね」
教室の様々な所からツッコミにも似た言葉が飛び交う。
「まぁともかく今日から加藤君もこのクラスメイトだ。皆よろしく頼むぞ」
俺の席だと言って案内されたのは窓際から二番目の列の一番後ろの席。
座って右には席はなく、左にはお隣さんがいた。
「よろしくお願いします」と声をかけたが、他の生徒とは少し違った制服を着る黒髪ポニーテールのお隣さんはこちらを見向きもせず無視という返事をする。
あー。この人は面倒なタイプかもしれない。関わらないようにしよう。
担任の先生が今日の報告等を早く目に終わらせると、ホームルームは終了した。
するとふぅ、とため息をつく間もなく正善と喜多川が近寄って来た。
「まさかうちに来るとは思ってもみなかったよ。しかも昨日の今日でしょ? いくらなんでもはやすぎるよ」
「そうだね。俺もさっきまで驚いていた」
本当に心の底からね。
この状況を提案した当人も「いやー。母にお願いしたら一発で了承を得てしまって。その後の展開は母にお任せしてしまっていたのでここまで速いとは私も予想外ですよ」と言ってる始末。
「正善のお母さんのすごさを改めて実感したよ。家も豪邸だったしな」
「ん? いつの間にお互いに名前呼びするような仲になったの?」
「いやまぁ。それは……なぁ?」
そう言って俺と正善はお互いに目を合わせる。
「あっ。もしかして喜多川も俺に名前呼びされたいのか? そうならそうと言ってくれればいいのに。えーっと。確か下の名前は――」
「ちょっ、ちょっと待って。ボクあんまり呼びされること慣れてなくて。これまで通り、加藤君には苗字で呼んでほしいかな」
「あ、ああ。もちろん。苗字のほうが良いならそっちにするよ」
喜多川は「うん。ありがと」と言うと授業前にお手洗いに行きたいと言って、俺らを離れていく。
「まだ……だったか。ごめんカイト。喜多川にこのことについては触れないであげてくれないか? 多分そのうち気持ちの整理がついたらあっちから話してくれると思うから」
「わかった。触れないように配慮するよ」
少し気になったが、それ以上は考えないことにする。というより喜多川のことを考えていた脳がとある衝撃で一瞬にしてその衝撃のことを考えざる負えなくなったという方が正しかった。
俺は教室を出ていく喜多川を目で追っていると、喜多川と入れ違うように入ってきた人に脳どころか全身がジャックされたように突然思考が定まらなくなったのだ。
「な……なんでここに」
驚きのあまりそれに目をそらせず、無意識のうちに立ち上がっていた。
「アヤト?」
正善に声をかけられたが、それくらいでは今の俺の意識は他へ向かなかった。そして俺はそのまま教卓の方へゆっくり歩いていく。
自分が何かつぶやいていたけれど、他の人が遠くで喋っているようで全く聞き取れない。
でも唯一最後に言った言葉だけは聞き取れた。
「なんでエゴがこんなところにいるんだ……」
スーツを着た女性の教師。顔もエゴに瓜二つで、まるでエゴと初めて会った時の状態だったのだ。
この数日、短くて長かった。
知ってる人なんているわけもなく、誰をどこまで信用してもいいのかすらわからなかったが、やっと信用できる人を見つけてここまで来た。
多分俺はかなり運がよかったんだと思う。さらにこうして目の前に一番探していたものも見つかったのだから。
「お前……。来てるんだったら連絡くれよ。連絡方法だったら色々あっただろ。お前なら見つかっただろ。なぁ。なんか言ってくれよ……」
しかし女性教師からの返答はこうだった。
「えっと。ごめんなさい。多分人違いだと思うんだけど……」
「は?」
人違い? そんなはずがない。だってどう見たってエゴだ。目の前にいるのはエゴなんだ。
「何寝ぼけたこと言ってんだよ。エゴ。あの惨劇を、悲劇を変えるんだろ! 俺たちが!」
興奮のあまり女性教師の胸ぐらをつかんでしまい、それを見かねたクラスメイトたちは俺を止めにかかる。
俺の手からはがす際、勢い余って女性教師は後ろに倒れこみ、困惑している。
そしてその時やっと気が付いたのだ。
エゴはこんな顔しないと。
まさかこの人はエゴじゃないのか?
そう気づいた時、自分が冷静じゃなかったことと、自分のやってしまったことにやっと気が付き、咄嗟に「ごめんなさい――」と声が出た。
俺が誰かを傷つけてどうする。
これから多くの人を助ける前に、一人を傷つけてどうする。
最低だ……。
「――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――」
抑えられながら泣いて謝る俺を見て、女性教師は静かに立ち上がり俺に近づくと、怒るでも叱るでもなく、ただ頭を撫でた。
「え?」
俺がなぜこの状態になったのか不思議に思っていると、女性教師はニコッと笑顔になった。
「少年。誰にだって迷ったり、悩んだりすることはある。特に君たちのような年頃ならなおさら。だからそんな時は大人を頼りな。必ずとは言えないけど、少しだけ長く生きてる分、力になれると思うしね。いつでも相談にのるから」
女性教師は撫でる手を止めると「んじゃ。授業を始めるよ!」と言ってあたかも何事もなかったかのようにチャイムと同時に生徒たちを席に座らせ、授業を始めた。
こんにちは、深沼バルキです。
中々筆の進まない今日この頃です。
ここまで読んでくださりありがとうございます




