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エピローグ ありがちな思い出とこれからの夢:後

 その言葉(キーワード)で、一海は小さな海賊たちのことを思い出す。


 ――あの頃の俺らは、ジャングルジムを海賊船に見たてて、競争しながら登ったりして。(てっ)(ぺん)に一番乗りした船長が仁王立ちで、「われこそは!」なんて名乗りをあげて――あぁ、そうだ……



 ジャングルジムから落ち、自分も怪我をしているのに一海のために号泣していた、あの時の友だちの顔が浮かんだ。




「――そういや、あん時のおでこの傷は? あいつ、相当な怪我をしたはずなんだけど……」



 一海は手を伸ばし、弥生の前髪を上げる。


 左の生え際にうっすらと斜めの傷跡があった。それを見て、「本物だ……」とつぶやいた直後に表情を曇らせる。




 弥生は一瞬硬直したが、すぐ不快そうに顔を歪めて一海の手を払った。


「この程度、化粧をすれば消える。それより勝手に(さわ)るな。私とお前はいつからそんなに気安い関係になったんだ?」


「あ、ごめん、つい……これ、俺が、ちゃんと受け止められなかったからだよな」



 一海は落ちて来た船長を支えようとして、咄嗟にジャングルジムから手を離し、結果的には二人一緒に落ちてしまったのだ。




「私よりちびだったお前が何を言う。むしろ巻き込まれて一緒に落ちたのだから、お前は被害者だろう?」


 そう言って、腕組みをしながら笑う。



 被害者として一海を憐れんでいるようにはまったく聞こえない。むしろ海賊がどんくさい下僕をあざ笑っているようにしか見えない。



 一海はむっとした。


「昔はちびだったかも知れないけど、今は横峰よりでかくなったし力も強くなった。あの時は守れなかったけど、俺は被害者じゃない。それに今の俺ならきっとお前のことも守れる。こないだだって……これからだって、守ってみせる」




 意地悪く口元を歪ませて笑う弥生。


「情熱的な台詞ね……まるで恋の告白かプロポーズのよう」



 一海は我に返って赤面した。


「こ、告白って。いや、そうじゃないし茶化すなよ! 俺は真剣に」


「もういい」

 弥生はふい、と横を向いてしまった。



「もういいって……」



 傷ついた表情になる一海。弥生はちらりとその顔を見て、ため息をつく。


「オウム返しばっかりだなぁ。そんな昔のことで責任を感じられるとこっちが困る、それだけなのだけど。いつまでも過去のことにこだわってちゃぁ先に進めないよ? っていうか、忘れてたよね? 私のこともジャングルジムのことも」



「忘れてたわけじゃない……いや、正直言うと忘れたかった。ごめん。あの頃は色んなことがあり過ぎて、俺が高い場所が苦手になったのもあれがトラウマになったのかも知れないし」




 ――だから尚更、すべてから逃げ出したくなった時に、高い場所(ビルの上)を選んだのかも知れない。



 沈みかけた気分をため息とともに吐き出して、一海は首を振る。


「いや、っつーか、そんな昔のことでまだ俺のことを下僕呼ばわりしてるくせに、過去にこだわるな、って矛盾してね?」




「あ、それとこれとは別の話だし。つまりそういうわけで、私は十年以上前にあなたをお前呼ばわりしていい権利を得ているの」



 一蹴する弥生の無茶苦茶な理論を聞き、一海は吹き出した。


「なんだそれひでえ。つまりどういうわけなのか結局わかんねえし、あなたなのかお前なのかどっちだよ」


「今のはわかりやすく説明してあげただけで、当然『お前』に決まってる」



「お前なぁ……」


「だから気安くお前呼ばわりしないでくれる? せめて『きみ』とか。あとはそうね……あの頃のように、あだ名で呼んでくれてもいいのよ? 『やっくん』って呼んでたよね。他の友だちは『やよいちゃん』って呼んでたのに」



 不敵に笑う弥生。それを聞いて、みるみるうちに一海は蒼白になった。



「うわあぁっ、そうだよ。思い出したくないことまで思い出したじゃねえか!」


 一海は頭を抱える。



「俺、あの事故ん時までやっくんって男だと思ってたんだよ。先生に叱られて初めて女だって知ったし! つーか今更どっから見ても男には見えないお前をやっくんとか呼べませんマジ呼べません、本気でそれだけは勘弁しろ!」



「あらそうなの。っていうか人に物を頼む態度じゃないと思うけど、百歩譲って『弥生さん』でもいいのよ? まぁ、何故やっくんなのかずっと不思議だったけど、やっとすっきりした。そういうことだったのね」



「だって……男でやよいって、まぁ変わってるなとは思ったけど、ひろみとかまさみって名前もあるからあり得るのかなーとか思ってたし」


 一気にげっそりした、という表情で一海は答える。



「俺だって『かずみ』って名前で時々女の子だと思われて『かずみちゃん』って呼ばれることもあったし……だから『くん』付けの方がいいのかなっつー、園児なりの知恵だったのによ」



「あぁそういえば『かずみくん』じゃなくて『かずくん』って呼んでた気がするね?」


 ふむふむ、と弥生はうなずく。



「だろ? あとお前、女っぽい服を着て来たことなかったじゃん? ピンクとか赤とか一切なかったし。さすがにナントカマンの靴を履いたりはしてなかったけど、髪だってずっと短かったし、あ、あと確か一人称が僕だっ――ぐぇ!」


 突然恐ろしい形相になった弥生に首を絞められた。




 一海は殺気を感じて懇願する。



「わかっ……言わな、から、やめっくだはぃ……おねが……ひま、ふ」





 喫茶店で、女である自分が嫌いだと弥生が言っていたのもある意味納得した一海だったが、どうやら同じくらいの勢いでぼくっこ時代も黒歴史だったらしい。



 一海の首にまわした手からそっと力を抜きながら、弥生は辺りをきょろきょろと見回す。


「そんなに挙動不審にならなくても、ここには他の生徒が来ないし……」



「そういう問題じゃないの! わからない人は口出ししないで!」

 一体どういう問題なのか、弥生は酷くいらついた口調で吐き捨てた。



 ――ぜんっぜんわかんねえよ。



 そう言いたかったが、一海は自重した。また首を絞められたらたまったもんじゃない。



 誰しも似たような道を一度は通りそうなものであるが、当人にしてみれば人生最大の汚点なのかも知れない。だからここはそっとしておくのが大人の対応というやつなのだろう……と一海は無理矢理自分を納得させる。




「……わかりました船長。あの、俺はこの通りですから、どうかその手を離してくださいませんかね」



 いくら怖い顔をしていたとしても、やはりこれだけ近いと意識してしまう。


 一海は両手を上げて目を閉じる。もうどうにでもしてくれ、という捕虜のポーズだった。いつ海に蹴り出されても文句は言えない。



 しかし目を瞑ったせいで、今度は鼻が敏感になったらしい。


 ――っつーか近いし、やっぱりなんか甘い匂いがするし……寧々さんのとは違う、桃みたいな……



 一海はドキドキする自分の心臓を諫めながら、弥生ができるだけ速やかに離れてくれるのを待った。




「……よろしい」


 弥生の声がすぐ近くで聞こえる。が、首に掛かった手は外れてくれない。




 ――しまった、これ、状況がわからないから余計に怖……



 一海が目を瞑ったことを後悔し始めた頃――突然、ぷにょり、と柔らかいものが唇に触れた。





「ぅ、ぷっ?」


 治まりつつあった心臓が跳ね上がり、一海は思わず目を開ける。




 眩しい視界の中には、離れて行く両手と、その隙間の向こうに弥生の顔。




「いっいま、今……」


「――ということで、お前は私の部下で下僕だということを忘れるなよ?」



 偉そうな発言とは裏腹に、弥生の顔は赤く染まっている。




「あの、えと、弥生、さん? まさか……」


 今、なんかした? とは訊けず、一海は口をぱくぱくさせる。

 多分一海の顔も、弥生に負けじと真っ赤になっているだろう。



「なによ?」

「いや、だって俺ら、つ、付き合ってまだ……」


 ――そういえば付き合ってたんだっけ?

 一海は勝手に出て来る言葉で改めて自覚する。




 しかし弥生は頬を染めたまま素っ気なく言い捨てた。


「それがどうしたって言うの? 私は十年以上待ってたんだから今更って感じだわ」

「じゅっ……」



「もう帰ろうよ、お昼過ぎちゃう。午後はあのクレープ屋さんの前で待ち合わせてデートするんだから遅刻しないでよ。わかった?」


 つんと澄ました表情で言うと、弥生は背中を向けて非常口へ向かう。




 一海は一瞬呆けていたが、すぐ我に返り駆け出した。


「あぁもうなんなんだよ、あいつほんといっつも何考えてんだか――」



 靴底がキュッと音を立てる。




「――ってゆーか、待てよっ。俺まだお前に言ってねえことあんだけどっ」




 急き立てるように、一海のまわりで風が躍った。







――俺たちの戦い(デート)はこれからだ! なんてラノベがありますね、そういえば。


そんなわけで、『第一部 完』という感じではありますが、最後までお付き合いいただきましてありがとうございます。



この後、今月末まではスピンオフを二作品投稿して行こうと思っております。

よろしければそちらもご覧ください。

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