ⅩⅣ-Ⅳ 一海の能力とひとまずの休息
気まずい沈黙が漂う。
耐えられなくなった一海は、無理矢理おどけて右手を目の高さに上げてみせた。
「……でも、でも、俺のパンチってそんなに強力でした? 正直、まぐれ当たりじゃないかって」
ぐっと力こぶを作ってみせるが、二の腕は頼りないほどに細く、拳の関節は赤く腫れている。殴り合いの喧嘩なぞしたことがなかったので、まだずきずきと痛い。
どこからどう見ても、人を気絶させるほどの威力は出せそうにない気がする。
寧々は一海の言葉を聞いて軽く笑った。
「いやー違うよ。っていうか気付いてなかったんだ? カズミン、あいつに雷を投げつけたんだよ。いわば、自家発電の超強力スタンガン?」
「ちょ、自家発電って、何言って、やめ……って――え? 俺が、雷? スタンガン?」
何を言われているのかわからず、一海は目を丸くした。
「そうそう。カイルと同じ。いやーまさか修行のひとつもなしで咄嗟に出せるとは思わなかったけど。あれだね、生命の危機を感じたんかねぇ」
「俺が……雷?」
一海は呆然として、改めて自分の手を見つめる。
「大丈夫だよぅ。カイルにちょっとコツとか教えてもらってさぁ」
「俺……ヒトじゃ、なかったんですね。ほんとに」
それを聞いた寧々の視線が険しくなる。「あんたは――」
「いや、わかってますよ」
一海は、戸惑いながらも笑顔を寧々に向けた。
「っつーか、俺、寧々さんもカイルさんも、高千穂でも、やっぱ人間だとしか思えないんだけど――それでも自分のことってなんだか」
寧々は腕を組んで大袈裟に首を傾げて見せた。
「んー。なんかさぁ、カズミンの年頃だったらもうちょっと『ひゃっはー! 俺、能力者になっちゃったぜえい!』とかさぁ。そういうのが一般的な反応じゃないの?」
「俺、そんな厨二病じゃないですよ」
「えー、あたしはひゃっはーって思ったけどなぁ」
「え……寧々さんって……」
その様子を想像して、一海は思わず吹き出した。
上空の雨雲にはぽっかりと穴が開き、雨がやんでいた。
アニメで観たことがあるような――アニメでしか観たことないような風景だ。
寧々が呼んだつむじ風が、雲を吹き飛ばしてしまったのか。
「風っていうか、これじゃまるで――見えない兵器だな」
一海は今更ながら驚く。
ほどなくして弥生も目覚めた。
高千穂も花嫁候補に対しては、暴力を振るうことはしなかったようだ。
もっとも、固いところに寝かされていたせいで肩や背中が痛いと文句を言ったが、それ以外ではどこもなんともないらしい。
薬か何かで眠らされていただけではないか、とは寧々の見解だった。
とりあえず三人とも濡れ鼠のため、BWエージェンシーに寄って各自のシャワーや洗濯乾燥をこなすことを、寧々が提案する。
弥生は、自分が意識を失っている間に何があったのかを聞いて、顔色を悪くした。だが、温かいシャワーを使い、乾いた服を借りてハーブティーをいただき、事務所にいる猫たちを撫でているうちに、ようやく落ち着いて来たようだ。
カイルや月光たちが昨日から留守にしていたため、寧々がひとりで警戒にあたっていたという話だった。
だが油断した隙に弥生をかどわかされ、また、それを追った寧々にも待ち構えたようにトラップが仕掛けられていた――ということだった。
一海が更に詳細を訊こうとすると、お喋りな寧々にしては珍しく、首を横に振り、口元に人差し指を立てた。
「今はまだ、話せることじゃないんだよねぇ。大人には大人の事情ってやつがあるんだ……ごめんね」
寧々は少し困ったような表情のまま微笑んだ。
「じゃあ寧々さん、あのメールの件は? 訊いてもいいですか?」
ホットコーヒーを受け取りながら、一海は問う。
あのメールが届かなければ、今こうしてここにいられなかったかも知れないが、それにしても何故、という疑問はまだ残っていた。
「あぁ、あれはねぇ」
寧々は少し照れ臭そうに頭を掻く。
「最初のはさぁ、実は誤送信だったんだよね……でもほら、その後うちらのこと探しに来たじゃん? だから、ひょっとして通じてんのかなぁ、って」
「そうだったんですか……ぶっちゃけ、最初のだけだったら俺わかんなかったですよ。今日の二通目が来て、初めて解法が理解できたんだし。でも、検索しなきゃやっぱわかんなくて」
「まぁその結果、カズミン来てくれたんだから、意味はあったっしょ?」
寧々はそう言ってにやりとする。
シャワーを浴びて黒いスウェットを着た寧々は、まだ濡れている髪とたれ目のすっぴんのせいで、やはり普段より幼い印象だった。一海たちと同世代、とまではいかなくても、歳近い世代のように見える。
* * *
人心地ついたところですっかり夕方になってしまったが、さすがにそのまま帰すのもまだ不安だと寧々が言い出し、弥生にBWエージェンシーに泊まることを提案する。
「万が一、何かしら呪詛を掛けられていて今夜発動しないとも限らないし、どこに高千穂の息の掛かったモノがいるのか、あたしにはまだわからないからさぁ……明日になればカイルたちが戻って来る予定なんだけど」
「寧々さんがそういうなら……でも、うちに訊いてみないとわかりませんけど」
「あー、そういうのはあたし得意だから、任せといて。じゃあ早速連絡しよっか」
弥生から「仲のいいクラスメイトの親戚であり、雑貨屋の関係者だ」ということなどを説明した後とはいえ、寧々の口八丁、いや、手腕により、拍子抜けするほど簡単に外泊許可が下りてしまった。
これには一海も弥生本人も驚いた。
「寧々さん……なんか、電話口では別人みたいだったね」
「だよな。テレアポっていうか、セールスっていうか、そっち系の仕事の人っぽかった」
こそこそと感想を述べ合う一海たちに、寧々は得意気に自慢する。
「だからあたし、得意だっていったっしょ? でも、ある意味このタイミングでよかったよ。カズミンとこ二期制だもんね。しばらく休みだしぃ」
自身もようやくハーブティーで一息入れて、寧々がソファに倒れ込む。
「そうですね……あ、じゃあ俺はそろそろ帰ろうかな」
一海が時計を見上げて腰を浮かし掛けると、寧々ががばっと起き上がった。
「え? カズミンも泊まってけばいいじゃん?」
「ええっ? いやいやいやいや、それは無理でしょう駄目でしょう。状況考えてくださいよ」
一海は真っ赤になってうろたえる。
その『状況』を、一海が想像しないわけではなかった。
――ってかむしろ実はシャワーを浴びている時にがっつり妄想して、うっかり鼻血が出たりなんだり……えっと、まぁアレだ、その――いや、でも誘われたからって、じゃあお言葉に甘えて、とはさすがに言えないだろ?
「状況? ってなぁにぃ? 叔母さんトコにお泊りするのに、何が無理なのかなぁ?」
寧々がわざとらしいくらいのキョトン顔で首を傾げる。
「おばっ……そういう意味ですか……」
途端に脱力し、一海はまたソファに沈み込む。
弥生が隣で静かに吹き出し、寧々は向かいのソファでにやにやしながら一海を指差した。
「何考えてたんだよ、そこの少年」
「別に何もやましいことなんてこれっぽっちもありませんから!」
勢いよく言い切った割にはまだ顔が赤い。
――あー、でも『叔母さん』のとこに泊まるのなら、問題がないのかも……
と、一海の決心はぐらぐら揺らぐ。
「へぇーそうなんだぁ……って冗談はこれくらいにして、李湖さんにもあたしが電話しようかね。そろそろカレー作りだす時間だろうし。でもカレーなら明日でも食べられるから大丈夫かな?」
「いえ、俺自分で……って、なんでうちの食事事情に詳しいんですか。俺そんな話してませんけど?」
一海でさえ今夜のメニューは知らないのに、何故寧々がそれについて言及するのか。当てずっぽうにしては自信ありげな寧々の態度に、一海は首を傾げた。
寧々は思わせ振りな笑顔で一海に近寄り、耳元に口を寄せて囁く。
「――実は今朝さぁ、カズミンが起きる前に、李湖さんがあたしに教えてくれたんだよねぇ……ピンクのタオルも、あたし専用に買ったって言ってたしぃ」
またバニラの香りが一海の鼻をくすぐるが――それより告白の内容に驚愕する。
「今朝、って……? え、ええっ? まじで?」
思わず大声を出してしまい、一海は慌てて手で口を塞ぐ。
それを見た弥生が「一海くん、漫画みたい……」とつぶやいた。
一海は改めて寧々の耳元で囁いた。
「寧々さん、まさか――あの、白、猫……なの?」
「んふふー?」
寧々は意味ありげな笑いを浮かべる。
自らを猫と呼び、高千穂も雌猫と呼ばわり――高千穂自身に関しては、多分ヘビになっている姿も目にしているというのに、しかし目の前にいる寧々とあの小さい白猫とは、一海の頭の中でどうしても結びつかない。
「まじかよ……ほんとに猫になるんだ……ほんとに?」
まだまだ彼らのことは謎が多い。一海はただ驚くしかなかった。
もうちっとだけ続くんじゃ。