237.黒紫
「シミュラ」
背後から、かけられるアキオの言葉に、
「良い啖呵であろう。ユイノに聞いて、わたしも一度いってみたかったのだ」
振り返らずに少女は応える。
「アルドスの魔女か……」
仮面がなくなって素顔をさらしたノランがつぶやき、続けて何か言おうとして――
いきなり左右の腕から連続で針を打ち出した。
瞬間、黒紫色の髪の少女の腕が伸び、すべての針を、その身に受け止める。
「シミュラ」
「大丈夫。心配するな。おそらく電気を帯びた針なのだろうが、魔女であるわたしには効かぬ。この地のマキュラは異常に濃いからの。ひどく気分がいいぞ」
そう言って、腕を一振りすると、すべての針がノランに向けて飛んでいく。
硬化外骨格に身を包まれた騎士は、避けもせずにそれを跳ね返した。
それを見て、
「ノラン・ジュード、おぬしはバカか」
杖を床に突き立て、ぴったりと体を包む黒紫色のコートに浮かびあがる、美しい身体のラインを惜しげもなくさらしながらシミュラが腕を組んだ。
「この者は、おぬしの主たるユスラの命を救うために、この地に赴いておるのだぞ」
少女の挑発に、ノランは硬い表情のまま応えた。
「おまえたちは、ギオル宰相を殺し、ユスラさまをたぶらかした」
シミュラは、美しく釣り上がった大きな目に、嘲りの色を浮かべる。
「さて、騎士どの。おぬしの主は、簡単に男にだまされるような愚か者なのかの」
「黙れ!」
短く叫んだノランは、掌をシミュラたちに向けた。
直後、目もくらむような凄まじい炎が手首から吹き出て、ふたりを覆い尽くす。
業火の中、一瞬で変形した少女の身体が、球形の黒紫色の障壁となってアキオを包んでいた。
その球体の内部で、笑顔でシミュラがアキオにたずねる。
「おぬし、そろそろ動けるな」
アキオは、少女の頬に手を当てて、困ったように言う。
「シミュラ、なぜ来た――」
「おぬしの考えを読んだのでな」
そう言って、触手のように跳ねている前髪を伸ばして、アキオの額に当てた。
――それが他の娘にない、わたしの特徴であり特権だ。
アキオの頭に少女の思念が木霊する。
「答えになっていない」
アキオは不服そうに言う。
「敵に姿をさらすのに、おぬしだけではサマにならぬではないか。やはり魔王の傍らには、対になる魔女がおらぬとな――」
破裂音が轟いて、少女の身体が元に戻った。
硬化外骨格の火炎放射がクール・ダウンのために停止したので、シミュラが障壁モードを解いたのだ。
アキオは、少女の細いウエストに手をまわすと、残像すら残らない速さで広間を駆け始めた。
爆発するような音と共に、固い床石が次々と穿たれる。
ノランから離れた壁近くの柱の陰に飛び込むと、今度は音をたてないように、ナノ・グローブを使って、広間を取り囲む回廊の天井に吸いついて部屋を半周した。
天井に張り付いたまま、シミュラの顔を見る。
少女は黒紫色の瞳を光らせて彼を見つめていた。
声を出すと、ノランに気づかれてしまうだろう。
「――」
アキオは、無言で少女の小さな手を彼の手で包んだ。
〈君はここで天井に隠れているんだ〉
シミュラは、ぱっと花が開くような可憐な笑顔を見せた。
100年を超える人生を生きて、老成した態度をとることが多い彼女には珍しい表情だ。
シミュラの指がアキオの手の中で可愛く動き始める。
〈指話じゃな。カマラに聞いてから覚えて、ずっと使ってみたかった。まさか、こんな機会があろうとは――やはり来て良かった〉
アキオは、シミュラの頭を、数回軽く押さえてから、彼女を置いて移動しようとし、ひとつだけ気になることを尋ねた。
〈なぜ、さっき君は熱に耐えられた〉
PSゼリー細胞は、ナノ・マシンを内部に持たないために、電気には強いが熱には弱いのだ。
〈ああ、それはシジマが作ってくれたコクーン・ウェアのお陰じゃ〉
指話を続けながら、シミュラの顔が近づいてくる。
〈シジマの――〉
〈コクーンは、わたしのPSゼリー細胞でできた身体にまとわりついて、伸縮自在に形を変え、熱や衝撃から守ってくれるといっておった〉
シミュラの、鳥のくちばしのような形の良い鼻がアキオの鼻に触れた。
さらに、鳥同士が求愛するように、つんつんと鼻を押し当ててくる。
アキオは、この数か月にシジマが作り上げた数々の道具を思い出し、その開発速度の速さに感心して思わずつぶやいた。
〈たいした才能だ――〉
〈それは違うぞ〉
シミュラが、零れ落ちそうに大きな目で、アキオを見つめながら指話で告げる。
〈アキオ、あの者は、お前と過ごす以外のすべての時間を、道具の開発に使っているのだ〉
〈すべての――〉
〈おぬしは、頭が良いが察しの悪いところがあるな。要するに、ジーナ城に来てから、あの娘はほとんど寝ておらんのだ〉
〈――〉
〈おぬしと寝るとき以外はな〉
〈だが、そんなことをすれば――〉
〈意識をなくす時が早く来るだろうな。もちろん、シジマもそれは覚悟の上。あやつは、自分の命の残り時間よりも、おぬしの役に立つ道具を作りたかったのだ〉
〈なぜ、俺にいわない〉
〈シジマが自分で決めたことじゃからな〉
〈君は、ここにいろ――〉
アキオは、手を離すと、シミュラを天井に残して自分は回廊の柱に飛びついた。
ノランが、彼を探して回廊を猛スピードで回り始める気配がしたからだ。
柱の上部を半周すると、アキオは勢いよく柱を蹴って、広間の中央に飛んだ。
空中で一回転すると、静かに足から床に着地する。
床に落ちていた、さっき手放した剣を拾った。
剣を右手に下げ、うっそりと立ってノランが来るのを待つ。
だが、その前に、アキオは、いきなり背後からの不意打ちを受けた。
銃撃ではなく、拳の一撃だ。
気配を感じるなり、アキオは、沈み込みざま剣を跳ね上げ、手首の関節を狙って振り抜き切断した――つもりだったが、逆に剣が折れてはじけ飛ぶ。
この硬さはI兵士だ。
敵は初撃を外しても、攻撃の手を止めようとはしなかった。
次々とアキオに襲いかかってくる。
目視で確認すると敵は一人だ。
だが、その戦闘能力が異常だった。
ありえない速さの突きと蹴りの組み合わせ攻撃が際限なく続いていく。
その動きは、戦闘用補助脳に頼ったものではない。
相手の蹴りをアキオが躱し、アキオのパンチを敵がしのぐ。
膠着状態だった。
敵の攻撃がクリーン・ヒットすることはないが、アキオの攻撃も敵に当たらない。
相手は、明らかに薬物を使って反射速度を上げている。
それも肉体の限界を超えて――
薬物が敵の体を蝕みつつあった。
戦いながら、アキオは考える。
だから、いつまでもこのままの速度を維持できないだろう。
だが、こういった膠着状態は、アキオにとっても好ましいものではなかった。
先ほどのシミュラへの攻撃から考えて、騎士であることを捨てたノランが、背後から襲ってくる可能性があるからだ。
敵の動きが一瞬遅れ、アキオのパンチが敵の顔面をかすって仮面が吹き飛んだ。
残念ながら、この程度の打撃では脳を揺らすところまではいかない。
現れた顔を見て、アキオはつぶやく。
「やはりお前か」
「お、覚えていてくれたとは光栄だ」
アキオが、かつてシュテラ・ナマドで戦った戦闘狂、確か名前はアレクといった男は、目、耳、鼻から血を流しながら、ゆがんだ笑顔を見せた。




