234.顔合
「もう一度おっしゃってください」
奇妙に尖った髪の男が軽く驚いた声を上げた。
「あなたは耳が悪いの、わたしもエルベ荘に行くといったのです」
西の国の女王が美しい顔を険しくして言う。
言葉遣いが、幼なじみに対するくだけたものになっている。
「しかし、彼の国の女王も来られるのですよ」
マイス・フィン・ノアスが、それでも行くのか、という表情をした。
「そのようね――でも、よいではないですか。今は、一時的にせよ、ニューメアのとりなしで、サンクトレイカとも同盟を組んでいるわけですから」
マイスの話によると、ルミレシサ・サンクトレイカは、彼女と同じように魔王をひどく憎んでいるそうだ。
魔王が倒され、捕縛される瞬間を己が眼で見たいと願うほどに――
「女王さま」
「とにかく行きます。わたしにはあれが必要なのです。じっと待っていることはできません」
「しかし、キルスの予想では、魔王が素体をつれてくることは、まず無いだろうとのことですが――」
「わかっています。魔王を生きたまま捉え、それを餌に素体をおびき寄せるのでしょう。いっそ殺してしまってもよいと思いますが、それができないのであれば、圧倒的な力であやつが倒されるところをこの眼で見たい。その点で、わたしはサンクトレイカ女王と同じ気持ちなのです」
メキアは酷薄な表情で、言い放つ。
魔王は彼女の希望である素体を奪った大罪人なのだ。
「素体は魔王が囲う魔女の一人です。情報では、魔女たちは魔王を救うためなら、簡単に命を差し出すとのことなので――」
「ニューメアの宰相――あの者の情報は正しいのですか」
「これまでのところは――コラド・ドミニスの高位魔法の腕も含めて」
メキアは露骨に嫌な顔をする。
「あの者の話はしたくありません」
そう言った後、少し考え、
「でも――魔女たちが、あの男のために命を差し出す、というのが信じられません。素体は、元はわたしと同じなのでしょう。ならば、男のために自分を犠牲にするなんてありえない。わたしは冷たい女だから」
「――」
「なぜ黙るの」
「いえ」
「おっしゃいなさい。命令よ」
「わたしは、女王さまが、ご自分で思われているような方ではないと知っておりますので」
いつもの含み笑いを消した、まじめな顔でいうノアスの顔からメキアは目を逸らす。
「ふざけたことを言っていると、役職を解任しますよ」
「ご随意に」
メキアは幼なじみの男の変わった髪型を睨みつけた。
この男は、今回の、ニューメア宰相キルスによって封印の氷と名付けられた作戦で、自分の代わりになる者などいないことを百も承知なのだ。
マイスは、今回の作戦の総司令ということになっている。
実際には、彼の下の有能な実働部隊の部下たちが、作戦を遂行するので、よほどの不測の事態が発生しないかぎり、彼の出番はない。
だが、王女病の存在を含めて、すべてを把握するマイスの存在は、封印の氷にとって不可欠なのだ。
「でも、まさか、あの有名な女公爵が魔女になっていたは思いませんでした。あの者は、わが国にとっても宿敵です」
数回にわたり、ただひとりの才能、知略で、平和の海戦をサンクトレイカの勝利に導き、西の国の無辜の市民を結果的に殺したのだ。
マイスは、皮肉な微笑みを頬に張り付かせたまま、口の片側を吊り上げた。
そもそも、永遠に終わらない疑似戦争を考え出した、先王たちが間違っているし、戦争被害の主な責任は、王であるルミレシア・サンクトレイカにあって、将たる女公爵は、限定責任しか負わないはずだ――とは言わない。
代わりに、
「もともとは、彼の少女が、サンクトレイカ女王になるはずだったと聞いております。ですから、女王は、よほど女公爵、たしかグレーシア・サラヴァツキーといいましたか、あの少女の才能を恐れ、憎んでいるのでしょうな」
「器の小さい娘です」
メキアは、16歳年下の女王を見下したように評した。
封印の氷作戦当日、彼女は、西の国東端のドッホエーベ荒野に建つエルベ荘で、サンクトレイカ女王と顔を合わせた。
公式の会見ではないので、お互い儀礼上の挨拶すら交わさない。
彼女の側からはマイスが、向こうからは内務部長メルヴィル・ド・コントが歩み寄って、お互いが代理で挨拶を交わす。
ふたりの女王は、大広間を見渡せる位置にあるバルコニーの両端に置かれた椅子に座った。
召使が渡す飲み物で喉を潤す。
やがて、一人の衛士が駆け込んできて、叫んだ。
「魔王がやってきました。見たことのない赤馬に乗って、もの凄い速さで、こちらに向かっているそうです」
「距離は」
「シュテラ・ボルドを通過したとのことです」
待つほどもなく次の報告が届く。
「魔王、シュテラ・ワレスを通過」
「大した速さですな」
マイスがつぶやく。
報告の間隔と街間の距離から計算すると、魔王の馬は、ザルドの最高速の3倍近い速さで走り続けていることになる。
「それも高位魔法なの」
「おそらく――」
メキアの問いに、髭を撫でながらうなずいた。
バルコニーの反対側では、女王ルミレシアがメルヴィルと話をしている。
おそらく同様の会話がなされているのだろう。
やがて――
「魔王、到着しました。赤馬から下馬し、徒歩で邸門に向かっています」
興奮気味に、駆け込んできた衛士が叫んだ。
マイスは、ふたりの女王にうなずくと、良く通る声で告げた。
「門を開けよ。魔王を中に招き、武器をとりあげるのだ」
言葉が終わると同時に、大きな背の高い扉が内側に開けられる。
王女たちは、高位魔術によって、広間に置かれた鏡に映る邸門を見つめた。
扉の無くなった空間に、黒い衣服に身を包んだ黒髪、黒い瞳の男が立っていた。
魔王がやって来たのだ。




